Ep49. The end of San Leone

 力を無効化──?

 …………。

「根拠は!」

「ない。が、確信はある!」

「…………」

 フェリオの脳みそは理解をやめた。

 ただひとつ分かったのは、自分ならばこの死体たちをどうにか出来る可能性がある、ということ。

 肩からアスラを下ろし、ダガーナイフを渡してここから動かぬようにと指示を出す。もはや丸腰になったフェリオは、腰を落として目前に迫るアルカナ教徒死体のひとつへ突進した。

「おあァッ」

 短い雄叫びとともに、フェリオは死体の首を掴み、引き倒す。

 フェリオの手のひらがカッと熱を帯びる。気がした。

 瞬間、死体は声を上げることもなく、全身を痙攣させて動きを止めた。

「!」

 こういうことか。

 フェリオはぎろりと背後に迫る師団兵死体を蹴り上げ、床に引き倒すと、その腰元に下がるサーベルを抜いた。サーベルの柄に帯びた熱が移るのを感じる。顔の前にサーベルを構え、柄に祈りのキスをひとつ。

(こいつで全部終わらせる)

 死体の群れはなおもフェリオを囲むように迫る。迫る。

 フェリオはサーベルを腰に構えたまま動かない。まだ。まだ。

 あと二歩。一歩。

 死体の群れが、間合いに入る。

 瞬間。

 フェリオはサーベルを勢いよく振り抜いた。間合いに入った死体たちは、力なく崩れ落ち、ばたばたとあっさり倒れてゆく。さっきはあれほどしつこく起き上がってきたというに、フェリオの剣に斬られたものたちはそのままぴくりとも動かない。

「死体に戻った!」ノアの声が聞こえる。

「フェリオを援護しろッ」蒼月が叫ぶ。

 地区兵団たちは、わらわらと迫りくる死体からフェリオを守るように円を囲み、各々武器を構える。

 フェリオが石舞台の面に膝をつく。

 手のひらを、押し付けた。

 じわりじわりと熱が石舞台に伝いゆくのを感じる。

 そのとき──フェリオの耳をかすめるように、一陣の風が吹いた。気がした。


『オ ラミ エーギオ』


 風の声?

 つぶやいてみる。


「……オ ラミ エーギオ」


 呪文に呼応するように、フェリオの手のひらを伝って、やがて石舞台が光を放った。

 光は舞台上にいる地区兵団たちをも包み込み、やがて舞台を囲う死体たちも包まれた。すると死体たちはたちまち身体を硬直、痙攣させて、バタバタとその場に倒れてゆく。


「──フェリオの力が、サンレオーネに伝ってゆく……」


 だれかがつぶやいた。

 もはや、動く死体はない。──かと、思われた。

 石舞台の裏から聞こえた物音に、クレイと蓮池が同時に振り向く。

「あっ」

「れ、レオナルト──!」

 クレイの声がふるえた。

 すべての死体が力をなくしてなお、レオナルトはゆっくりとこちらに迫ってくる。石舞台に膝をつくフェリオが緩慢な動きで立ち上がる。

 クレイと蓮池を押し退け、レオナルトと対峙した。

 フェリオ、とさけぶアスラの声。

 しかしフェリオの顔に焦りはない。

「……アンタをそこまで突き動かすのは、なんだろうな」

「グ、ウ──ウゥアア」

「終わりにしようや。レオナルト」

「ウゥガアッアアアアァアアアッ」

 咆哮。

 振りかぶられた大剣は、しかし振り下ろされることなく、レオナルトが顔を覆う。


「!」


 その時。

 汐夏の視界がモノクロに切り替わった。騒然としていたはずの石舞台に、ひとりの女性が眠っている。これは──誰だろう?

 目を凝らしてみる。

 石舞台に寝そべる女性は、瞳を閉じて、しかしその口元には朗らかな笑みを浮かべている。汐夏はそのそばでかしずいている。これまで見てきた傍観立場の過去視ではなく、だれかの視点を借りて過去を見ているらしい。

 寝そべる女の唇が動く。耳に、その声が届いた。


 ──アーデルハイト。


「ここに」

 返事をしたのは汐夏の口だった。

 声色は低いが、女性らしい。


 ──畏まるのはよして。


 女性は瞳を閉じたまま眉をしかめる。


 ──わたしたちお友だちでしょ。


「それは我がウォルケンシュタイン始祖の話です。私はその九百年後の子孫。『レオナ様をお支えする』、それこそが我がウォルケンシュタインの使命なれば」

 汐夏の胸の内で、こそばゆい感情と、それを抑え込む感情が相反するのを感じる。

 女性はふっと口元をゆるめた。


 ──変わらない。わたしからしたらクラウディアも、アーデルハイトも、お友だち……。


「…………」


 ──アーデルハイト。


「はい」


 ──ずっと、ずっと、レオナの友であってね。


「……レオナ様がお望みならば」


 ──約束よ。ずっと、ずーっと。


 ──。

 ────。


 モノクロの世界は汐夏の視界から、光の粒となって消失した。どうやらいまの過去視は一瞬のことだったようで、レオナルトはいまだ呻きながら顔を手で覆っている。しかし対するフェリオの顔には、朗らかな笑みすら浮かんでいた。

 まるで。

 まるでさっきの石舞台に寝ていた女性のような──。

「…………」

 汐夏の目から、ぽろりと一粒、涙がこぼれた。

 めざとく見ていたラウルが駆け寄るも、彼女はまっすぐレオナルトを見つめたまま動かなかった。

 なんとなく、アーデルハイトと呼ばれた人物の感情に共感した。

 フェリオはレオナルトに歩み寄る。

 レオナルトはもはや大剣すら捨てて、言葉も忘れた獣ののように、苦しそうに呻きつづける。

「レオナルト」

「ア──レ、オナ……レオ、ナ……サマ」

「もっと、別のかたちでお前さんと出会っていたなら、おれもアンタと仲良くなれたんだろうな。お前さん強いし」

「ウ、グ……ウォ、ルケン、シュタインの使命──」

「使命なんかじゃねえんだ、そういうのは。ただ人と、人が──出会って、互いの世界が広がるってことさ」

 フェリオは説く。

 が、レオナルトは膝を崩し、地に這いつくばった。もはや立っていられないようである。つられてフェリオもレオナルトの前に膝をつく。そして、熱く、篤く、慈しむように、フェリオはレオナルトをしっかりと腕のなかに抱きしめた。

 嗚呼。

 だれかの声が漏れ聞こえた。

 その声が示すように、レオナルトの身体はフェリオの腕のなかでボロボロと崩れ、やがて光の塵となって消えてゆく。残ったのは近衛師団長を示すボディアーマーのみ。

「わ、あ」

 虞淵が声をあげた。

 レオナルトが光となって消えたのを皮切りに、周囲の死体もすべてが光の塵となって消えてゆく。まるで、サンレオーネに囚われた魂たちが天へ還ってゆくように。


「由太夫ッ」


 突然、蒼月の金切り声が響いた。

 一同は一斉にそちらを向く。

 霊体となった由太夫が、きらきらとまばゆい光に包まれてゆく。比榮はいやだ、とさけび兄貴分に駆け寄った。

「由兄ッ」

 勢いのままに、霊体を抱きしめんと手を伸ばす。

 しかし由太夫はなにを言うでもなくにっこりとほほ笑んでから、深々と一礼し、光の粒となって消えていく。

 サンレオーネから天へと立ち昇る光が消えたころ。

 石舞台に遺されたのは由太夫とフィンの遺体、そしてサンレオーネの最期を見届けた者たちのみであった。

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