美心(幼年期)編

第18話 下町にて

 生後半年のあの夜、初めて見た魔法のようなものがずっと忘れられずにいた。

 それからも両親が寝静まった頃に抜け出し密かに練習を続けている。

 だが、結果は……何も放てない状態が続き美心の苦悩は限界に達していた。

 そして嘉永6年、この世に生を受け美心は3歳になった。


「あぅぅ……だぁだぁ」


「う~ん、変ねぇ? あなた、この子まだつかまり立ちもできないのよ。脚に異常は無さそうだし……」


「儂もそれは感じていた。片言の日本語も話さないし、いくら何でも遅すぎるよな」


(えっ、そうなの!? 普通に歩けるようになれば日中も移動できる。移動できれば本屋に行って魔術書が読める! 誰も教えてくれないからずっとハイハイで過ごしちまったぜ)


 美心として生を受ける前は童貞の初老だった男だ。

 子どもを持ったこともないため、何歳から歩いたり話したりするのかまったく知らなかった。

 実際には生後3ヶ月ほどでつかまり立ちをして歩き始めるのが一般的だ。

 美心の3歳になってもハイハイは異常であることなど知る由もない。


「美心、ほら立ってみまちょうねぇ」


 父親の八兵衛が美心の手を取り、ゆっくりと持ち上げる。


 スッ


 父親の意図を汲み、見事なまでに美しい起立をする美心。


「た……立ったぁぁぁ!」


「立てるじゃねぇか、沙知代さん」


 そして、美心は何の迷いもなく両親に向かって口を開く。


「おっかあ、本屋行ってくる!」


「えっ!?」


 長屋から飛び出し江戸の町に向かう美心。

 突然の出来事で何が何やら困惑している両親は唖然とするしか無かった。


(んほぉぉぉ、本屋! 本屋はどこだ! 俺も早く魔法を使いたいんだよぉ!)


 ドンッ!


「いてっ!」


「へぶっ!」


 曲がり角で誰かにぶつかる美心。

 顔を見ると同じ長屋で隣に住んでいる慎之介(5歳)であった。

 美心も母親におんぶされ近所の人達の顔は知っている。

 だが、3年もの間赤子に扮していたため話したことはない。


「あっ、美心ちゃん! あれれ……今、走ってなかった?」


 手を貸し美心を起こす慎之介。


「あっ、美心!」


 父の八兵衛と母の沙知代が出てきて美心に近寄る。

 

(ちっ、こいつのせいで下手に動けなくなっちまったじゃ……いや、待てよ? 俺と幼馴染の慎之介は両親もよく知っている。こいつと一緒なら少しは安心して目を離してくれるかもしれない。それに江戸の町に繰り出すにゃぁ俺はまだ何も知らな過ぎる。本屋さえ行ければ良いんだが、それも何処にあるのかよく分からんし……)


「慎之介くん、ありがとう。美心ともう仲良くなってくれたの。うふふ、仲良く手を繋いじゃって可愛いわね」


 慎之介は顔を真っ赤にして、すぐに美心の手を放そうとする。

 だが、美心が力を入れ中々手を放してくれない。


(そうだ、幼馴染は両親も顔だけでなく性格もよく知っているため安心してくれるのはどのラノベでも大体は同じだ。今のうちにこいつを手籠にしておけば今後も親の目を盗む良い口実になるかもしれん)


 幼馴染という立場を利用することを思いついた美心。

 そして、次の瞬間。


「父ちゃん、母ちゃん、わたち慎之介くんと一緒に居たいのぉ!」


「えっ?」


「み、みみみ美心ちゃん!? 何言ってんだよ、僕は……そんな気なんて」


(ほぉぉ、慎之介。まさか、俺に惚れちゃってるのかぁ? くくく、こいつぁ良い。俺が勇者として立ち上がるその時まで側付きとして置いてやろう)


 美心は恋愛モノに関心などまったく無い。

 前世で願いに願った異世界転生して勇者になるためだけに今を生き、利用できるものは何でも利用しようと心に誓ったのであった。

 

「ほぉぉ、慎之介ぇ? うちの娘に早速手を出すたぁ良い度胸してん……」


(へっ、こいつはまさかテンプレの俺の可愛い娘はお前になどやらんぞ展開!? い、いかん! これでは慎之介を連れ回して本屋を探す俺の目的が……)


「ら、らめぇぇぇ! 父ちゃん、わたちの慎之介くんに酷いことしないでぇ!」


 慎之介に抱きつき父を睨む美心。

 彼は顔を真っ赤にしたまま先程から無抵抗になってしまっていた。


「なっ……んだと!? 私の……わ、儂はどうなんじゃ美心?」


「知らない!」


「美心ぉぉぉ……」


「くすくす。ほら、あなた。部屋に戻って仕事するわよ。美心、慎之介くんと仲良く遊んでいるのよ」


 沙知代に引き摺られ消沈した八兵衛と共に部屋へ戻っていく。


(くっくっく、これが幼馴染効果ってやつか! 使える、こいつは使えるぞ!)


「美心ちゃん、そ……その。そろそろ、離れてくれても良いかな?」


「駄目、慎之介くんはわたちに付いてくるの」


「えっ、えええ!?」


 慎之介の手を強く握ったまま美心は走り出す。

 勿論、その速さは並の大人より速い。

 慎之介はほぼ引き摺られながら美心に連れられて江戸の町に飛び出す。


「らっしゃい、らっしゃぁぁぁい!」


「奥さん、今日は良い野菜が採れましたぜ」


(まるで太秦映画村みたいな場所だな。本当にこんな感じだったんだ。そういや本屋ってこの時代にそもそも存在するのか? いや、ここが俺の知っている江戸と同じではないことは分かっている。魔術書を売っている店があっても可笑しくない!)


 美心は信じて疑わない。

 立ち止まったことをきっかけに慎之介が美心に話しかける。


「美心ちゃん、キョロキョロして何を探しているの?」


「慎之介くん、本屋! 本屋ってあるの!?」


「ほ……本屋? なにそれ?」


(本屋を知らない!? だとしたら何でも置いているよろず屋か)


「じゃ、じゃぁ……よろず屋って知ってる?」


「うん、知ってるよ。行きたいの? でも、母さんがあまり遠くへ行っちゃ駄目だって言ってるし……」


 ギュッ


 慎之介に抱きつき上目遣いで慎之介にお願いをする美心。


「慎之介くん……連れてって」


 勿論、今までのことも含めすべて演技である。

 この3年間、母の沙知代におんぶされている時間が最も苦痛で退屈な時間だった。

 女性が社会に出ることそのものが珍しいこの時代、社会圧に飲み込まれ自分のやりたいことが出来なくなっては異世界転生した意味がない。

 心は転生前からの初老男性であっても他人から見れば女性にしか見られないため、如何に自分を上手く見せるかが必要になってくる。

 そのため美心は退屈な時間を使って脳内でどのように人に接するべきか常にシミュレーションしていた。

 今回のあざとかわいい方法もその一つである。

 そして、見事に術中にハマる慎之介。


「し、仕方無いなぁ。ほら、こっちだよ」


(ぐへへへ、チョッロ! 計画通りでチョッロ!)


 中身は最悪だが外見が良すぎるため、その自覚がなくとも上手くいってしまうことに美心が気付くのはもっと後のことであった。

 町は活気良く賑わっている。

 時折、帯刀した侍が歩いていると誰も文句を言わず道を譲るのも身分の差が存在するのだと改めて思う美心。

 団子屋の露店を通り過ぎるときだった。


「みたらし一本くれ」


「へい、焦げ方は?」


「多めで」


 団子を焼く工程が目に入る美心。


(団子を焼くための道具が無いのにどうやって焼くんだ?)

 

「火」


 ボッ


 何もない空間から火が出て団子を焼き始める。

 

(んなっ!? 魔法をただの商人が使っているだとっ!?)


 よく見るとあちらこちらで魔法らしきものを使って不可思議現象を起こしている者が居る。

 美心にとってそれは脅威であった。

 名も無いモブでさえ魔法が使える世界、それはラノベ主人公を主人公足らしめる要素を一つ奪うことに変わりない。

 誰も彼もが魔法を使えると誰にでも勇者に成り得る可能性が出てくるためだ。

 

「そ、そんな馬鹿な……」


「美心ちゃん、どうしたの? お団子食べたいの?」


「火が……火が何もないところから出た」


「うん、そうだね。僕もできるよ。火!」


 ポッ


 何気なく指から小さな炎を出す慎之介。

 それを見て美心は愕然とする。


(こ、こんなガキでも使える生易しい存在なのか!? この世界の魔法は!? なんということだ、これでは既に勇者が誕生しているかもしれないぞ! いや、まだ諦めるな! 諦めたらそこで終了してしまう。まずは俺も魔法を使えるようにならなければ!)


「あっ、よろず屋見えたよ」


「慎之介くん、その火ってどうやって出すの?」


「まだ美心ちゃんには早いよ。僕も寺子屋に通い始めて2ヶ月だし……」


(寺子屋だとっ!? ……教育機関で魔法を子どもたちに教えている? だから誰でも使えているのか。これは勇者候補がますます増えて行くばかりではないか! 知識を独占するために寺子屋を襲撃して壊していくか? いや、そんなことをしても手遅れだ。すでに誰にでも使えるほどに馴染んでいる。それを壊すのは無理だろう)


「寺子屋、あたちも行きたい」


「美心ちゃんはまだ早いよ。だって6歳からなんだから。それに昨日までばぶぅしか言わな……あれ?」


 慎之介は違和感に気付く。

 

(昨日まで二足歩行出来ず話すことも出来なかった美心ちゃんがどうして急に……おかしい。僕も母さんに聞いた時は1歳になった時にはよちよち歩き出来ていたって聞いたことがある。美心ちゃんは3歳で急に歩きだして話しだせた。陰陽術と同じで日々の積み重ねがあって出来るものなんだし……)


 慎之介はその違和感をそのまま美心に聞いてみる。


「美心ちゃん、どうして今日になって歩けて話しだせたの? もしかしたら、今までずっと出来ていたのを隠し……」


 ガッ!


 美心が慎之介の頭を掴み言葉を発する。


「勘の良いガキは……嫌いだよ」


「ひっ!」


 慎之介は背筋が凍るほどの恐怖を美心から感じた。


「だから、嫌いにならないように寺子屋に連れてって。えへっ!」


 先ほどとは違い満円の可愛い笑顔を見せてくれる美心。

 この子に逆らってはいけない。

 彼は6歳にして本能でそれを感じ、こう答えた。


「は……はい。美心ちゃ……様」


 慎之介の後を付いて寺子屋に向かっていくのであった。


 


 


 

 



 




 


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