Ep5. Everlasting summer
フェリオの身柄は当分、アナトリア地区預かりとなった。
これは閣府からの命令というよりはフェリオ本人が望んだことである。生まれたばかりのひな鳥ではないが、初めに親切にされた人間を慕うのは自然な思考だ。
良かったですね、と比榮が声を弾ませた。
「とりあえず身の安全は保障されましたよ!」
「ああ。みんなのおかげだ、助かった」
「なにをおっしゃいます。フェリオどのの人徳でしょう」
と、由太夫もご機嫌にわらう。
住まいは蒼月の家の一間を借りることになった。
水軍の者たちはみな麻賀港の近くに居を構えており、ほか地区からは遠すぎる。蒼月の家ならば明日にむかうノトシスへのアクセスがよいという理由である(これから先、ほか地区で世話になる場合アナトリアに帰って来る必要はない)。
初対面時はおっかない顔をしていた蒼月剣十郎も、夜、酒を交えて話してみればたいへん気さくで、アナトリア地区について絶えず話したし、フェリオの話もよく聞きたがった。
「大陸で傭兵を?」
「ああ。おれの国の周囲では絶えず戦が起こっている。おかげで金には困らなかったよ、貧民窟に生まれて過ごした惨めな幼少時代が嘘みたいだった」
「立派なことだ。そんななかで所帯をもって一人息子を育てあげ……あとは悠々自適に暮らすばかりだったろうに。なにもこんなところに来るために金を使わずとも」
「金の使い方を知らないんだ。女を何人も買うほど元気もないし、金をかけて打ち込むような趣味も──別にない。ただ死ぬ前に、一度ここに来たいという欲望ばかりだった」
まさしく衝動である。
この地に来たあとのことだって考えてはいなかった。たどり着くことが出来たなら、その時にまた新たな衝動も沸くだろう──くらいの考えで、実際いまだに、今後の身のふり方などろくに考えられない。
しかしなぁ、と蒼月が身を乗り出す。
「死ぬ前に、と貴方はよく言うが、まだ四十と少しだろう。終焉を考えるのは早すぎないか。ましてあの海峡すら生き残るほどタフだというのに」
「あんまり年を食ってからじゃ、逆にこんな冒険はもう出来ねえだろう。いまがちょうど頃合いだと思ったんだ。……バルドレアには残りたいほどの思い入れもないし」
唯一愛した母も、亡きあとその骨は粉にして海へと撒いた。
ひたすら泥をかぶり、啜って生きてきた。あの地はどちらかといえば思い出したくないことばかりである。
フェリオの泥臭い生き様が気に入ったか、蒼月は涙を流してそれを聞き入った。晩酌も終盤にさし掛かる頃には、すっかり「フェリオ」と親しみをこめるほどまでに。
「明日はぜひほかの地区も見て回ってくれ。その際はそれぞれの地区兵団員をつけさせる」
「なにからなにまでわるいな」
「なにを仰る、我らはもう友人だ。それに──レオナ様が歓迎するとおっしゃった客人に、何かあっては困る」
「何かって、見たところ平和な島だとおもうが」
「表面上はな。……近ごろは少し、不逞な輩が現れるようになった。ゆえに地区兵団も見回りを強化しておる」
「…………」
「心配ない。フェリオのことは地区兵団が守る」
蒼月は高々と酒器をかかげてわらった。頼もしい限りである。とはいえフェリオとてまだまだ若者に負ける気はない。明日からの日々を胸に据えると、フェリオもつい酒がすすんだ。
※
翌朝、となりのノトシスに行くと言ったら、蒼月家の女中がムッとイヤな顔をした。なにか問題があるのかと尋ねると、彼女はたるんだ袖で口元を隠し、つぶやいた。
「お気をつけくださいまし。あの地区はみな野蛮です……ああも毎日暑ければ、頭の血がゆだるのも仕方のないことでしょうけれど」
「聞いた話じゃあ常夏というじゃないか。そんなに暑いのかい」
「ええ、それはもう。とはいっても取り分け暑い日はそうはありませんよ。とくにセント地区がいまは冬ですから、その冷気のおかげで蓬莱もいまは若干冷夏じゃないかしら」
「ホーライ?」
「ノトシスの主要都市です。うちでいう葦原みたいな」
「ははあ、この島はふしぎだ」
「何がです」
女中は目を丸くする。
フェリオは苦笑した。
「おなじ国なのに、各地区でまるで別の国に行ったかのように人種も言語もバラバラだからさ。まあ、会話が大陸言葉で共通なのもまた、ふしぎなことだが」
「それは仕方のないことですわ、いくらここが孤島といえど、民の起源はみな大陸の様々な場所からきた流刑者ですもの。元々の島の住人なんて、ごく一部でしょうしねえ」
「そうなのか……」
「あら。ちょうど迎えの馬車が来たようですよ。どうぞお気をつけて」
「ああ」
教えてくれてありがとう、とひと言礼を告げ、フェリオは蒼月家を出た。
門前には、昨日にも見慣れた由太夫と比榮のすがたがあった。どうやらノトシス地区手前までは彼らが案内役を務めてくれるらしい。
蒼月の家からノトシスはそう遠くなかった。
馬車を二十分ほど走らせれば、もうそこはノトシス地区域。アナトリアに近いこの近辺は畑など農場が多く、主要都市蓬莱はさらに西側へ走る必要があるらしい。
ノトシス地区境にはふたりの人間が待機していた。
ひとりは栗色の長い髪を三つ編みに結った精悍な青年と、黒髪を団子にまとめた可憐な少女。彼らがノトシスの地区兵団か──と推察すると、背後で比榮が口をひらいた。
「お待たせしました、グエンさん。この方が大陸からのマレビト、フェリオどのです!」
「委細聞いている。夕方にセント・フランキスカへ送り届ければいいんだったな」
「はい。今宵は歓迎の宴だそうですから」
と、由太夫はうっそりと笑みを浮かべる。
すると途端に少女が口の端からよだれを垂らした。
「エェ~いいなァ。それ、ワタシたちも参加していいか?」
「いいんじゃないですか。シーシャさんがお食事を控えめにできるなら、ですけど」
「できるできる! やったーッ。フェリオのおっちゃん、よろしく!」
シーシャと呼ばれた少女は嬉しそうにフェリオの手を握った。
申し遅れました、と青年がフェリオに向き直る。
「ノトシス地区兵団、士長の
「つかりましたァ」
と、汐夏も口内をもごもごと動かしながら敬礼した。
アナトリアのふたりとはまた違ったタイプだ、とおもいながら、フェリオは目尻に皺を寄せた。
「よろしく頼む」
「我々はノトシスの、おもに蓬莱をご案内します。その恰好じゃ暑いでしょうから我が地区装束を贈呈します。のちほど馬車にて着替えてください」
「ありがとう」
「では行きましょう。おいシーシャ、いつまで食ってやがる! 行くぞ」
終始ピリピリ、きびきびとした虞淵とは対照的に、どこまでもマイペースな汐夏。アナトリアの安定感に慣れていただけに些か不安も残るが、仕方ない。
フェリオは再度由太夫と比榮に別れを告げ、ノトシスの馬車へと乗り込んだ。
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