Ep14. Guides from Winter

 ランゲルガリア邸内を歩く。

 ベージャは、ランゲルガリアの厩につないできた。「テミリアに戻りたい」と駄々を捏ねるかと心配したが、彼女は労りの愛撫をするフェリオの手のひらに顔を擦り付け、いつまでも待っていますと言わんばかりに鼻をならした。

 それからフェリオは、豪勢に振る舞われた夕食を食べ、昨夜の書斎へ向かうところである。

 クレイ地区長は別室にて来客対応をしている、と執事から教えられた。とくに問題はない。いまフェリオが求めているのは過去を記す文献史料ただひとつなのである。

 道すがら。

 廊下の奥からこちらに歩いてくる小柄な男に遭遇した。男の顔には見覚えがある。初日にひと言交わしたシャムール地区長、シリウス・F・クロムウェルだ。むこうも気がついたようである。

 歩む速度をゆるめ、フェリオの前で足を止めた。初日は緊張のせいで気が付かなかったが、この男。

 小綺麗な顔立ちである。

 彼の漆黒の髪は、その透き通る白肌をなおさら強調させ、その小柄な体躯も相まっていっしゅん男性かすらうたがわしいほど。フェリオは控えめに頭を下げる。

「シリウス──いや、クロムウェルさん」

「シリウスでかまわねえ」

「ああ、どうも……シリウス。まさかここで会えるとは」

「野暮用ついでにあんたに会いに来た」

「おれに?」

「明日はシャムールに来るんだろう。いちおう挨拶くらいはしとかねえとな」

 昏い瞳ながら、その口角はニヒルにあがっていた。思ったより無口で取っつきにくいというわけでもなさそうだ。

 フェリオはポリ、と頬を掻く。

「こちらこそ面倒をかけちまって……案内は兵団員の人がやってくれるのかい」

「ああ。明日は士長と副官をふたり、この邸の前に向かわせる。が、シャムールまでの道は難所が多いんで馬車が不都合だ。話によると馬を手に入れたようだな。長距離移動の経験は?」

「朝飯前だよ。今日だって、テミリアからフランキスカまでぶっ通しで走ってきた」

「なら明日は馬での移動でお願いしよう。心配いらねえ、フランキスカからシャムール・ラルバまではほかのどの地区より距離が近い」

 用事はそれだけだ、といってシリウスはさっさと足を一歩踏み出した。しかしフェリオがそれを引き留めた。先ほどのルカのことばを思い出したからである。

「シリウス、明後日──サンレオーネに行きたいとおもってる。ルカから『シリウスにひと言伝えた方がいい』と聞いたんだ。構わないか」

「…………サンレオーネか。把握した。兵団員に伝えておこう」

 と。

 シリウスの顔がわずかに強ばったように見えた。が、それはいっしゅんの出来事である。シリウスはこくりとうなずき、今度こそ廊下の奥へと歩いていった。

 『サンレオーネ』──。

 いまだ謎にあふれたこの地には、いったい何があるのか。かつて、なにがあったのか。

 フェリオは気を取り直して、本来の目的地である書斎のドアに手をかけた。


 ※

 サンレオーネ。

 その昔、始祖レオナが降臨したと伝わる聖地の名である。あくまでサンレオーネという名は、始祖レオナ死後につけられたものであり、当時なんと呼ばれていたのかは分かっていない。

 フランキスカから数キロ北上した先にある。

 周囲は山林に囲まれ、さらに都市周辺を城壁で囲んだ物々しい雰囲気の街には、大陸はおろか各地区でもそう見ぬ生き物も生息するという。時はレオナが死没したと言われる三百年ほど前で、ぴたりと止まっているらしい。

 対するその始まりは、遠い。

 詳しくは分かっていないものの、レオナ降臨はいまからおよそ千二百年前に起こったのではないか、とされる。当時この島は、前人未開の密林島であった。船の技術も未発達だった当時の大陸では、どうやら島があるらしい──と噂はあれど、だれひとり向かう者はいなかった。

 伝記によれば、レオナが降臨したころの島には、どのように紛れ込んだか、あるいはこの地にて生み出されたものか──少数の原住民と多くの動物が生息していたとされる。

 降臨からおよそ五百年、史料はいずれも空白である。文字はおろか文明すら怪しかったのだろう。残された記録はなにもなく、詳しい経緯は分かっていない。

 しかし、現在のサンレオーネに数々残された遺物のなかには、およそ人の力だけで作るには不可能だとされるものも多くある。

 大陸からの流罪人が流れ着くようになったのは、エンデランド創建よりおよそ三百年ほどむかし──レオナ降臨から五百年経ったころから。当時レオナを取り巻く原住民は、現在のサンレオーネ付近にちいさな集落を構えていたが、文明のなかを過ごした大陸人たちの知恵と努力によって、このエンデランドは急速に進化することとなる。


 ────。

 フェリオ様、と肩を揺すられ起こされた。

 いつの間に眠ったのか、書斎のテーブルに突っ伏した形で目を開ける。ゆっくりと身体を起こす。節々がバキバキと悲鳴をあげた。朝まで身じろぎせずに寝ていたのだ、むりもない。

 パッと顔をあげると、ランゲルガリア家のメイドが苦笑していた。

「朝食のお時間です」

「──もうそんなか」

「お身体大丈夫ですか」

「問題ない、大陸の人間はタフなんだ」

「ご無理なさいませんよう」

 と、メイドは恭しく頭を下げて書斎から出ていった。

 机には昨夜読みふけったサンレオーネに関する伝記本が、広げっぱなしになっている。あわてて本を本棚につっこみ、フェリオは身支度もそこそこに朝食の広間へと向かう。


 飯を食い終わるか否かのときである。

 邸前に迎えが到着した、とメイド長が報せてくれた。ともに朝食を食べていたクレイは、布で口元を拭く。

「今日はシャムール・ラルバまででしたね」

「ああ。今日は馬車もねえから、暖かくしていかんと。……」

 言いながらフェリオは彼女のようすをうかがった。

 昨日の別れ際、デュシス地区長のルカが言ったことばを思い出している。

 ──ランゲルガリアには、気をお付け。

 あれはいったいどういう意味か。出会ってからいままで、特段彼女に対する不信感はない。ただの内輪揉めか、あるいはルカの好き嫌いによるものか……。ふと、クレイがフェリオを見た。ばちりと目が合う。

 彼女はにっこり微笑んだ。

 なんだか気まずくて、フェリオはあいまいに笑みを返すとすぐに目をそらした。切り替えよう。とにかくいまは、シャムールの使者たちのもとへ行かねばなるまい。

 残りのスープをかきこんで、フェリオは「美味かった」とシェフにひと声かけるや、そそくさと席を立った。

 

 やっと来ましたね、と。

 邸の前に立つ男がにこやかな笑みを浮かべて言った。黒の外套をまとい銀縁眼鏡に肩ほどまでの黒い髪、すらりと長い脚はこちらも真っ黒なズボンとブーツをまとう。黒づくめ、を体現する男であった。

「待ちくたびれましたよ、ミスター」

「すまん。うっかり寝過ごしちまった、ええと……なんだ。シャムールの使者はひとりか?」

「いえ、うちも士長と副官です。もうひとりはむこうの厩に。ノア~、来ましたよ」

 と、眼鏡の男が厩の方へさけぶ。

 するとまもなく中からのそりとひとりの少女があらわれた。漆黒の長い髪に透き通るような白い肌。むっつりとフェリオを見て、カクッと目礼する。無口なのだろうか。

 改めまして、と男がにこやかにほほえんだ。


「われら常冬のシャムール地区兵団。わたくし士長のロードと、副官のノアです。本日は長丁場になりますが、どうぞよろしくお願いします。ミスターフェリオ」

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