Ep10. Successor
ランゲルガリア家の書斎には、壁の両側に本棚がそびえたち、一分の隙もなく本が詰められていた。背表紙のタイトルごとに項目分けされており、調べものには最適な空間である。
すごいな、とフェリオは感嘆の息を吐く。
「さすがはレオナ系譜の御三家だ」
「まったくばかばかしいことですわ」
と、クレイは冷めた目で本棚を見上げる。
想像していた返答ではなかった。フェリオは本棚から彼女へ視線を移した。
「ばかばかしいとは?」
「いったいいつの話をしているのかしら──とおもって。血脈がどうのと言ったって、その血はほとんど薄れています。けっきょくレオナの力が発現されるのは現代国王の系譜のみ。因習にとらわれて生き続けることほど、おろかなことはありません」
「意外だな。貴女はもっとレオナの王家という責任に忠実かとおもってた」
「ランゲルガリアの名を背負う以上、もちろん表立っては言えませんよ。けれどみな心のどこかでそうおもっているはずです。血脈を重視して跡継ぎを決める以上、たとえそれがどんな愚者であっても、あとを託さねばならないのですから。……」
妙に実感のこもる声色であった。
ふと、いまの話に違和感をおぼえる。フェリオは本棚に目を戻してからそれとなく問うた。
「力の発現が現代国王の系譜のみ──ってのは、どういう意味だ」
「え?」
「レオナの子どもは四人だったのだろう。スカルトバッハ、グレンラスカ、ランゲルガリア、プリメール──しかしそのうちプリメールは子を成さなかった」
「ええ」
「じゃあ、いまのレオナはいったいどこからの系譜なんだ? 三人の系譜はそれぞれアンタらにつながるんだろう。ポッと出てきたようにしかおもえない」
この問いかけに対する答えを待った。
が、クレイは考えるそぶりを見せたまま固まる。およそ二分ものあいだ沈黙をつづけ、ようやく顔を上げたときにはその目が本棚へと滑っていた。
「レオナが千年生きた、というのはご存じですね。レオナが生きているうちは当然ながら、だれも力を持ってはいなかった。けれどレオナが倒れたころ、……そう、つまり千年後のレオナ子孫たちの時代です。そのとき、死の間際にレオナがとある少女へ力の継承をおこなったと──どれかの史料に書いてありました。……これかな」
「その少女については分かっていないのか」
「ええ。スカルトバッハ、グレンラスカ、ランゲルガリア──彼らの子孫は千年も経てば無限に広がっていたでしょう。我ら御三家はあくまで、レオナの子どもたちからたどって代々家を継いだ長子の家にすぎません。継承を受けたのは、分家も分家。そのうちの誰かだろう、と」
「ふむ……」
フェリオも数冊を手に取ってみる。
羊皮紙はかなり古く、慎重にめくらなければボロボロと崩れかねない。ゆっくりと表紙をめくる。中身は古代の大陸語で書かれていた。読みにくいが、まったく読めないこともなさそうだ。
となりで本をめくるクレイの手が止まる。
「ありました。『レオナ暦一二〇年、大陸侵攻を神風高浪にて退けしレオナ、神殿にて倒る。デュシス・ビスパーニャの外れに住む少女ルーニャを呼び寄せる』……デュシスに住む少女だったんですね」
「ルーニャ──なぜレオナはセントに住む身近な王族たちでなく、地区を越えたところに住む少女を指名したんだ」
さあ、と彼女は肩をすくめた。
史料にある以上のことは、当然分かるわけもない。しかしクレイなりにおもうところはあるようで、これまで崩さなかった涼しげな顔に、わずかな憎しみが浮かんだ。
「いずれにしろ、我々御三家と呼ばれる家は何もないのです。かつて先祖に神のような存在がいたかもしれない──ただそれだけの曖昧な希望にすがって、必死に権力を手放すまいとしている。……本来ならば血脈などより、人柄や実力をもった人間が務めるべきことなのに」
「…………」
言わんとすることは分かる。
むしろフェリオも、大陸にいた頃はおなじ気持ちを抱いていた。
分かるよ、とフェリオは苦々しくつぶやく。
「初代や二代目が有能だとしても、その後に生まれ出でる人間がかならずしも有能なわけじゃない。大陸にいればそれがはっきり分かる。戦が始まれば、たいていは無能な王が追放されたものだった」
「…………」
「そりゃ、実力主義にも多少の歪みはあるだろう。だからどっちが良いわるいなんてのは、一概に言えないけれども。しかし血脈に縛られるのは──俺もおかしいとおもうよ」
というと、クレイの顔は出会ってからいままでで初めてうれしそうな笑みを見せた。
「貴方とは、もっと早くにお会いしたかった」
「いまからだって大陸に出ていけばいい。クレイなら、いろんなものが見えてくるはずだ」
「わたくしには──魔の海峡を越えられる自信は、もうないわ。気付けばすっかり年を取ってた」
お互い、顔を見合わせて肩をすくめる。
それから、いますこし史料を調べようと本棚を見上げたフェリオに、クレイは呆れた顔でほほえんだ。
「フェリオさん。明日はデュシスでしょう、ここの本はお好きに持ち出して構いませんから、もうお休みになってください」
「ああ──もうこんな時間か。付き合わせてわるかった」
「それはいいのです。ただ、昨日までの航海でかなり無理をされたのですから。お身体に障りますよ」
「本をえらんだら寝るよ」
「そう……おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
クレイは名残惜しそうに書斎をあとにした。
本をえらんだら──と偉そうなことを言ったものの、たしかに疲労が溜まっているのを感じる。重苦しい肩をぐるんと回し、目についた本を三、四冊ほど手にとって、早々に客間へもどった。
ひとたびベッドに腰かければ、本を読む元気もなくなる。仕方がないので靴を脱いで布団にころがり、目を閉じた。
明日のデュシスでは、いったいどんな発見があるだろうか──と胸に期待を乗せて。
※
ランゲルガリア家の門前に、デュシス地区の紋章をこさえた馬車が停まっている。
支度を済ませて外に出る。冬らしい寒風が身を刺す。ランゲルガリアに借りた外套の袷を引き寄せると、馬車からふたりの人間がおりてきた。リベリオとラウルだ。
ラウルは寒さにもめげずにっこりわらった。
「おはようございまぁす!」
「ああ、おはよう。わざわざ迎えに来てもらってわるいな」
「ぜんぜんわるくないの! ルカさんからのお願いだし、ぼくも英雄とお話したかったし!」
と、少年はからだを揺すった。
自身の可愛らしさが武器になると分かっているのか、前面に押し出してぶりっこを決めている。これまでのフェリオの人生で周囲にはいなかったタイプ。どう扱ったものかとリベリオを見ると、彼は彼で、寒さゆえか外套の襟元で顔の半分まで隠したまま動かない。
よほど寒いのがにがてらしい。
「寒いだろう。はやく馬車へ入ろう」
「ね、ね。フェリオって呼んでいい?」
「好きに呼んでくれ」
「わーい! あーもう、ほらリベリオはやく。テミリアまでちょっとあるんだから」
「サムイ……うごけない」
「デュシス入ったらマシになるってば! 馬引きさぁん、おねがいしま~す!」
と、ラウルの合図で馬車は走り出した。
馬車のなかでは、ほとんどラウルの独壇場だった。もともと話す方でもないフェリオと、フェリオに輪をかけてしゃべらないリベリオ。といっても、彼はただ寒いあまりにくちびるが動かないだけのようだが。
それでも、セントからデュシスへ入るころにはだいぶ寒さも和らいで、秋らしい陽気が出てきた。道行ではほのかに金木犀の香りも感じられる。ほんとうに秋に来たのだな、とフェリオは頬をゆるめた。
ラウルは先ほどから、各地区兵団員の──とくに汐夏の──話に夢中である。
「って言ったらね、シーシャが」
「ラウルうるさい。その話もう三回目」
「な、フェリオはまだ聞いてないじゃん!」
「おまえの話、だいたいオチが見えるんだもん。ね、フェリオ」
「あ──オチというか。なんだラウル、おまえシーシャに気があるのか」
「!」
これまで饒舌に滑って止まらなかったラウルの口が閉じる。
みるみるうちに柔肌に朱が差す。それを見るや、これまで表情から身じろぎまで微動だにしなかったリベリオが、はじけるように笑い出した。
「ぎゃははははっ。オメーバレバレなんだよ。さっきからシーシャシーシャって、何回言ったかおぼえてる? 三十五回」
「なっ、なんで数えてるんだよ!」
「ははは、いいじゃねえか。シーシャは可愛いよな」
と、フェリオなりにフォローを入れてみる。
しかし齢十二、三歳の少年にはストレートすぎたようだ。彼は一気に手のひらもキャラも変えて、
「べつにかわいいとかおもってないよ、あんなブタ!」
と口汚くののしりはじめる始末。
ふとフェリオが馬車の外に目をやり、「あ、シーシャ」とつぶやくと、ラウルは飛び上がって馬車の天井に頭をぶつけた。それを見てまたわらうリベリオ。あやまるフェリオ──。
テミリアまでの道のりは、エンデランドへ上陸してからいちばん騒々しいものとなった。
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