Ep6. Gaze in the dark
横にひろがる農園が視界を飛び去る。
馬車は猛烈なスピードで都市蓬莱へむかう。道中、虞淵は終始怒ったような口調で、しかし懇切丁寧にノトシス地区について語った。
「……など。ノトシスを歩くにあたっての注意点はこんなところか。あ、そうだ。あとノトシスの人間とは三秒以上目を合わさないように」
「三秒? ルールがあるのか」
「いや。ただ、それ以上視線を合わせたら最後、喧嘩を売られているとおもって決闘を申し込んできます。嬉々として」
「…………」
「暑いからネ~。仕方ないネ~」
と、汐夏はのんきに竹串に刺さった赤い実をぱくり。
大陸では見慣れぬそれはなにかと尋ねると、口いっぱいに頬張る彼女の代わりに虞淵が答えた。
「
「タンフール──」
「おっちゃんも食べる? ハイ」
と、汐夏が気前よく食べかけの竹串を差し出した。
実を噛んで竹串から引き抜き、食べる。直後から口内に広がる独特な甘酸っぱさは、飴の甘味とうまくバランスがとれている。しかし四十を過ぎた老輩にはすこし甘い。実をひとつ食べきったところで棒を返すと、汐夏は「もういいの」とうれしそうにふたたび食べ始めた。
虞淵曰く、彼女は見た目にそぐわず大食漢であるという。
「シーシャが人に食べ物を分け与えるところを初めて見た。コイツいつもがめついのに」
「そりゃ光栄な」
「ねえフェリオのおっちゃん。大陸、どんなお菓子ある?」
と、汐夏は瞳をきらきら輝かせて聞いてきた。
お菓子。そんなものとは無縁の人生だった。息子ができたときも、お菓子を与えるより腹に膨れるものばかり買い与えていたのである。娘がいたらまた違ったのかもしれないが──と思いながら、腰にさげたポシェットを探った。
出かける前にグロリオーサの宿屋の女から、旅のお供にともらったものがあるのを思い出した。あの大嵐で見るも無残なことになっていなければいいが。
赤い包み紙にくるまれた焼き菓子である。さいわいに大きく型崩れしているものはなかった。
ああよかった、とフェリオは頬をゆるめる。
「中身も無事だ」
「人型!」
汐夏がフェリオの手元を覗き込んだ。
ジンジャーとシナモンを生地に混ぜて焼き上げた焼き菓子で、日持ちもするということで港の女たちはよく軽食として、漁に出る男たちに持たせるのだとか。その流れでもらったのだ、と説明すると汐夏は物欲しそうな目でフェリオを見た。
「食ってみろ。なかなかうまいぞ」
「わあ」
無遠慮に菓子を掴んで口に放り込む。
とたん、汐夏のおおきな瞳がくるりとさらに丸くなった。
「おいしい!」
「そんなにうまいのか?」と、虞淵。
「君も食ってみろ」フェリオは目を細めた。
それからしばらく。
虞淵と汐夏は、蓬莱にたどり着くまでのあいだ、アナトリアではほとんど聞くことのなかった大声でひたすら焼き菓子のうまさとおどろきを語りつづけた。この道中でフェリオがノトシスの地区民性について分かったことは、ひとつひとつの所作や表現が大きい──ということだろうか。
それもわるい気はしない。
彼らの性質にもだいぶ慣れたころ、馬車は一時間ほど走ったのちようやく蓬莱へとたどりついた。
────。
蓬莱の活気たるや。
一歩馬車を降りれば、街中は商売人の声かけにあふれている。戦闘民族というくらいだから、もっと街のあちこちで喧嘩が繰り広げられるものかとおもったが、喧嘩らしい諍いは見受けられない。
フェリオは、周囲に目を光らせて歩く虞淵を見た。
「意外と平和だな」
「蓬莱に限って言えば、喧嘩がしたい人間はこの先の
「しかし、自分が喧嘩したくとも相手がいなきゃできねえだろう」
「それはよけいな心配ですね。闘技場がゼロ人のときを見たことがない」
(…………喧嘩が)
そんなに好きか。
つくづくアナトリアの謙虚で平和主義な地区民性とは正反対だと思い知る。たしかに件の広場に近づくにつれ、観衆の熱気が伝わってきた。闘技場の周囲には何十人と人が押し寄せ、リングの上にいる四人の人間へ歓声を送っている。
「四人いるぞ」
「今日はそういう気分なんでしょう。タイマン張る日もあれば、こうして乱闘希望の輩もいます。ある種平和ですよ。みんなたのしんでやってますから」
と呆れた顔の虞淵を横目に、汐夏がアッと声をあげた。
リングを指さし、
「おーちゃん」
とつぶやく。
フェリオがふたたびリング内へ目を凝らす。四人の参加者のうち、ひとりに見覚えがあるではないか。緑のバンダナを巻いた短髪男。そう、つい昨日中央閣府で顔を合わせたばかりの──。
「ノトシス地区長?」
フェリオのつぶやきと同じくして虞淵がうごいた。
一瞬ののちにリングへ入り、ノトシス地区長欧浩然に駆け寄ってその襟首をひっつかむと、憤然と闘技場から引きずり下ろしたのである。およそ上司に対する所業ではない。
引きずり降ろされた当人はというと。
「オッ。こりゃあフェリオさんじゃねーの、ようこそノトシスへ!」
ひょいと手を挙げて肩越しに笑みを向けてきた。
虞淵の顔が、威嚇する蛇のように歪む。
「アンタ、こんなとこで何してるんですかッ。ったくすこし目を離すとすぐこれだ!」
「よせやい。人をわんぱくみてえに」
「いい感じに変換してんじゃねえ! 仕事はどうしましたオラ、仕事はァ!」
「こ、これも地区民との交流という仕事のひとつで──」
「年がら年中脳みそ溶かしやがって。いっぺんシャムールの雪んなかで冬眠しやがりますか、エッ?」
「俺ァさむいのは苦手だよ」
「だったら仕事しなさい!」
といって、ようやく虞淵は上司の襟首を解放した。
これまでつとめて冷静であった青年の変貌にとまどっていると、となりの汐夏がタンフールの竹串をなめながら、
「今日は控えめネ、グエン」
とのんきにつぶやいた。
これで?
と聞きかけたとき、背後の商店街方面から悲鳴があがった。瞬間、欧浩然と虞淵の目の色が変わる。声をかける間もなくふたりは駆けだした。そのときはまだ「ノトシス名物の喧嘩かな」程度に考えていたフェリオであったが、となりの汐夏を見て気が付いた。
彼女の、お菓子を食べる手が止まっている。
その顔に先ほどまでの能天気さは微塵もなく、眉をひそめて周囲を警戒しているようだった。
「どうした、シーシャ」
「これただの喧嘩ちがうヨ。また暴動ネ」
「暴動?」
「…………」
言ったきり、汐夏は口をつぐむ。
暴動とはどういうことか、と彼らが駆けていった先を見ようと顔をあげた矢先、フェリオはハッと横を見た。視線を感じる。大通りの横道、暗がりのなかからこちらを見る気配がする。
フェリオは目を凝らす。
「────」
そこに、見た。
闇のなかうっすらと浮かび上がるもの。
黒いフードをかぶった人間の、顔。
「ヒト……?」
「おっちゃん、一度向こうと合流するヨ」
汐夏がくいと手を引いた。
ああ、とつぶやくフェリオの異変に気が付いた汐夏は、その視線を追って横道の闇を見る。が、すでに気配は消えていた。
「どした?」
「いや。なにもない、行こう」
「ウン」
不穏な足音が聞こえる。
闇のなかの視線がいまだ自身に絡みつく錯覚をおぼえて、フェリオはぶるりと身をふるわせた。
汐夏には「夏なのに寒いのか」とわらわれた。
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