Ep9. Birdsong
近衛師団は、まもなく酔っ払いの喧嘩を収めて立ち去った。
二メートルはあろうかという巨体に射すくめられ、すっかり恐縮したフェリオであったが、汐夏ののんきなあくびに救われた。
「ふあ~ァ。アイツ図体でかすぎネ」
「──彼も王族?」
クレイを見る。
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「セント地区において唯一レオナの血族でないのがウォルケンシュタイン家です。血族でこそありませんが、始祖レオナ存命の折からずっと、従者としてもっともレオナの近くにいることをゆるされた家と言われています。ですから末端王族などよりもよほど、ウォルケンシュタインの方が格は上なんです」
「はあ。……」
「くれぐれも彼ら近衛師団の前で問題行動は起こしませんよう。彼らは少々融通が利かないことがありますから」
利かなそうだ。
と、フェリオは深くうなずいた。
寒いから場所を移動しよう、というハオの提案を受けてパルック広場から中央閣府内、大広間へ足を進めた。広間奥には大きな暖炉が据え付けられており、外の寒さが嘘のよう。
広間一面、バイキング形式に料理がふるまわれ、ぽつぽつと人も出入りしている。
中にはアナトリアの蒼月と由太夫、比榮のすがたがあった。ほかにも昨日の査問会で顔を合わせた人間の顔がちらほらと見て取れる。そのうちのひとり──デュシス地区長であるルカ・ディ=ローレンが、フェリオを見つけるなり駆けてきた。
両手には大皿を携えて。
「やあ、英雄だ!」
フェリオの前につくなり、大きな声でそう言った。
その声を受けて会場の人間がぱちぱちと拍手する。たいそう居心地のわるい顔で、フェリオは身を縮めた。
「どうも。あー、ローレンさん」
「僕のことはどうぞ、ルカと呼んでくれたまえ。僕も遠慮なくフェリオと呼ばせてもらおう」
「お好きに」
昨日からずっと彼だけは終始フェリオに対して好意的だった。その真意は見えないが、こうして話す限りでは、もともとこういう性格なのかもしれない。いつ見ても陽気にわらっている。
「ノトシスに行ってきたそうだね。どうだった、暑苦しい地区だったろう!」
「おい。ノトシスの人間を前にしてそう堂々と悪口を言うもンじゃねーぞ」
「真実を言ったまでだよ。僕はきらいじゃないけれどね、情熱的でいいじゃない。でもあの暑さだけはどうも……それで明日は? もちろんデュシスに来てくれるだろう?」
「あ、ああ。とくに決めちゃいなかったが──まあ、春、夏とくりゃつぎは秋だろうな」
「ああそうとも。じゃあ先にうちの兵団員を紹介するよ。明日はいろいろと君の世話をすることになるだろうから、あ。でも僕に案内してほしいというのなら遠慮なく言ってくれてかまわない。どんな仕事も放りだして君のもとへ駆けつけるよ」
「い、いや」
フェリオはたじろいだ。
口を挟む隙を与えてくれない。なにより彼はいとしい恋人へ語りかけるかのように、フェリオの手をぎゅっと握って口説いてくるのである。あいにくと男に興味はないので何かしら適当に理由をつけようとハオを見た。
「今日もちょうど、仕事をさぼって士長に怒られる地区長を見かけたばかりだ。遠慮しておくよ」
「やさしいねフェリオ──ふところが海よりも深い。君にそう言われたら従うしかないよ。おいでリベリオ、ラウル!」
と。
ルカが背後へ目を向けた。
バイキングのドリンクコーナーに、ふたりの人間がいた。グラスに入った赤ブドウ酒の香りをたのしむ青年と、となりでニコニコと豚の丸焼きにフォークを突き立てる少年。
酒をひと口あおってから、銀髪の青年はのんびりルカのもとへやってきた。
とろんとした瞳でフェリオやノトシス一行、クレイをひとりずつ一瞥してゆく。まもなく豚の丸焼きで遊んでいた少年もこちらへ跳ねるようにやってきた。
こちらは曇りのないブロンドヘアにやわい肌。瞳にはまるで夜空を湛えるような光を含む、たいそううつくしい少年である。
来た来た、とルカはうれしそうに手を広げた。
「うちの士長リベリオと、副官のラウルだよ。あしたはこのふたりにデュシス・テミリアを案内させるからね」
「──よろしく。フェリオだ」
「あ」
と。
名乗った瞬間、リベリオと紹介された青年がねむそうな目を見開く。
「大陸からの訪問者……」
「きのうルカさんが言ってた人だッ。よろしくお願いします!」
ラウルは上機嫌に頭を下げた。
アナトリア、ノトシスとはまったくちがうニュータイプの登場に、フェリオは内心ため息をつく。まったくどうしていちいちキャラが濃いのだろうか──と。
が、もっとも濃いデュシス地区長は気にしない。
「そういうことだ。明日は最高の時間を送ってくれたまえ、フェリオ。どうせなら今宵はうちに泊まってくれてもかまわないよ。どうする?」
「ああ、」
なんとなくハオを見る。
彼は頭のバンダナの位置を調整しながら、快活に答えた。
「うちでもいいぜ。ルカの家に泊まったらたぶん夜通し寝かしてくれねえぞ」
「ハオの家は暑くて寝苦しいじゃないか、客人を泊めるには不向きだよ」
「なんだと」
「い、いや待ってくれふたりとも。あー、クレイさん」
「はい」
「すこし勉強したいんだ。この島について書かれている書物かなんか、読めるところはあるかい」
というフェリオに、クレイは控えめに微笑した。
「それならぜひ我がランゲルガリア家へお越しくださいな。書斎には先代、先々代が研究してきたレオナの伝承などもありますわ」
「助かります」
「見聞録を書くならばそれも必要でしょう。さあ、喧嘩はおやめなさいふたりとも」
というクレイに、ルカやハオは文句を垂れながらも納得した。
ホッとした。
もちろん見聞録を記すためでもあるが、なにより出立以前に湧き上がっていた衝動が、フェリオを急き立てた。この島について、レオナについて知らねばならぬとおもった。
──待っているぞ。
「!」
とっさに自身の頭に触れた。
出立以前から聞こえてきた声が、脳内に走った気がして。
「おフェリ、どした?」
汐夏が心配そうにこちらを覗き込む。
フェリオはなんでもない、と彼女の頭を撫でた。
瞬間。
感じた視線。
フェリオは広間奥の暖炉へと目を向ける。
薪がくべられ、炎はゆらめき、ぱちぱちと爆ぜる音がひびく。
(どうかしている……)
フェリオは首を振って、ふたたび一行の輪にもどった。
ふと近くからの視線に気が付いた。ぎくり、と肩が揺れた。
「────」
いっしゅん、ルカが真顔でこちらを見つめていたからである。しかしフェリオと目を合わせた瞬間、彼はいつものにっこり笑顔を浮かべて「料理は食べたかい」と大皿を手渡してきた。
そういえばこの宴にもどってからろくに食べ物を食っていない。
ちいさな違和感にはむりやり目をつぶり、フェリオは自分のために並べられた料理をしばし堪能することにした。
※
つめたい石畳の床。
壁面に刻まれた解読不能の記号。
石の壁は、ちいさな音も反響させる。
くすくす。くすくす。小鳥がさえずるような笑い声。
──時は来た。
──このときをずっと待っていたんだ。
──想像以上の男だったよ。
──やはりオレの見込んだとおりだ。
──くすくす。
──どうするかって?
──すべては黙示の通りさ。
──ああ。それは、
──しかし多少の犠牲は仕方ないだろ?
──良い夢から目を覚ますときは、
──すこしくらい痛い目見るものさ。
──くすくす。くすくす……。
石畳に反響する声はしばらくつづいた。
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