天界にて(その1)
気が付くと男は周囲が真っ白で不思議な空間に立っていた。
(何だ……ここは? いや、俺は車に轢かれ……そうだ、タント! まさか、軽自動車で俺の命を奪われるとは何たる不覚! トラックに轢かれなかった以上、俺は普通に死んで……うん? ここがあの世と言うものなのか? いや、落ち着け……異世界転生モノでは天界で神様や女神様に出会い異世界に送られるというのもテンプレだ)
「さぁ、そこの哀れな人間こちらを向き頭を垂れるのですぅ!」
男は近くに居る何者かの声には全く気が付かず思考を巡らせる。
(だとしたら、ここで神様やら女神様に懇願してトラックに轢かれなかった哀れな俺に同情を誘い異世界に連れて行ってもらうという手段も出来なくはないか?)
「ええっと……人間……こちらに気付いていますかぁ?」
男は何とか異世界に連れて行って貰える方法を考えることで必死だった。
すでに死んでしまった以上、時間は無限にある。
男はその場で座り込み今まで読んだ異世界転生モノの内容を思い出す。
(駄目だ、読んだ書籍の数が多すぎてメモでも取らないと整理しきれない! かといって、こんな何もない空間にはペンもメモも無いだろう。どうする……考えろ、考えるんだ俺! 自身のブレインを最大限にフルスピンさせるんだぁぁぁ!)
お気付きかも知れないが男はかなり重症な厨二病を拗らせている。
自分が死んだというのに今のこの展開には何やら熱いものを(勝手に)滾らせていた。
何としてでも異世界へ行く。
タントに轢かれたその男はこの空間の何処かに居るかも知れない神との関係を的確に見定め、異世界転生の機会を虎視眈々と狙うことをあらゆる視点で考えた。
「ああ、もう! 平伏すのですぅ人間!」
グンッ!
強烈な重力に上から押さえつけられ男はその場で頭を垂れる。
何が起こったのか男は瞬時に理解した。
(こ、この声は!)
声がする方向を向くと羽を大きく広げ男を見下す神々しい姿をした女性が居た。
まさか、このような高圧的な態度で迫ってくるとは予想外だにしなかった展開だが、ここで下手に刺激すると異世界転生がご破綻になってしまうかもしれないと男は(勝手に)考えた。
そして、こういう展開も悪くないと自身で(勝手に)納得する。
「……貴女が神か?」
「やっと気付いたようですねぇ。はい、私が神様ですぅ」
女神は男に伸し掛かる重力を解除させ再び言葉を放つ。
「さてさて、タァントに轢かれた哀れな……」
「いや、ちょっと待ってください! どうして、タントを強調するのですか! 軽自動車だからですか!? 軽自動車でも打ちどころが悪く轢かれたら確実に死にますよ!?」
男はトラックに轢かれなかったことを深く後悔していた。
そして何故かタントを強調する女神に反論してしまう。
人との関係が希薄な男は煽り耐性が皆無だったのだ。
「えっ……は、はい。え、ええっと……こほん、その軽自動車に轢かれた哀れな……」
そして女神も人間からまさか怒鳴られるなど経験が無く臆してしまった。
「ちょっと待ってください! 軽自動車が相手でも轢かれたら死にますって言ったでしょ!? 実際に体験した俺が死んでここにいるんですよ!? トラック以外に轢かれた者は哀れなんですか! ええっ!?」
男は変なところでプライドが高かった。
もはや彼にとってタントと軽自動車は禁句でさえあったのだ。
「えっと、その……ごめんなさいなのですぅ。もう言いませんなのですぅ。どうか大きい声を出さないで欲しいのですぅ」
今まで女神は人間から強く言われることが無かった。
まして怒られることは初めてで耐性が無く、つい深く謝罪をしてしまう。
神が人間に頭を垂れる、ここに新たな歴史が誕生した瞬間だった。
そして、その光景を目の当たりにした男も我に返り……。
「し……しまった! こちらこそ取り乱してしまいすみません! 許してください! どうか、どうか異世界転生の却下だけはご勘弁をぉぉぉ!」
男は女神の前で見事なまでの土下座をしてみせた。
神に平伏す人間をテンプレ通りに忠実に再現してみせたのだ。
「えっとぉ……異世界転生? 何のことですかぁ?」
女神は下げた頭を上げ男に質問する。
「えっ、異世界へ転生することですが……」
「異世界? 地球では無い世界のことですかぁ?」
「そうです、そうです! 地球では無い世界のことです。ありますか、ありますよね? いや、無くてはならないものなんです! 俺としては魔法がある世界が良いですなぁ。おっと、人類全体の容姿は地球より整っていて人間以外の種族もいるところなんて最高です。エルフやドワーフはもう絶対必要ですね。後は魔族がいて人類が滅亡の危機に陥っている状況なんて最高オブ最高な展開で……」
生前、男は趣味や特訓で日々の生活を送るのに精一杯で友人と遊んだことは一度も無かった。
そして、入社後は自分の好きな趣味の同僚もいなかったため今までの溜まりに溜まった言葉が爆発し女神相手にマシンガントークを始めてしまう。
そして相手が女神だということを忘れ話すこと3時間……。
「とまぁ、こんな感じで俺の望みは異世界で勇者になることなんです」
「なるほど、なるほどぉ。地球以外の場所で新たな生を全うしたいと……そういうことですねぇ?」
女神は再び怒鳴られるのが怖く正座をし男の話を律儀に聞いていた。
そして男は再び我に返る。
(やっちまったぁ! 俺は神様を相手になんてことをしてしまったのだ! こんなフレンドリーな話し方では駄目だ。もっと相手が神であることを敬い平伏しながら物乞いのように自分の希望を話さなくては)
再び我に返った男は女神の前で見事なまでの土下座をし女神に懇願する。
「神様、どうかっ! どうかお願いします! 俺を、いや私を異世界へ……」
「駄目ですよぉ。天界規定で地球人は地球で魂の循環を繰り返すのが決まりなんですぅ。それに異世界転生って……ぷっ! それって誰かが考えた単なる妄想ですよね? それを真に受けるなんて……あははははは! こんなに面白い人間は初めてなのですぅ!」
(な……ん……だとっ!? 小説が単なる妄想!? 俺の夢はすべて空想上の産物だとでもいうのか!)
男は愕然とした。
それと同時に激しい怒りを覚え始める。
親身になって聞いてくれた相手からの突然の全否定。
学校時代は殆ど一人で趣味に没頭し、同僚の間でも下らない話を聞いて自分の意見を言わなった男には経験がなかったことだ。
「さ、後の死者が詰まって来ていますし始めちゃいましょうねぇ。貴方は大きな罪を犯していませんが、社会にとって良い貢献もしていませんねぇ。なのでプラマイ0ってことなんで、極々普通の家で極々普通の人間として極々普通な人生を送っちゃってくださぁい」
女神の後ろにいくつもの閉じられていた穴がある。
その中の一つが開き男は謎の引力で吸い寄せられる。
(再び地球で人間として生活を送るだとっ!? 嫌だ……嫌だ……嫌だ!)
「ふ……ふざけるなぁぁぁ! 俺は異世界に行くんだぁぁぁ!」
ドゴフッ!
「ぶ、ぶへぇぇぇぇ!」
神であろうと女性に何の躊躇いも無く手を挙げるその男には何の迷いも無かった。
60歳の初老と言えど毎日、必要以上の筋トレをし並の人間以上には筋力も体力もある男はいつの間にか凄まじい超パワーを持っていたのだ。
地球で言うところの特殊能力が死後、激しい怒りで覚醒し女神を吹き飛ばす。
人間が神の顔面を殴り飛ばす、しかも女神相手に!
まさに真の男女平等パンチが歴史に名を残した瞬間がやってきたのだ。
「異世界だ……異世界行きの穴が絶対どこかにあるはずだ!」
女神の背後にある無数の穴。
どの穴がどういう役割を果たしているのか男には全く分からない。
だが男には確信があった。
この中のどれかが異世界で、そして勇者になるための穴なのだと。
(匂う……匂うぞ! 勇者の匂いだ! そこの穴かぁぁぁ!)
もちろん、どの穴も無味無臭である。
男の目に付いたのは唯一黒く何とも怪しげな光を放っている穴だった。
(こ、この色は……そうか! 魔王に蹂躙され人類が滅亡しかかっている世界だから黒いのだな!? 俺が勇者として誕生するにはこの世界以外には無いっ!)
男は重度の厨二病であるが故に
「あっ、その穴は駄目なのですぅ!」
バリィン!
女神の声は暴走した男に届くことはなかった。
いとも簡単に結界を蹴破り男は何の躊躇いも無く穴に飛び込んだのであった。
「あいったたた……行っちゃったですぅ。まさか神に手を挙げるだけでなく、あのような暴挙に出る人間がいるとは……怖い人間もいるものですねぇ。でも、間違った時代の穴だったら何の害も無いかもですねぇ。気を取り直してお仕事に戻るですよぉ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます