Ep48. Invalidate

 もはや、フィンは目を開けることもなくなった。

 死んでいるわけではない。規則的に上下する胸元から、彼がうたた寝に入ったのが分かる。かと思えばこちらの会話のなかへ唐突に入ってくる。

 フィン、とシリウスが声をかけた。声色はおどろくほど穏やかだった。

「からだがツラいか」

「…………いや。ただ、すごく、ねむい……」

 声が。

 あんまりに儚くて、フェリオはドキリと動揺した。

 とても。とても、眠い……。

 フィンは繰り返す。

 先ほどまで泣いていたアスラも、いまでは表情こそ落ち込んでいるものの穏やかにフィンの額を撫でる。見た目は青年のままであるフィンだがこれだけ人に囲まれるなかで身を横たえる彼のすがたは、まるで老衰を迎える老大人のよう。

 彼は目を閉じたまま右腕を彷徨わせた。

 すかさずフェリオがその手をとる。

「──フェリオ?」

「ああ」

「…………よく、来てくれた。ほんとうに」

「……うん」

「これで、やっと、荷が下りた……」

「────いくのか」

 問いかけるフェリオの声が押し殺したように低く響いた。

 フェリオ、とフィンは口元でほくそ笑む。


「……民を、エンデランドを、たのむぞ」


 と。

 いう言葉を最期に、フィンは体じゅうの息を吐き出して、やがて眠るように息を引き取った。フェリオの手中にあるフィンの右手がするりと落ちる。もう二度と動くことのない胸元を見て、フェリオはその終わりを実感した。

 やがてアスラはすすり泣き出し、シリウスは首を横に振りながら細く息を吐く。

「長かったな。フィン」

「ほんとうに、レオナ三世は死んだのか」

 ハオは肩を強張らせて、フィンの死体を覗き込む。

 フェリオはわずかに口をあけて、しかし言葉を呑み込むように閉口した。彼に言いたいことがあったのに、けっきょく彼が生きているうちに伝えることができなかった。

 ──民をたのむぞ。

 最後に託されたものは、あまりにも重い。

 フェリオは所在なさげに視線を彷徨わせた。

 一同の視線がフェリオに向けられている。その視線のなかには少なからず『レオナの後継』という期待と不安の色が見えた。一同がなにを言うべきかと考えあぐねるうち、妙な違和感が場を支配した。

 初めにその異変を感じ取ったのは、いまだ死体検視をつづけるパブロであった。彼が、

「おのれッ」

 と声をあげ、死体を蹴り飛ばしたのである。

 一部始終を見ていなかった者たちは、死体蹴りなどと惨いことをする閣府長にドン引きするも、それが誤解であることはまもなくわかった。

 そう。

 どういうわけか、そこここの死体たちがゆっくりと起き上がったではないか。ピクリともせぬはフィンと由太夫の死体のみ。

 近衛師団のアーマーを着込んだ兵士、武器を大量装備するアルカナ教徒、それぞれがユラユラと身体を揺らしながら、一歩一歩こちらへ歩いてくる。

 いの一番にリアクションしたのは、やはりハオ。

「なっ……なんだ、こりゃあ!」

「まさか。たしかに殺したはず──」

 先ほどまで由太夫に慰められていた比榮も、事態を理解して駆け戻ってきた。その背後には由太夫が、いっそう険しい顔で動き出す死体を見つめている。

「うわっ」

 ラウルがあわてて避けた。

 どこからか襲いくる弾丸。すかさずルカが、発砲した死体に剣を振り下ろす。難なくぐしゃりと潰れた死体は、しかしすぐに身体をふるわせると、腕に力を込めて起き上がらんとしていた。

 バカな──。

 ルカはゾッと顔を青ざめ、後ずさる。

 いつの間に登ったか、石舞台の屋根から悠々とスナイプするリベリオだが、あまりの敵の多さに珍しく情けない声をあげた。

「こんなに多くちゃ弾が足りねえよォ」

「原因がなにか分かれば……」

 というノアのつぶやきに、ロードがひとりの教徒を伸しながらハッと顔をあげた。

「シリウス、フィンです!」

「あァ?」

「このおかしな現象が起きたのは、フィンが亡くなった途端ですよ。なにか知りませんかッ」

「そんなこと、言われても、だな」

 シリウスはひらり、ひらりと攻撃をかわし、そのたび敵の脳天に銃弾を撃ち込みながら、考える。

 代わりに声をあげるは由太夫だった。

『もしかすると──そうかもしれませんね。ロード』

「もはや君が頼りです由太夫ッ。憶測でもよい、教えてください!」

『はい……フィンは長らくの隠匿生活から、躯も心も、サンレオーネの力によってのみ保たれていた。もはや、サンレオーネそのものだったといって良いでしょう。そんな彼の御霊が、躯を捨て、ようやくサンレオーネに還った。サンレオーネは……本来の力を取り戻した、のではありませんか?』

「本来の力? そんな話、聞いていないぞ!」

 と、シリウスはロードと背中合わせに応戦しつつ、つぶやく。由太夫はすこし高い位置からつづけた。

『フィンも知らなかったんです。なぜなら、サンレオーネがもっとも強い力を持っていたのは──始祖レオナが生きた頃。もっと言えば、始祖レオナが降臨した頃です。三百年前に生まれたフィンが、本来の力など知るわけがないのです!』

「……で、サンレオーネの本来の力がいま発現したとでも?」

『そうですね。まさか、本当にあったとは──』

 死者蘇生の力が、と。

 つぶやく由太夫。

 シリウスはチッ、と舌打ちをして考える。

(サンレオーネの力で動いているなら、こちらもサンレオーネの力で対抗するほかないだろうが……)

 とはいえ、そんな力を持つ者はいない。

 シリウスに発現した能力は『人心解読』、ロードは『感覚共有』、汐夏は『過去視』──。どれもこれも、この状況ではなんの役にも立つまい。

(いっそフィンのように雷でも落とせたら──、…………)

 ふ、と。

 シリウスは顔を上げた。

 と同時に、アスラの悲鳴が轟いた。彼女はフェリオの肩に担がれた状態で、周囲を何十もの死体に取り囲まれている。すぐさま汐夏と虞淵が助けに向かおうとするも、みなそれぞれが永遠に死なぬ死体と対峙しており、動けない。

 フェリオはダガーナイフを構え、腰を低くした。しかし肩にアスラがいる以上、あまり俊敏には動けない。死体の群れを見つめて隙をさがす。が、彼らはもとより死体。隙だらけだ。が、死体ゆえに隙もない。

「くそったれ!」

「フェリオ、こわい……」

「大丈夫だとも。おれを信じろ、アスラ」

 アスラは身をふるわせ、頷く。

 とはいえ──である。

 この状況をどうにかなんて、出来るものだろうか。サンレオーネの力で動いているならば、それこそサンレオーネの力で対抗せねば勝ち目はないのでは──。

 フェリオの背に冷たい汗が一筋流れる。

 そのとき。


「フェリオッッ」

 

 シリウスの、サンレオーネ中に響き渡るほどのとびきりでかい声が聞こえて、おもわずフェリオは「んぁっ」とすっとんきょうな声をあげた。

 声の主は、半ば強引に死体を蹴散らしながら、さけんだ。

「お前だッ。お前の力ならこいつらをどうにでも出来る!」

「な…………なんだとォ」

 まさか、すべてを自分に任せるつもりか。

 なんて被害妄想が首をもたげる。いやいや、シリウスにかぎってそんな提案はすまい。ならばいったい。

 戸惑うフェリオに構わず、シリウスはつづけた。

「貴様はおそらく、フィンがぜったいに持てなかった力を持っている。それは先ほどすでに証明されたはずだ!」

「え──?」

「どういうことだ、シリウス!」

 蒼月が困惑の声をあげる。

 しかしシリウスは冷静だった。

「フェリオは先ほど、フィンが落とした雷を弾いた。それはサンレオーネの力によって呼ばれた雷雲だ。それだけじゃねえ──レオナルトの洗脳も、効かなかったんだったな? 由太夫!」

『あっ。え、ええ。そうです』

「つまりどういうことだって!」

 と、フェリオはわずかに怒気を込める。

 だから、とシリウスもまた怒気を込めてさけんだ。


「貴様にはサンレオーネの力を、すべて無効化しちまう力があるんだと。そう言ってるんだッ」

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