Ep8. Mecca
レオナは神か、人か。
この疑問に対してクレイは「さあ」とわずかにほほえんだ。
「レオナは人間の男とのあいだに子を成しました。ゆえに人であると言いたいですが、人は千年も生きますまい」
「ほんとうに、千年生きたのか」
「伝承ではそう伝わっています」
レオナと契った男の名は、ロメオ。
ロメオ・シルクローゼといったそうな、とクレイはつづけた。
「し、シルクローゼ?」
フェリオはつぶやく。
はい、とクレイがうなずいた。
「レオナとのあいだには三男一女をもうけました。長男スカルトバッハ、次男グレンラスカ、三男ランゲルガリア、そして末っ子のプリメール」
「その名前は」
「ええ。現在のフランキスカにて重職に就く者のファミリーネームです。代々、スカルトバッハの系譜は中央閣府長、グレンラスカの系譜は司教、ランゲルガリアの系譜は私のように、セント地区長として。伝承によればプリメールは子を産まなかったそうで、その子孫はいません。ゆえにこの島のなかで重要な場所であるこの大聖堂に、その名を冠したのでしょう」
「…………」
「私の真名は、クレイ・ランゲルガリア=シルクローゼ。セント地区に住む人間はほとんどがこの三人の子孫とされていますから、みなその名の最後にシルクローゼを名乗ります。まあ、ふだんは見知ったものばかり、いちいちつけることはしませんけれどね」
「名前長いヨ」
ぼそりと汐夏はぼやいた。
ちょうど司教の託宣が終わったらしい。礼拝していた教徒たちは、司教へ幾度も礼をすると次々に大聖堂を後にしてゆく。中にはその託宣に感銘を受けたか、あるいはショックを受けたか──涙して歩くこともままならぬ者もいる。
フェリオはそのすがたを目で追った。
「わからんな──」
「なにが?」
「聞いた話じゃ、子どもの名付けまで神に聞くそうじゃねえか。そうまでする気持ちが、さ」
「フ、」
クレイがちいさく噴き出す。
「ここ大聖堂のなかで、とんだ発言ですね」
そのことばに、ようやくフェリオは自分が大失言をしたことに気が付いた。国教とされるレオナ教のメッカで、その教義を否定したのである。宗教戦争のつづく大陸だったらば一発で首をはねられてもおかしくない発言だ。
あいや、とフェリオはあわてて頭を掻いた。
「そういうつもりじゃあない。ただおれがいまいち……神に祈ってこなかった人種なもんで」
「魔の海峡で波に呑まれたときも?」
「死が目前にあるときほど、祈って助けを待つより覚悟を決めるほうが性に合ってる」
「カッコイー」
と、汐夏はあんぐり口を開けた。
口の端からはたらりとよだれが垂れている。不器用な男のことばに、クレイは眉をひそめてほほえんだ。
すべての教徒が帰るのを見届けて、司教がゆっくりとこちらへやってくる。
顎から伸びる髭は首もとを隠すほど長い。クレイと同じくらいの年齢だろうか、こちらに微笑みかける目尻のシワは濃い。
「これはこれは、クレイ。そちらが大陸からの訪問者──フェリオ・アンバースどのですか」
「ええ。向こうで歓迎の宴を開いているのですが、せっかくセントに来ていただいたのだし、すこしご案内をとおもって。この島の見聞録を記したいのですって」
「そうですか。それは良きことです。申し遅れました、わたくしはクロウリー・グレンラスカ。ここの司教です」
「ああ──よろしく」
「司教が大聖堂を空けるわけにもいきませんので、宴は参加できませんが。どうぞ第二の故郷とおもってごゆっくりお過ごしください」
クロウリーは静かに一礼すると、長いローブを引きずって大聖堂の奥へと戻っていった。ふしぎな存在感を持つ男だとおもった。空気のように静かなのに、どっしりと重たく存在する。
フェリオはしばらくクロウリーの消えていった扉を見つめていた。やがて裾を引っ張られていることに気が付く。汐夏だ。
「おなか空いた」
「──戻るか」
「そうですね。いつまでも主役を独占しては、みなに恨まれてしまうかも」
と、クレイもうなずいた。
長椅子から立ち上がり大聖堂の扉へ向かう。重厚な扉を開けがてら、クレイはふと思い出したようにつぶやいた。
「見聞録をお書きになるなら──サンレオーネも、いずれ行かれたらよろしいでしょう」
「サンレオーネ……」
大聖堂から外に出る。
通りの向こう、パルック広場から陽気な歌声が聞こえてくる。汐夏がワクワクと肩を揺らす気配がした
「ええ。始祖レオナが降臨し、そこで千年の時を過ごしたといわれる聖地──ここから北に三キロ行ったところにある、城塞都市遺跡です」
「……ああ、文献で読んだ気がする。たしかそこは禁足地として一般の立入りが禁止されているんじゃなかったか」
「都市の一部なら可能ですよ。禁足地とされているのは遺跡の奥、レオナの神殿だけ。そこは一般どころか王族とて入ることは許されません」
「王族も」
「ただひとり現代レオナだけが、年に一度、レオナの黙示録を作成するために入ることが許されるのです」
「いろいろと決まり事があるんだな」
「そこは追々。きっと、ほかの地区長や兵団員からも説明があることでしょう。みな貴方を構いたくて仕方ないといったようすですから」
「…………」
フェリオはあいまいにうなずいた。
この島には、土着のルールや教義が多すぎる。なにも考えずに乗り込んだものの、果たしていつまでここにいるべきなのか、むしろ気持ち的にいられるのか──図りかねている。
汐夏に手を引かれ、フェリオは足早に中央閣府前に広がるパルック広場へと戻るのだった。
※
広場にたどり着くなり、肩を叩かれた。
ノトシス地区長の欧浩然であった。
「いたいた。フェリオさん、やっと見つけたぜ」
「ノトシス地区長」
「なんだよそよそしい。ハオでいいよ」
「なら、こちらもフェリオと呼んでくれ」
ハオはにっこりわらった。
うしろには虞淵も控えている。
「どちらにいらしたんですか」
「プリメール大聖堂」
「お、本丸に行ったか」
とハオがにやりとクレイに目を向ける。
クレイは涼しい顔を崩さずに、
「見聞録を書くならあそこは欠かせないでしょう」
と言った。
先ほどの話を聞くかぎり、たしかにあの大聖堂こそエンデランドにおける生活の中心であり、思考行動のすべてである。ある種フェリオとはもっとも対極の生き方ともいえる。
きれいだったろう、とハオはフェリオの肩に手をまわした。
「プリメール大聖堂は十数年おきに修復が入るンだ。それでも大柱なんぞは数百年も昔のものだってンからおどろきだぜ」
「ああ。とても立派な建築だった」
「大聖堂。大陸にもある?」
と、汐夏が問う。
フェリオは肩をすくめた。
「あってもたいがい戦争でぶっ壊されちまう。戦の理由のほとんどは宗教だからな」
「フーン……」
汐夏が鼻の奥で返事をしたときである。
広場の端の方から奇声が聞こえた。どうやら酔っ払い同士の喧嘩のようである。目を向けると群衆にまみれて当事者たちのすがたは見えない。周囲の人間も酔っぱらっているためか、喧嘩を増長させる掛け声すらかけている。
虞淵は鼻頭に皺を寄せた。
「ったく、まさかノトシス民じゃないだろうな」
「だとしたら罰金刑食らわすまでだ」
と、ハオものんきに騒動を見守る。どうやら動く気はないらしい。
行かないのかと聞きかけてフェリオは動きを止めた。背後から馬のいななきを聞いたからだ。振り返る。
装飾にまみれた白馬と、馬上の騎士──。
「騒々しい。風紀を乱す者はいずこ!」
腹から声を出した馬上の騎士は、ぎろりと広場を見回して馬から降りた。
黄色を基調とした軍服を身にまとう彼を前にしたクレイが、すかさず右肘を水平に寝かせて拳を胸につけた。この島特有の敬礼らしい。
「ご苦労様です」
「クレイ地区長。この騒ぎは」
「酔っ払い同士の喧嘩でしょう。わざわざ師団長がいくまでもありません」
「──そちらは?」
鷹のごとくするどい目がフェリオをとらえる。
フェリオの肩がわずかに揺れる。
代わりにクレイがつづけた。
「例のマレビトです。フェリオ・アンバース」
「嗚呼」
師団長と呼ばれる男はいっしゅん閉口したのち、先ほどのクレイとおなじ敬礼をした。
「近衛師団長、レオナルト・ウォルケンシュタイン。以後お見知りおきを」
男はにこりとも笑わなかった。
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