Ep16. Another dimension

 不穏なスタートから一変。

 峠を下りて町に入ると、その清々しい空気が気持ちいい。毒蛇の脅威などすっかり忘れてフェリオは町を見て回った。ノトシス・蓬莱のような雑踏は微塵もない。人々はみな勤勉にはたらき、ご近所同士であいさつをする際もにっこりとほほ笑み合って会釈をするばかり。

 寒い環境で育つと、むだに口を動かすことをしなくなる──と大陸にいたころに聞いたが、まことらしい。どちらかといえば無口な方だとおもっていたフェリオだが、シャムールにいるととんでもない。自分がお喋りになった気分だった。

 それにしても、ととなりを歩くロードを見る。

「お前さんはシャムールらしからずずいぶんお喋りだな」

「心外ですねェ。プライベートは喋りませんよ、ただ地区兵団での仕事となると──シリウス地区長もノアも最低限しか喋らない。まあ喋らない。なのでわたしが補足説明などして兵団をまとめているんです。いまだってそう。ふたりともむっつり黙ったらフェリオが困るでしょう。こう見えて気配り屋さんの苦労人なんですよ」

「へえ。そうなのか」

 と、ノアに顔を向ける。

 彼女は無表情のまま、しかし妙に感情を込めて首を横に振った。

「違うみてえだぞ」

「こらこらノア。適当かましちゃいけませんよ、君が喋らないのはホントのことじゃないですか」

「…………オンオフともに、ロードのしゃべりは長い」

「そういやきのう、シリウスと会ってすこし話した。そんなに無口な印象もなかったがなァ」

「ま、シャムール出身といってもお喋り好きな人間くらいいるということですよ」

 ロードは嘯いた。


 シャムール・ラルバの大通りの先には工場地帯が見える。

 定期的に聞こえてくる砲撃音は、武器製造の過程での試し撃ちらしい。こうして日に数度は試射音がとどろくのもシャムール名物なのだと聞いた。しかし武器と言ってもそうそう使用機会があるものか──とロードに尋ねると、彼は肩をすくめる。

「これまではあまり活発ではなかったんです。が、昨年の年始啓示を受けた際に、シャムールは『大物武器製造を増やす』未来を告げられまして。おかげで近ごろはこうして精力的に稼働しているんです」

「啓示か……」

「そうだ。サンレオーネにはもう行かれましたか?」

「いや、明日向かう予定だよ。その旨をきのうシリウスに伝えた」

「嗚呼」

 と、ロードがいつもの微笑を浮かべたまま閉口した。

 なにか問題があるのかと聞くと意外にもノアがゆっくりと口をひらいた。

「……サンレオーネに行くなら気を付けて」

「なに?」

「…………」

 しかしノアはふたたび押し黙ってしまう。

 それを受けてロードが微妙な顔で口をひらいた。

「サンレオーネについてこれまで、なにか話を聞きました?」

「いや──文献でかるく読んだ程度だ。始祖レオナが降臨した聖地だと」

「そうですね。まさしく聖地、神殿にさえ降りなければあの遺跡群は観光名所のひとつとなっておりますから、みなたいがい行ったことがあるはずです。しかしあそこは……少々おそろしい場所ですよ」

「どういうことだ」

「言葉にするのはむずかしいですが、そうですねェ。なんといったらいいのか。とかくあそこは、」

 神代で時が止まっている、と。

 ロードがつぶやく。神代というと、始祖レオナが降臨した千三百年近くむかしにまでさかのぼるだろう。かつてレオナは神でありながら、現代のサンレオーネと呼ばれる場所でおよそ千年ものあいだ人々と共生した。

 大陸侵攻を食い止めるため力を使った代償に、いのちを落としたレオナ。彼女の死後、サンレオーネの深層である神殿には代々レオナを除き、だれひとり立ち入ることをゆるされてはいないという。

 もちろん神殿に入ったことはありません、とロードはつづけた。

「しかしあの城壁都市遺跡に一歩足を踏み入れると、正直なところ……通常では理解し得ない現象を目の当たりすることがある。なんといったらいいのか、サンレオーネの奥に行けば行くほど、いまだに始祖レオナの力が残っているとすら思わされる」

「具体的には?」

「物体がかってに動いたり、人が一瞬にしてべつの場所にいたり、人智を超えた力を見ることがある」

「とはいっても、代々の国王レオナだってその力を受け継いでいるんだろう。大陸出のおれからしたら信じがたいが──力の存在自体はそうおどろくことでもないんじゃないのか」

 というフェリオに、ロードはうすいくちびるを歪めてわらった。

 ここだけの話、と声をひそめる。

「代々の国王レオナは、始祖レオナほどの力はありません。王が代替わりする際、かならず継承の儀をおこないますが、それはかたちだけにすぎないのです。もちろんレオナ様が黙示を聞き、それを民におろすというのは本当とされていますが、しかしそもそも神であった始祖レオナと、しょせんは人間である子孫レオナたちでは次元が違う。やはり子孫レオナたちも、生きる次元はわれわれとおなじなのですよ」

「まあ、そうだろうな」

「…………サンレオーネは、次元がちがう」

 ふとノアがつぶやいた。

 彼女はゆっくりと澄みわたる冬の空を見上げて、なにかをさがすように視線を泳がせる。長くてまっすぐな濡羽色の髪がふわりと風になびき、それはそれはうつくしい。フェリオはおもわず波立つ髪を見つめた。


「…………神代の力、彼の地、そのもの。長く居続ければ──人を辞めることになるかもしれない」


「人、を」

「あくまでもうわさです」

 ロードはからりとわらった。

「むかし、近衛師団の警戒をかいくぐりサンレオーネ深層へ侵入した輩がいたそうです。遺跡群をめぐる程度はなんら支障ありません。しかしその侵入者は深層にある聖域、神殿にて一晩を明かしたらしい。するとどうしたことか、男は朝になるなり神殿から飛び出して、巡回中の近衛師団に泣きついたんだそうです」

「獣にでも襲われたか」

「いえ。おそろしいものを見た、と」

「おそろしいもの?」

「男は朝日を浴びるとまもなく、意識朦朧として抜け殻のようになってしまったそうです。まもなく亡くなってしまった」

「…………」

 男が遺したことばがあります、とロードがつぶやく。


「『人は知らぬ方がいいこともある』」


 ゾッとする声だった。

 となりに立つノアも、空を見上げていた視線をロードに向ける。

「中で……男はいったいなにを見たんだ?」

「さあ。それは、男にしか分かりません。それ以来神殿への道は近衛師団の警備が強固になりましたしね。いずれにしろ神殿内部はことさら禁忌の場所として封鎖されてしまった」

 サンレオーネの神殿。

 このとき、フェリオの胸の内に突如膨れ上がる衝動があった。


 ──神殿に行きたい。

 ──その地でなにを見たのか。

 ──どうしようもなく知りたい。


 人をも狂わす禁足地。

 視線を感じる。

 大通りの横道、フェリオが目を向けた。闇のなか。また──。

(フードの、)

 闇に浮かぶ顔がにやりとわらった気がした。

 直後、町のなかにけたたましく鐘の音がひびいた。

 そのとたんにこれまで静かに暮らしていたシャムールの人々が、不安げに周囲へことばをかけ、身を寄せ合う。

 カンカンカンカンカンカン。

 いったいどうした、ととなりのロードへ目を向けた。が、彼のすがたは馬とともに消えている。そばには細剣を抜いて構えるノアのみ。

 ロードは、とたずねた。

 ノアは表情を崩さずつぶやいた。

「…………暴動」

「──またか!」

 滞在四日目。

 またしてもフェリオは、狂信集団アルカナの暴動に巻き込まれてしまったようである。

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