異世界にて

 無我夢中で黒い穴に飛び込んだ男は次に目を覚ますと眼前にいるのは美女の姿であった。


(うっ、何だ……呼吸がし辛い。思いっきり呼吸をしたい)


「おぎゃーおぎゃーおぎゃーおぎゃー」


 男は驚いた。

 それとともに確信を得たのだ。

 

「おめでとう、沙知代さん!」


「よく頑張ったな!」


「あなた……この子に名前を」


 そう、念願の転生が叶ったのだと。

 だが天井は何やら見慣れた木の板。

 首がしっかりしていないため目を動かすだけで精一杯だ。

 

「ああ、これだ!」


 父親らしき者が母親に見せたのは半紙、墨で書かれた文字は美と心の二文字。

 男は感動した。


(美しい心か、ふふっ、なかなか小洒落た良いネーミングセンスを持っているようだな。俺の新たな父親は。ビューティーハート、ふむ……俺のとっておきの切り札の必殺技の名前に使っても良さそうだ)


 転生しても痛い心は変わらなかった。

 

「びしん?」


「いや、みこだ。将来はお前にそっくりな美人さんになるぞ! がっはっはっ!」


 男は父親が放った言葉に驚愕する。


(みこ……だとっ! まるで女のような名前では無いか! ま、まさか……受肉したこの身体は女なのかっ!?)


「みこ、これからよろしくね……」


「ああぅ……だぁ……」


(畜生、頭が重すぎて首が動かねぇ! 俺が確認したいのは大事な部分があるかないかだ!)


 男は転生を果たした感動をすでに忘れ自身の下半身を見るのに必死だった。

 テンプレでは性別が前世と同じことであるのが大半である。

 だが、男はまだ首がすわりきっていない誕生したばかりの新生児。

 親の手助け無しでは何も出来ない。

 

「あらあら、どうしたのかしら?」


「あぅあぅあぅ……」


 母親に協力をすがろうと必死に手を伸ばす。

 言葉を放ちたいが生まれたばかりで突然喋ってしまうと気味悪く思われてしまう。

 男にも若干の冷静さは残っていた。


「ははは、高い高いでもしてほしいのか?」


 父親が男の両脇を掴み持ち上げようとする。


「貴方、駄目よ。首を痛めてしまうから頭もしっかりと持ってあげて」


(畜生が! 下半身が見えそうで見えない! いや、大事なものが無いから見えないだけなのか!)


 男は両親のやり取りなど全く気にかけず自身の下半身を見ることで精一杯だった。

 そして、父親に抱きかかえられゆっくりと揺らされる。


「びえっくしょん! てやんでぃ!」


 父親の突然のくしゃみが美心の顔面に直撃してしまう。


「うわっ、きったねぇ! 何しやがんだ、おい!」


「へっ?」


「えっ?」


 突然の出来事に美心はつい罵声を父親に帯びせてしまう。

 転生前の記憶を持っている以上、父親はまったくの他人として見てしまっていたためである。

 両親と共に近くにいた助産士も動きが止まる。


「しゃ、喋った?」


「今、喋ったよな?」


 男は両親から目を逸らし口に力を入れ固く閉ざす。

 

(やっべぇ……めっちゃ見ている。鬼の子だと言われて捨てられないだろうか? 異世界転生モノで生まれた時の描写が明確に書かれているのもあるが、こういう展開は無かったぞ。どうすれば良いんだ?)


 男の脳内は小説や漫画が全てだった。

 行動を一つ起こすにしても異世界転生モノにあるようなテンプレ展開で無ければ動けない。

 まして転生を果たした今、異世界転生モノに習って行動すべきだと(勝手に)思い込んでいるのである。

 だが、日々の生活のほとんどはアドリブ。

 男はそこに気が付いていなかった。


「美心、お前……」


(捨てられる! くそぅ、こうなれば最終手段だ!)


「ぐぅ……すぴー」


 寝たふり、赤子は一日の大半を寝て過ごす。

 身体がまともに動かない今、できることと言えば寝たふりで知らぬ存ぜぬを貫き通すことだと男は判断した。


「あら? 寝ちゃったわね?」


「空耳か……いや、それにしては?」


「わ、私はこれで失礼させていただきます。奥様も今は身体をしっかりとお休め下さい」


 転生初日はそのまま無事に過ごすことができ、2日、3日と男は徹底的に赤子を演じ続け半年が過ぎた。

 首も3ヶ月ほどですわり自由に動くことができるようになっていた。


「ぐがーずびー」


「すぅすぅすぅ」


 ある日の深夜、両親が眠ったころ美心は起き上がり外に出る。


(2人共眠ったようだな。さて、勇者になるために今日も特訓だ!)


 0歳としては有り得ないほどの身体能力を有していることに美心自身まだ気が付かなかった。

 そもそも転生前は60まで童貞で生きた身。

 赤子と接する機会など皆無であった。

 新生児が何ヶ月頃からハイハイを始め、何歳頃から二足歩行を始めるのかさえ全く知らずにいたのだ。

 

(空には赤い月……くぅ、何度見ても感動する! まさに異世界そのものだ! 俺の血が滾るのが分かるぞ。くくく、今宵は少し遠出してみようか)


 美心は自身がまだ0歳だと言うことも忘れ走り出す。

 

(この世界は絵に書いたような昔の日本そのままだよな。単に時代をワープしただけとは思いたくもないが、魔王を探すのはもっと成長してからだ。もし見つけても今の状態では返り討ちに合ってしまうのは確実。まずは力をつけなければならない!)


 美心の家は長屋の一角であった。

 街の中心部にそびえ立つ巨大な天守閣が月明かりに照らされ美しく輝いて見える。

 美心自身、まだいつの時代の設定なのか知る由もなかった。

 家には書物も無ければ、両親も世の中の出来事を話題にすることが無かった。

 だが、そのようなことは後々で知る機会が来るものだと思っている。

 異世界転生モノにあるべき学園編が自分にも訪れるものだろうと(勝手に)確信しているためである。


(学校に早く通いたいぜ。そこでの展開はどうするべきか、モブキャラとして通すか俺TUEEEをしハーレムを作るか……いや、女だから逆ハーレムになるのか? イケメンであろうと男に囲まれるのは想像するだけで何だか抵抗があるんだが……)


 美心の頭の中では妄想で溢れかえっていた。

 そして、あり得ない速さで近くの雑木林に走り入っていく。

 

(真っ暗だ……ま、街灯が無い時代だし当然だが。しかし、これでは異世界転生モノで主人公が行う林の中での秘密特訓ができない。まだ日中に外へ出るには年齢的に早すぎるだろうし……)


 この半年、親の前で赤子を演じることに美心は心底疲れていた。

 何しろ、自分のことは自分でできてしまうためである。

 なのに母親に抱っこ紐で縛られ日中は常に親からの監視状態。

 厠へ一人で行って用を足すことも許されない毎日。

 肉体疲労ではなく精神的な疲労が美心に重く伸し掛かっていた。

 

(あー、今日は思い切り身体を動かしたいのによぉ! 仕方がない、河原でするか)


 林から出て河原を目指す。

 道を歩いていると遠くから提灯の明かりが近付いてくる。

 

(誰かこっちに向かって来る? 刀を持った侍か……樽でも担いでいるのか?)


 美心は道横の草むらに隠れ侍が通り過ぎるのを待つ。

 侍の一人が抱えているのは樽ではなく人間であった。

 どこかの町娘か、手足と口が紐で縛られ身動きができないようにされている。

 そして、侍二人は河原へ降り町娘を放り投げる。


「へっへっへ、やっぱたまには人も斬らないとな」


「悪く思うなよ小娘。人を斬る感覚は武士として常に心に持っておかなければならないのでな」


 その侍二人は自らの快楽のために町娘を斬り殺すようだ。

 それを草むらに隠れ見ていた美心は恐れおののく……。


(き、きた――! 町娘救出イベント! これぞテンプレ展開!)


 いや、まったく恐れてはいなかった。

 美心はむしろ興奮が抑え切れないほど鼻息を荒くして見ていた。


(相手は悪党だ! 異世界だし殺したって誰も文句は言わないだろ)


 実に勝手な解釈である。

 美心は異世界転生モノによくある展開に興奮するあまり、思考力が恐ろしく低下していた。


(どこかに武器は? ええぃ、そう都合良く落ちてはいないか!)


 カチャ


 侍の1人が抜刀し大きく振り上げる。


(このままでは町娘が殺されてしまう! おっ、これは……)


 美心が手に取ったのは赤子の手でも掴めるほどの小石だった。

 だが、美心は興奮のあまり自身が赤子であるということさえ忘れていた。

 彼女の目には大人の手でしっかりと掴めるほどの投げやすいサイズの石だったのだ。


「南無三!」


「ロックニィィドル(仮)!」


 チュンッ!


 侍の1人が刀を振り下ろす。

 その動作よりも早く美心は小石を思い切り侍に向かって投げつける。

 その球速は野球選手の最速記録を軽く超えていた。

 そして、圧倒的な速度で投げられた小石は銃弾のような威力をしていた。


 パァァァン!

 ドサッ……


「なっ……」


「ん~~! んん~~!」


 抜刀した侍のこめかみを貫通し頭部破壊を引き起こす。


「な、何奴!?」


 もう一人の侍が美心の方に振り向き刀を抜刀する。


(うぉぉぉ、モブっぽいセリフきた――! よしっ、この時のために考えていたアレを実践してみるか)


 美心は草むらから立ち上がり大声で侍に向かって言い放つ。


「俺の名はブレイブ! 悪を屠り正義の鉄槌を食らわす者! 何の罪もない娘を今すぐ解放しろ!」


 美心はノリノリだった。

 自身が赤子であることを完全に忘れ堂々と姿を現してみせたのだ。


「無礼武だとっ……自分から無礼を語るなど笑止千万! もしや魑魅魍魎の類か!? 河童……いや座敷童子!?」


 侍の反応は至極当然であった。

 人語を話し奇妙な妖術を使い仲間の頭を吹き飛ばすほどの赤ん坊。

 しかも赤い月に照り返され侍には美心の瞳が赤く輝いて見えた。

 他人から見れば妖怪そのものであったのだ。


「今日は赤い月の日、このような日には魑魅魍魎が現世に顕現しやすいと聞いたことがあるが……まさか史実だったとはな。拙者も武士の端くれ、相手が魑魅魍魎であろうとただでは殺られぬ!」


(あそこに倒れている侍の刀を取れば、もう一人と真正面から戦える。俺の速度なら奴の一太刀を躱し刀を奪えるだろう。そして、格好良く突きで奴の心臓を貫く)


 美心はこの激アツ展開に興奮し思考がまともではない。

 

「推して参る!」


「ヒャッハ――!」←クレイジーな0歳児


 侍が美心に斬りかかると美心は大きく跳び上がり侍の頭上を軽く飛び越す。

 そして、倒した侍の刀を手に取り侍に向けて大きく突進する。


 ドスッ!


「ぬぅ!」


「アッハァ!」←クレイジーな0歳児


 美心の突きが侍の左脇腹を貫く。


「ぐぅ! 一矢報いるまでは……死なぬ!」


 身体に刺さった刀を抜かせまいと片手で美心の刀を握り最後の抵抗をする。


「かけまくもかしこみ式神様の御前に我は所望する、我の眼前の敵を焼き払え、火炎斬!」


 不可思議な呪文を説くと侍の刀が大きく燃え上がる。


(ま、魔法きちゃぁぁぁぁ! この世界は異世界で間違いがない!)


 それを見ていた美心の興奮は最高潮に達し再び超パワーを解き放つ。

 侍は間髪置かずに美心に向かって刀を大きく振りかぶる。


(こんなところで余計な時間を食っている訳にはいかない! さっさと終わらせて俺も魔導書を買いに行かなければ!)


「チェストォォォ!」


「死に晒せや、ゴルァァァ!」←クレイジーな0歳児


 ドシャァァァ!


 侍の脇腹に刺さった刀の刃を横に向け、そのまま左薙ぎで胴体を真っ二つに切断する。


「ば、馬鹿な……ゴフッ!」


 ゾクゾクゾクッ!


(何、この快感!? 人を斬るのって……最高!)


 美心は知ってしまった。

 肉に刃が通り自分の思うがままに肉の間を滑る太刀筋を。

 悪党を成敗した達成感を。

 そして新たに肉を斬りたい感覚が襲ってくることを。


(これは癖になる! あああ、もっと悪党いないかな? なんで2人しかいないんだよ? 100人くらいよこせって! 仕方がない、この仏さんで刀を扱う練習でもするか


 もはや狂気の沙汰である。

 だが、美心の脳内には異世界人の悪党=ゴミクズ以下という認識しか無かったのだ。

 

 ドスッ!

 ズバッ!


 遺体を何度も何度も斬ったり刺したりして刀の感触を身に刻んでいく。


「ウヒャヒャヒャ、最高オブザ最高!」←クレェェェイジィィィな0歳児


「ん~~、んん~~!」


 ドサッ


 あまりの惨劇に町娘は気を失い倒れてしまった。

 もちろん、美心は町娘救出イベントのことなど完全に忘れ無我夢中で肉塊を切り刻んでいく。

 そして数時間後、縛られた町娘を河原に放置したまま帰路に着いた。


 チュンチュンチュチュン


 翌朝……。


「く――すぴ――」


「沙知代、大変なことが起こった」


「何かあったの?」


「近くの河原でお侍さんの惨殺された遺体が発見された。しかも2人もだ。まるで地獄のような光景だったよ。危険だから近付いちゃ駄目だぞ」


「あらまぁ、怖いこともあるのねぇ。美心も気を付けないと」


「大丈夫だ、2人は何としても儂が守って見せる」


 その後のことを美心は知らない。

 念願の異世界転生を果たしてから、テンプレ勇者に憧れの心を持ちながらも60年が過ぎてしまった。

 その間に平民に苗字の使用が許可され春夏秋冬美心(ひととせみこ)と名乗ることになる。

 男の新たな人生も終盤に差し掛かった頃、新たな転機を迎える。



 


 




 


 


 




 

 


 



 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る