Ep44. The truth on canvas
──母さん。
フェリオの声が神殿に響きわたった。
サンレオーネが見せるカンバスの景色は、フェリオの生涯を逆再生するように遡る。やがて焦点は母へ。
バルドレア王国の端の町、バレッタ。パトロンに捨てられた娼婦や親を失くした孤児たちが集まってできた町で、上流階級のなかじゃ『墓場』などと呼ばれているらしいこの貧民窟で、フェリオの母、メルセデスは娼婦をしていた。気っ風の良さから仲間の娼婦には慕われたが、如何せん客にまで啖呵を切る気の強さであったから、彼女には貰い手もあらわれなかった。それでも一定の層には少なからず人気も出たもので、娼婦の稼ぎを頼りに細々と生活していた。
子が生まれてからは娼婦をやめ、となり町へ働きに出ていたが、バレッタ貧民窟のなかでもつねに笑みを絶やさず、孤児を相手に少ない食事を恵んでやることもあった。
母は、愛情深い人だった──と、おもう。
フェリオの記憶に残るのは、快活に笑い、動く母の姿。いつでもフェリオを愛してくれて、たくさんの学びをくれた。だからこそ、とにかく彼女を楽にさせたくて、早くから傭兵の仕事に精を出した。
カンバスのなか──フェリオが誕生する前の母も例に漏れず、貧民窟のなかでクサクサする若者たちに声をかけては、ともに食事をしていた。
逆再生が、フェリオ誕生にまでさかのぼる。
「!」
目を疑う光景を見た。
赤子を抱く母のそばに寄り添う、ひとりの青年。彼の顔は明らかに見覚えがあった。まさか。いや、そんなバカな。
フェリオはうわ言のようにつぶやいていた。
「フィン?」
カンバスは音のない映像をただ淡々と見せてゆく。
────。
『運命を信じるか?』
どこからともなく声がした。
女性だろうか。──いや、これがサンレオーネの声なのか。
フェリオが誰だと聞く間もなく、降り注ぐ声は先をゆく。やがてカンバスの映像はゆっくりと順再生に切り替わった。画面いっぱいに映るは、母の若かりしすがた。
『メルセデスの運命が変わったのは、バルドレアにはめずらしい、大嵐が直撃した夜のことだった』
うっとりした声色で、サンレオーネは語りだした。しがない娼婦とひとりの青年の幕開けを。
※
大嵐の深夜。
メルセデスの住むあばら家の戸が開いて、ぐずぐずに濡れそぼったひとりの青年が倒れ込んだ。彼女はわけを聞くこともなく、青年を甲斐甲斐しく世話してやった。
とはいえ貧民窟に転がり込む人間の過去に、ろくなものはない。ここではメルセデスでなくともそうしたかもしれないが。
サンレオーネは言った。
『青年は、名をフィニアス・アンバースと名乗った。けれどこの名が偽りのものであることも、メルセデスは悟っていたようだ』
すべてが偽りで固められた青年。
それでもメルセデスは愛のままに、青年の面倒を見てやったと、サンレオーネは言った。
カンバスのなかでは、青年──シオンが初めの頃こそ仏頂面であったものの、メルセデスの愛情を受けるうちに、みるみる笑顔があふれていくのが見てとれた。その傍らには、フェリオの知らぬ女の顔をした母もいた。
『フィニアスには猶予がなかった。彼が自由をゆるされた期間は、わずか一年。そのあいだに自身の後継を見つけなくてはならなかった』
サンレオーネはつづける。
青年──フィニアスは、甲斐甲斐しく世話をしてくれたメルセデスに惚れ込み、猛アプローチをかけた。
当時のメルセデスは三十歳。
この時代ではずいぶんな行き遅れという年齢であり、これほど熱烈に求めてくれる男を知らなかったメルセデスは、一ヶ月後にはすっかり折れて、フィニアスを受け入れた。
メルセデスはほどなく懐妊、とサンレオーネはゆったりした口調でつづける。
『お前──フェリオを産んだ。このフェリオという名は、フィニアスがつけた名だ。腹の子は男児だろうからこの名にしようと』
という話を聞いて、フェリオが頬をほころばせた。フェリオはすっかりその場に腰を落ち着かせている。
「……母さんは、腹のなかの赤ん坊があんまり静かだから、生まれてくる直前まで女の子だと思い込んでいたと。むかし話してくれたことがあった。でも父親は“フェリオ”にすると言ってきかなかったってよ」
『フィニアスには見えていた。腹のなか──ではなく、フェリオがその身を大きくした頃、かならずや自身を救いに来てくれるであろう未来が』
「…………」
カンバスの映像はつづく。
生まれたばかりのフェリオは、フィニアスの腕に抱かれてすやすやと寝入っている。フィニアスは何度も、何度もフェリオに頬ずりをして別れを惜しんだ。
メルセデスもまた、何度も何度もフィニアスにキスをした。今生でふたたび再会できることはない、と互いにどこかで確信していたのかもしれない。
フィニアスはフェリオの頬を両手で挟む。
じっと我が子を見据えて口を動かした。
声は聞こえない。
しかし、口の動きで分かった。
──待っているぞ、フェリオ。
(待っているぞ──フェリオ・アンバース)
フェリオの脳裏によぎる声。
直後、頭上のカンバスは突然消えた。辺りは先ほどと変わらず静謐に包まれている。しかしただひとりフェリオだけは、その顔を強ばらせて、立ち上がった。
(母さん──)
心の内にいる母に声をかける。
(あの衝動の理由を、おれはようやく理解できた気がする)
フェリオの足は石階段に向かっていた。
※
石階段前、森のなかでははげしい戦闘が繰り広げられていた。
もはや正気を失ない、ただひたすら大剣をふるうレオナルト・ウォルケンシュタインと、最小限の動きで攻撃をかわし、呪文を唱えるフィン。呪文によってレオナルト時折動きを止める。しかし、フィンもまた唱えれば唱えるほど、息があがって足が覚束なくなってきている。
ただでさえここ数年、からだが重だるく臥せることも多かったフィンである。もはや限界も近いと見える。
「正直、お前さんに構っている暇はないのだがね。……仕方ねえ」
フィンはフッと息を吐き、指を天に向ける。
「ケーレ ブ トゥルス ミ ア レオナルト!」
すると、たちまち空には黒雲が立ち込め、雷鳴が轟いた。レオナルトはグ、と唸って耳を塞ぐ。
「ヤメ、ロ。やめロ……!」
「いっそこのまま、命を終えた方が楽だろう。生涯黙示は──貴様のように心身鍛え上げた人間でさえ、狂わせる」
「うるさいッ、うるさいィ!!」
「──予定よりすこし早いが、オレも潮時だ。死なばもろとも、共に彼方の世界に還ろうぜ、レオナルト!」
「グアァアアーーーーーーーッ」
レオナルトが剣を振り上げる。
フィンは動かない。
稲光が煌めき、雷鳴が頭上で轟いた。
天から罰が降り落ちる──。
「フィンッ」
石階段から叫び声。
雷がバリバリとけたたましい音を立てて、レオナルトとフィンのもとへ落ちる。
瞬間、駆け寄ったフェリオがフィンに被さる。
辺りは煙に包まれた。
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