Ep15. Poisonous snake
シャムールはしずかな地区である。
フランキスカから主要都市ラルバまでの道往きは、壁のようにそびえたつ山脈の合間合間をくり抜いてつくられた
ベージャは寒さもなんのその、うつくしいピンクゴールドのたてがみを朝露に濡らしながら、狭い切通をすいすいと進む。フェリオを挟むように前後をすすむシャムール兵団のふたりも、赤毛の馬に乗って慎重にラルバへ向かった。
道中、ロードはよく話した。
前をゆく彼は時折フェリオと足並みを揃えながら、大陸についての話を聞いたり、逆にシャムールについての話をしたり。対するノアは能面のごとく眉ひとつ動かさずに黙ってうしろをついてきた。
体調でもわるいのかとロードに尋ねると、彼はハハハ、と快活に笑い飛ばす。
「単におそろしいほど無口ってだけです。ノアは、必要なときにしか口をひらきません。いずれいまがどういう機嫌なのかがわかってきますよ。慣れです、慣れ」
「そういうもんか」
「聞きましたよミスターフェリオ。ノトシスの大食い娘を篭絡したというじゃありませんか。あの珍獣みたいな娘、どうやって手なずけたんです。その手腕をぜひともお聞きしたくて」
「ろ、篭絡ってなァ人聞きがわるい。シーシャのことだろ、べつに手なずけちゃいねえ。はなから心をひらいてくれていたよ」
「それにデュシスのぶりっ子くん。早々に正体をあらわしたって。やりますねえ」
「……ラウルのことか? ありゃあ、少しからかっただけだ」
とフェリオは乱暴に頭を掻く。
それから、うしろをついてくるノアをちらと見てから、ふたたびロードに目を向けた。
「そういやそのふたりも、アナトリアの比榮も、ノアも。副官ってのはみんなずいぶん若いんだな。いや若いっていうよりむしろ幼いくらいだ」
「地区兵団は完全に実力主義ですからねえ。兵団員にはそれぞれ、得意な武器があります。その立ち回りにくわえて、戦場での計略、索敵、判断、もちろん人柄など、さまざまな能力が総合的に高い人間が選出されるんですよ。幼いころからそういう訓練に特化していれば自然とおとなよりも勘を掴むものです」
「幼いころから──か」
ふしぎな話だ。
厳しい潮流によって外部から守られたこのエンデランドに、いったい今さらどんな敵が襲いくるというのか。あるとすれば内戦への構えか、あるいは現在引き起っているアルカナの対暴動のためか。
なんにせよ、子ども時分から戦場での立ち回りをおぼえさせるという現実には、フェリオはしょっぱい気分にさせられる。かくいう自身がそうであったから。
たしかに、とロードは馬に揺られてほくそ笑む。
「副官の彼らは似た境遇ではありますね。比榮を除いて、親のいないみなしごばかりです。ラウルとシーシャの親は生きていますが育児放棄。ノアの親は事故で他界しました」
「……かわいそうに」
「レオナの啓示があれば人はおだやかに過ごせる──というのはけっきょく、健常な中に生まれて健常に日々を過ごせる”ふつう”と言われる人間だけ。少しずつ健常からずれた中に生まれ出で、ささいなボタンの掛け違いから心を病んだり、道を外したりした人間には、もはやレオナの声も届きません。貴方の生まれた貧民窟ほどではないにせよ、やはり貧富の差というのは多少なりありますしね」
「そういう民は、地区長や閣府がどうにかするのか」
「子どもが育てられんというケースなら、ラウルたちのように地区兵団で引き取って、兵士として育てます。しかし心身を病んだ程度なら、だいたいは身内や同町内の人間たちが助け合って支えているようです。レオナの声が聞こえなくなったその者に代わって、町の仲間たちが啓示を聞き、そのとおりに動く。するとふしぎなことにいずれよくなることも多いのです」
ただ、とロードの笑みに陰が差す。
「もはや周囲には耳を貸さず、仲間にすら敵意をむき出したことによって居場所のなくなった人間は──さてどうなっているのか。たいていは死体で発見されます。あとはアルカナという狂信集団に参加して行方をくらます者も」
「アルカナ」
一昨日、昨日と二日連続で暴動を起こした。
昨日にいたっては直接フェリオが乗っていた馬車が狙われたのである。もはやフェリオ自身も聞き流せないほどに関心は高くなっている。ロードの耳にも昨日の暴動のようすは入っていたらしい。
なぜか楽しげに声を弾ませて、
「いのちを狙われたんですって?」
と問うてきた。
「勘弁してほしいね。こっちはただの観光客だっていうのに」
「そうとも限りませんよ。なにせ話によれば、貴方の来訪は黙示によって予言されていた、というではありませんか」
「それは──」
レオナのことばだ。
あの齢十ほどのちいさな少女。彼女が、消え入りそうな声でフェリオに言った。それがどういう意味なのか、どれほどの影響力を持つのかは分からない。が、あのときの中央閣府会議室内の空気は尋常ではなかったような気もする。
フェリオはロードを見た。
「なにか問題が?」
「さあ。われわれ下っ端にはとてもじゃないが判断できませんよ。せいぜいその意味を知るのは、スカルトバッハ閣府長やグレンラスカ司教くらいのものでしょう」
「レオナの啓示は島の民たちみんなが聞くんだろう。おれが来るという啓示は聞いていなかったのか」
「レオナ様が記した黙示録の内容が、すべてわれわれに下るわけではありません。民が聞かされるような啓示というのは『凶作の兆しあり、田畑を布で囲い、水はけをよくするべし』とか『大雪の兆しあり、薪を割る量を増やすべし』とか。まあ天災についてのことが多いのです。此度のような、国家的重大事案などの【
シャムールの主要都市ラルバです、と。
ロードがゆっくりと指をさす。
やがて切通がひらけた。眼下にはラルバの町が一面に広がった。ほかの地区とはまたちがい、大陸にもっとも近い近代的な光景が目に入る。工場や採掘場から出たり入ったりする工員たちのすがたも。
「文明が進んでいる」
「常冬の地区は食物などに恵まれませんからね。その分、こうした技術力を必死に高めて生存してきた努力の地区です」
「なるほど」
おもしろい、といってフェリオが愛馬ベージャからおりる。
ここからはこの峠を下るだけ。常冬といってもセント地区で寒さには慣れた。すこしひと休みをしようとおもってのことだった。するとこれまで終始無言を貫いてきたノアが、ふいに馬から飛び降りる。
「危険」
といって腰元からすらりと細剣を抜いた。
直後、フェリオの足元にうごめく蛇をひと突き。細い剣先にするどく身体をつらぬかれた蛇は、声にならない断末魔をあげてひとしきり身体をくねらせると、やがてくたりとおとなしくなった。
突然のことにフェリオは目を丸くする。
「おお、ありがとうノア。ぜんぜん気づかなかった」
「毒ヘビ」
「ふしぎなもんだな、常冬の場所に蛇がいるなんざ」
「ええ、ほんとうに不思議なことです」
と、ロードの声にわずかな尖りが見えた。
おなじく馬から降りた彼の顔に、これまでの笑みはない。
「きな臭くなってきましたね。急いで山を下りましょう」
「なんだ。とつぜん」
「……もしかするとフェリオ、貴方の来訪はわれわれが思った以上に」
深い意味を持つのかもしれませんね、と。
ロードはノアと顔を見合わせてちいさくつぶやいた。
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