テンプレ勇者にあこがれて
昼神誠
プロローグ
現代にて
その男には子供の頃から諦めきれない夢がある。
勇者、誰もが恐れる魔王を相手に人々を救うために困難に立ち向かう者であり英雄だ。
だが、それは物語の中での出来事である。
現実には魔王や勇者など存在しない。
そもそも魔族という異種族も空想上の存在でしか無い。
その男は大学を卒業し、すでに会社勤めを始め10年以上の年月が経っていた。
30代後半、すでに現実を見て生きていてもおかしくない年齢である。
しかし、男は夢を諦めきれない。
「今日も帰りに本屋へ寄るか……」
西暦2000年代から流行しだした異世界転生モノ。
ふと立ち寄った本屋で男は運命の出会いを果たした。
男は数々の冒険譚にのめり込んでいった。
自分の夢をその小説や漫画で満たして行く毎日。
だが、夢を諦めきれない気持ちは膨らむばかりで男の脳内ではある一つの答えにたどり着いていた。
勇者に成り得る最後の希望、それは異世界転生を果たし魔族の居る世界で新たな人生を歩むことである。
男にはそれが間違った答えなどと思いもしなかった。
その答えに辿り着いた男はすでに46歳の中年男性となっていた。
結婚し子どもを設けていても可笑しくない年齢である。
だが異世界転生をする絶対条件に事故死がある。
いつか事故を起こし死ぬのに愛する妻や子どもを残してはいけない。
「今日も徒歩で来たのか? 交通費が支給されるのによくやるぜ」
「横浜からここまで歩いてくるのに4時間でしたっけ? 往復8時間って睡眠時間無くないですか?」
(電車に乗ってトラックに轢かれる確率を下げる訳にはいかないからな)
普通自動車に跳ねられたのでは駄目だ。
最もテンプレであるトラックに轢かれなければならない。
プリウスやアルファードに轢かれ異世界転生をしたという物語は存在しない。
いや、この際トラクターでも良いのかもしれない。
トラックに轢かれたと自分で思い込み心臓麻痺で死ぬのも在りかもしれない。
(だが、最も可能性が高いのはトラックが多く走る道を歩くことだ)
毎日、多くのトラックが走る国道沿いを二宮金次郎のように読書しながら徒歩で勤める毎日、未だに事故が起きる気配はない。
自殺に近い行為ではいけないのだ。
神様や女神様は不運な者に寄り添ってくるのがテンプレだ。
多くの異世界転生モノを読み漁り例外に近い小説もあるにはあるが、やはり確率としては多くの小説で採用され転生者を出しているテンプレ通りに乗っ取るのが良い、それが男の考えだった。
ザーザーザー
「今日は雨か、運転手も視界が悪くなりそうだし運良く轢いてもらえそうだな」
朝3時には起床し4時に自宅を出る。
徒歩で4時間、並の人間なら1日で音を上げ電車通勤に切り替えているだろう。
だが、この男はそれを10年近く続けている。
勇者に成り得るために毎日の筋トレも欠かしてはいない。
転生後に鍛えれば良いと甘えた考えではいけないと男は常に自分自身に呼びかけていた。
「ふぅ、雨の日は駅から少し歩くだけでも靴がびしょびしょなのよね」
「駅チカのここでもハイヒールじゃ濡れて当然だろ?」
(……くそぅ、何故だ! 何故トラックが俺に突っ込んでこない!?)
男は気付いていない、ガードレールがしっかりと張られている道路上でトラックが自分自身に突っ込んでくる確率などかなり低いことを。
(いや、諦めてはそこで終わる! 明日こそ必ず轢かれるはずだ)
「そういやさぁ、最近知ったんだけど自転車って歩道を走っちゃ駄目みたいね?」
「何だよ、そんなの常識だろ。自転車でも車だぞ。しっかりと車道を走らないと……」
「確か広い歩道は良いんじゃ無かったっけ?」
(な……に!? 車道を歩けば跳ねられやすくなるが、過去に警官からキツく指導されて以来は歩けていない。だが自転車なら堂々と車道を進める! そうなればトラックに跳ねられる確率も高くなるか?)
男はその日、退社後に自転車屋へ寄り自転車を購入した。
そして自転車通勤を初めて13年……男は59歳、その間事故は全く起こらなかった。
だが自転車通勤を初めて利点がいくつかあった。
単なる徒歩に比べ全身運動になるため体力が向上し、鍛錬の時間をその分多く取れるようになったのだ。
「この前の健康診断でメタボって言われてさぁ……」
「お前は何年経っても細いよな?」
「細マッチョのオジサマって感じで若手社員からモテてるみたい」
もちろん男に恋愛をする気など更々無かった。
すでに60歳手前である以上、定年退職を迎えるまであと数ヶ月……。
男は焦っていた。
定年後は体を鍛える時間が多く取れる一方、目的を持って何処かへ行く必要も無くなるため事故を起こす確率もグッと低くなる。
「定年したらさ俺、嫁と一緒に世界一周する予定なんだ」
「へぇ、良いな。俺は邪魔者扱いされるのが怖くてよぉ」
(世界一周か……そうだ、日本が安全すぎるから駄目なのだ! 交通ルール無法地帯の国へ行けば轢かれる可能性も高くなるのでは無いか?)
60歳手前の男の目的はいつの間にかトラックに轢かれることが目的となっていた。
だが自殺のように自分から突っ込んでいくことはしない。
テンプレ通りに不運で轢かれることを男は決して忘れなかった。
だが、異世界転生モノの多くは日本人で日本国内で事故を起こしていることを男は忘れていた。
そして定年を迎える3月31日……。
「「今までお疲れさーん!」」
「「かんぱーい!」」
あまり同僚と親しくせず飲み会などは断っていたが、その日だけは送別会に参加した。
何十年も共に支え合った仕事仲間だが異世界転生をすれば二度と会うことはない。
少し参加したら帰るつもりだったが会が始まって数時間、男の気は変わっていた。
男はその日になって初めて知ったのだ。
酒がうまいと……酔うことの素晴らしさと……仲間同士で語らうことの楽しさを……。
(何だよぉ……くそぉ、人生の大半を無駄にしちまったじゃねぇか……)
男は戻らない時間に後悔した。
子供の頃から持った夢を捨てないことこそ正しいことだと思い込んでいたのだ。
そして、送別会が終わり二次会、三次会と顔を出し男は帰りに付く。
「ふぃぃぃ、ひっく……自転車でも飲酒運転になるし、ここにおいて徒歩で帰るか」
男の頭には無かった。
電車で帰るという手段が……。
すでに何十年も電車を使わなかったが故に思い付きもしなかったのだ。
フラッ……
「おっとっと……目が回る……眠い……」
遠くから車が向かってきていることに男は気付いていなかった。
すでに夜中の3時、街頭もないその道は暗く男以外に人影は無い。
キィィィ!
ドゴッ!
(何だ、この衝撃? まさか車に跳ねられたのか!? 車種は!? トラックで無ければ異世界に……)
「ひ、ひぃぃ! やっちまった! おい、大丈夫か!」
意識が朦朧とする中、男は車を見て愕然とした。
(た……タントだとっ!? 軽自動車じゃねぇかぁぁぁぁ!)
男は毎日トラック以外には跳ねられまいと車を注意深く見ていたため車種に詳しくなっていたのだ。
そして打ちどころが悪く男は後悔ばかりのその生涯を閉じたのだった。
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