Ep17. Occurrence of an incident
シャムール地区兵団があわただしく動くなか、ノアのもとに一羽のオジロワシが舞い降りてきた。鷲はノアの腕に止まり、頭を彼女の真っ白な頬へなすりつける。
「なついてるな」
「…………ジャンヌ。兵団の伝書鷲」
伝書鷲。
なるほど、鷲の足には小さな紙がくくりつけられている。ノアは手早くそれをほどき、広げた。ちいさな紙ゆえ文字数は多くない。フェリオにもわかる大陸言語の走り書きのようだった。
あまりジロジロみるのもよくないかと、顔をそらしたときである。ノアががっしとフェリオの手首を握った。
「?」
「馬。乗って」
それだけいうと、彼女も自分の馬に飛び乗った。なんと華麗な動きだろうか。フェリオは一拍おいてあわててベージャに跨がる。
「なんだ、急に!」
「ロードと合流する」
彼女はことば少なにそうつぶやくと、暴動現場の方へと馬を走らせた。
──現場はそう遠くなかった。
暴動を諫める兵団の中心に立ち、部下を仕切るロード。
いつになくあわてたようすで駆け寄るノアに気づいたか、くるりと振り返った。
「どうしましたノア」
「ジャンヌが持ってきた」
「シリウスからですね。……これは」
紙に目を通したロードは、読み終わらぬうちにカツカツと靴音を高鳴らせてフェリオのもとへ近づいた。馬に乗ったまま待機していたフェリオが降りようと腰をあげると、それを制して彼もまた馬に乗る。やはりここからどこかへ移動する必要があるようだ。
ふたたびノアも馬へ乗る。
ロードは近くの兵員に二言、三言だけ伝えるとフェリオを一瞥してから馬を走らせた。そのスピードはこれまでの比ではない。はやく追いかけねばすぐに見失う。フェリオはあわてて手綱をひき、ベージェを走らせた。
道中。
どういうことだ、と半ば張り上げるようにフェリオが問う。
ロードはこれまで絶やさなかった笑みを消して、おなじく声を張り上げた。
「うちの地区長から達しが来ました。すぐに閣府へ来るべし、と!」
「そんなに大ごとなのか、それは」
「大ごとも大ごと──おそらく向こうで何か起きている」
というや、ロードはさらに馬腹を蹴ってスピードをあげた。
これ以上なにかを聞くことはかなわなかった。なぜならひと言口をきけば、舌をかみ切る可能性があるからである。
※
セント・フランキスカの中央閣府内では混迷を極めていた。
まずは閣府内の異変である。
近衛師団がひっきりなしに建物内を駆け回り、ときには声すら張り上げてなにかを伝達している。そもそも、シャムールから閣府へ来る道中においてその異変はすでにあった。王家別邸とされる邸の前を警護する近衛師団のあきらかな動揺が見てとれたのである。
いったいどうしたことか、と聞くひまはない。
ロードもノアも、緊急事態が起きたというのみで実際になにが起きているのかを把握しているわけではない。急ぎ足で閣府内をすすみ、先日査問会が開かれた大会議室へとたどりついた。
中にはすでに各地区長、各地区兵団の代表ふたりが詰めている。しかし席につく人間はほとんどおらず、みな会議室の真ん中に設置されたテーブルを囲むように群がっていた。彼らの表情はいずれも険しく、軽々しく声をかけるのはためらわれる。
「遅くなりました」
言いながらロードがすばやくシリウスに寄った。
フェリオ含むシャムール兵団代表のふたりがさいごの到着らしい。シリウスは早馬にてすっ飛んできた部下ふたりへ労わることばをかけ、フェリオに目線を移す。
「わるかったな、観光中に」
「いや。そんなことは──いったい何があったんだ。おれが居てもいい話なのか?」
「むしろ貴方にもいてもらった方がよい話です」
と、口をひらいたのは唯一席についていた男である。
彼は査問会でディレクションをつとめた蓮池千昭だった。たしか、閣府の事務方を担当しているとどこかで説明を受けた気がする。
フェリオはふたたびシリウスを見た。
「なにがあった、シリウス」
「…………」
シリウスが身を避けた。
目に入ったのは、テーブルに広げられた一枚の地図。どこかの邸の見取り図のようである。各部屋から線が伸びてこまかく記載がある。内容からしてどうも戦略図のようだが。
「……これは?」
「王家別邸の地図」
と。
答えたのはふたたび蓮池だった。彼は席を立ち、つかつか歩み寄って見取り図を指さす。
「シャムールから閣府に来られたなら前を通ったでしょう。近衛師団がばかみたいにうろたえているあのお邸ですよ」
「ああ──たしかにあわただしいようすだった。いったい、」
「今から約三時間前、王家別邸が占拠されました」
蓮池がつぶやいた。
会議室内の空気がさらに張り詰める。フェリオはもちろんのこと、背後に待機するロードとノアから息を呑む音が聞こえた。
──王家別邸が占拠?
──どういうことだ。
フェリオには分からない。みな、蓮池のつぎのことばを待っている。
彼はつづけた。
「首謀者は狂信集団アルカナ、その教祖シオン」
「アルカナ、……」
「現在、別邸内に滞在していた一部王家の人間や使用人を人質に、占拠をつづけている模様。邸内に教祖シオンがいるかは不明。近衛師団からの情報だと少なくともふたりの使用人がすでに殺害されているらしいと報告があがっています」
「!」
閣府内に動揺が走った。
アナトリア地区長の蒼月がぐいと前に出る。
「目的は」
「彼らの主張は過去から一貫しています。【レオナ教に対する不信感、現レオナ十世の退位要求と教祖シオン新国王としての確立】。あとは、直近の暴動によって捕縛された仲間の解放要求も」
「むちゃくちゃだ」
ノトシス地区長のハオは吐き捨てるようにつぶやいた。
するとフェリオの背後にいたロードがスッと手を挙げた。
「ここへ駆けるその時まで、シャムール・ラルバでもアルカナの暴動が発生していました。それを治めていたところにこの報告です」
「ラルバでも暴動? ……」
と、シリウスはわずかに眉をひそめてそれだけぼやく。
割り込むようにハオがテーブルをたたいた。
「いい加減手ぬるいんじゃァないかね。なんだかんだとアルカナを放置してきたわれわれにも責はある! 即刻アルカナの根城を突き止めて戦を仕掛けるべきだッ」
「その前に占拠するやつらをどうにかすべきだろう、ハオ。熱くなりすぎだ」
とデュシス地区長であるルカがほんのりとほほ笑む。
それから蓮池を見た。
「今後のうごきは?」
「近衛師団のウォルケンシュタイン師団長が、現在突入の段取りを取っているところです。向こうさんは地区兵団と足並みを揃える気がさらさらないようですから……おそらく、近衛師団単体で始末をつけるつもりかと。相違ありませんか、クレイ地区長」
「レオナルトは少なくともそうお考えのようですね。ただ、パブロがそれを許すかどうかはべつの話でしょうが。……」
これまでずっと黙っていたセント地区長のクレイがつぶやく。パブロ、とはたしか閣府長スカルトバッハの名前である。
確認したい、と蒼月が挙手をした。
「現在人質となっている王家の人間は? レオナ様の居所は掴めているのか」
「まだ近衛師団からの報告は挙がっていません。しかし近ごろのレオナ様は王居よりも、別邸におられることの方が多かったご様子。この分だと最悪の想定も必要かもしれません」
「こんなこと、年始の啓示にはなかったぞ!」
ハオはなおも声を荒げる。
しかし蓮池はすかさず反論した。
「秘匿黙示にはあったのかもしれません。閣府長や司教様、レオナ様だけが知っていた可能性もる」
秘匿黙示──このことばに、各地区長たちは重々しく口をつぐんだ。おなじく動揺している。口にこそ出さないものの彼らは確実に不安に駆られているのである。なにせこれまで、与えられてきたレオナの啓示によってその平穏を保ってきたのだから。
あらためてフェリオは疑問を抱いた。
──なぜいま、自分はここにいるのか。
王家別邸占拠は重大な事件であるが、あえてフェリオを同席させる意味は見えない。フェリオがここにいたところでどうしようもない。あるいは何か協力させられるのか、などと考える。表情に出ていたのか、蓮池が眼鏡の奥の瞳をまっすぐフェリオに向けた。
「さて、この件が発覚してから早々、アルカナから直々に犯行声明が閣府へと送られてきました。……フェリオさん」
彼の声色が低くなる。
「あなたアルカナとどういう関係なのですか?」
耳をうたがうことばとともに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます