日出卜英斗は投げられたい!?

 俺は何故なぜか、体育館に併設されている武道館にきていた。

 ズバン! バターン! ドシン!

 そして何故か、柔道着に着替えてブン投げられている。

 ヒュッ! キイイインッ! ドガシャーン!

 沙恋されん先輩の妙技が冴えわたる……効果音、ちょっと盛ってる。とにかく俺は、女子柔道部が普段使ってるたたみの上でフルボッコである。

 あ、ボッコだと殴るイメージだから……フルスッポーン、とか?


「キャーッ! 狭宮はざみや先輩カッコイー!」

「次はあれ見せてくださいよ、あれ! ほら、山嵐やまあらし、でしたっけ?」

隅落すみおとしも見たいですー! っていうか、使ってる人見たことないので!」


 女子柔道部諸君、ずらり並んで正座で歓声を送っている。

 ちょっと待て、俺は必殺技の実験台か。

 俺も俺なりに乱取りの体裁を整えたいし、さっきから沙恋先輩をブン投げようと悪戦苦闘してるんだが。これがどういう訳か、全く投げることができない。

 ただ、ちょっと投げられ慣れてくると逆に、勝負が五分五分に近付いてきた感じもある。


「ハァ、ハァ、さあ! 立ちたまえよ、英斗クン! ふぅ、はあ……どうだい?」

「どうだい、というと」

「身体を動かし、て、汗を……ハッ、ハァ、流せば、少しは気も、まぎれるだろう?」

「まあ、そっすね。てか、大丈夫ですか?」

「なに、ここ、からが、本番、だよっ!」


 沙恋先輩、既にもうスタミナ切れである。

 駄目だ、この人はどこまでいっても瞬間湯沸かし器みたいな人で、スプリンター体質なんだろうな。人並み外れた力と技とは、ナントカマンみたいに三分しか持たないのかもしれない。

 でも、沙恋先輩は立っている。

 肩で息して、呼吸も絶え絶えだけど、誘ってくる。

 だから、俺もそろそろ投げてやれるのではと思ってしまうのだ。


「ところで、沙恋先輩」

「ん? なん、だい?」

「人を投げまくるって、結構、その、気持ちよくないすか?」

「当然、だとも! おかげで、ボクは、ハァ、あの、駄目兄貴による、鬱憤うっぷんを、わ、忘れられそうだ!」

「……俺を使った八つ当たりでは?」

「ハッハッハ、なにを言ってるのかにゃー? ゼェ、ゼェ……」

「あ! 絶対そうだ、体よく俺を気遣うフリしてストレス発散してる!」


 沙恋先輩にもいいとこあるなー、なんて思ってはいけない。

 そして、女子柔道部員のお嬢様方には、王子様かなにかに見えてるんだろう。

 悔しいから一回くらいは投げてやろうと思う。

 そう思って、体育の授業で昔習った通りに手を伸ばす。奥襟おくえりを掴もうとするんだけど、上手く立ち回られて持ち手を切られてしまう。

 そこそこ身長があっても、俺よりは小さい沙恋先輩。

 ようやく余裕が芽生えた俺は、なんとかしようと四苦八苦である。


「っていうか、沙恋先輩! 中にアンダーを一枚来てくださいよ! 女の子なんだから! ……むしろ、女の子だったら?」

「あー、いいの、いいの。今のっ、ボクってば、少年ハート、っ、なのだぜ!」

「またそんな」

「ほらほら、脇を、もっと、締めて!」


 やばい、ちょっと意識したら気になってしかたない。

 俺って、そんなにムッツリだったのか?

 真っ平らな沙恋先輩の胸は、柔道着の襟の奥で汗に濡れている。

 やっぱりこの人、男なのではないだろうか。

 いわゆる流行はやりの男の娘オトコノコ的なサムシングでは。

 そう思いつつ、俺は動きの鈍ってきた先輩を強く引き寄せる。


「っし、遠慮なく、投げ、ます、からっ! ねっ!」

「っ、あぁん」

――くぁwせdrftgyふじこlp!」


 見様見真似みようみまねで昔会得えとくした、とりあえず見た目だけはそれっぽい一本背負いが炸裂するはずだった。

 俺は、沙恋先輩の細腕を巻き込むように回転する。

 その場でぐるりと回って背負って、そのまま背筋をバネに跳ね上げる予定だったのだ。

 けど、だけど。


「ちょっと、耳元でそういうの! 汚いですよ!」

「いやーん、英斗ひでとクーン! ボク、マイッチングー、なんてな、ハァハァ」

「荒い息遣いがやらしい! 疲労とは別のなにかがキモいんですけど!」


 突然、エロゲーのいい感じなシーンの声作るの、やめてもらっていいですか!?

 と、思っていると……俺の崩しと引きが弱いのか、あっさり沙恋先輩は右腕を引き抜いた。俺は一本背負いを一人で空気に極める形になって、ケンケン状態でたたらを踏む。

 しまった、そう思った時にはもう、俺の腰に沙恋先輩は両手を回していた。


「おりゃーっ、ジャー、マァン! っ、ふう!」

「ぐはっ!」


 先輩はそのまま背後へ反り返ってブリッジ。

 綺麗に人間橋にんげんきょうをかけ終えてから、俺をその上でブン投げる。ちなみにどうでもいい話だが、古き良きジャーマンスープレックスホールドは最初に技をかける側の頭部が接地し、ブリッジが完成してからかけられる側が叩きつけられることになる。

 それ以前にまあ、柔道だからジャーマンはナシな、ナシ……ナシだよな!?


「キャーッ! 裏投げ! 一本ですわーっ!」

「ちょっと男子ー、目付きばかりで全然弱いじゃない!」

流石さすがは狭宮先輩、いつも対外試合で助けてくれるだけあって達人級よね!」


 あのー、裏投げですか、そうですか。

 まあ、いいけどね。

 俺は今度こそ大の字になって、仰向けに畳の上に倒れ込んだ。もう起き上がれない、っていうか、起き上がりたくない。

 で、沙恋先輩はといえば……同じくへたり込んでバタリと倒れた。

 本当に体力ないなー、もう。


「ああ、キミたち……ゴメンね、あとでちゃんと、色々教えるし、稽古けいこ、つけるから……水、とか、その、色々、お願い」


 沙恋先輩の息も絶え絶えな声が、すぐ頭の上でする。

 丁度俺たちは、脳天と脳天を突きつけるようにくたばっていた。もう、指一本動かせない。けど、どっちかというと沙恋先輩の方が疲労困憊といった感じだった。

 女子たちが皆、そぞろに武道館を出てゆく。

 俺にもできれば、飲み物を……た、頼むよー!

 そんなこんなで、広い武道館に二人きりになってしまった。


「はあ……沙恋先輩、生きてますー?」

「んー、死んだ……もうボク、死んだよ」

「生きてるじゃないすか。で? スッキリしました?」

「キミはどうだい? ボクは、まあまあ、かなあ」

「なにをやらせるかと思えば、ははは……まあ、悪い気はしないですよ」

「当然、だろ? ハーッ、疲れた」


 そりゃ勿論もちろん、沙恋先輩のストレス発散も兼ねてたと思うんだよ。でも、この人の「身体を動かし汗を流せば、モヤモヤは吹き飛ぶ」ってやり方、そんなに嫌じゃないな。

 強いていえば、一回くらいは投げたかったってことくらいだ。

 そして、俺は言われりゃまだまだ立てるけど、どうやら先輩は限界のようである。

 だが、不意にか細い声がしっとり鼓膜に触れてきた。


「昔、さ……一昔ひとむかし前の話、なんだ、けど」

「ん、なんです?」

「とあるところに、悪い悪い製薬会社がありましたとさ」

「……あー、とりあえず話を聞け、的な? 昔って」

「ボクが生まれる、ずっと前からあって、ね。フゥ……そこでは、遺伝子を編纂へんさん、調律する研究が行われていたんだ」


 なんの話かと思ったけど、すぐにピンと来た。

 俺は思わず起き上がって、上体だけで沙恋先輩を振り向く。

 先輩はまだ、畳に沈んだまま天井を見詰めていた。

 いや、その目に光はなくて、ただガランドウな硝子玉ガラスだまが上を向いていた。


「その製薬会社は、遺伝子の組み換えや投薬で、生まれてくる人間をチューニングできると思ったんだね。けど、国の査察が入って、罰せられた」

「あ、え、それって……!」


 小さい頃、まだハナ姉が引っ越す前の話だ。

 なんだかよくわからないけど、アニメの時間を待つ間にニュースで見たことがある気がした。なんでも、悪いことをした大きな会社があって、段ボール箱を持った沢山の刑事さんがゾロゾロ出てくるシーンを見た。

 言われなければ思い出さなかった。

 けど、言われる通りに事実は真実で、その延長線上にもしかして――!?


「ボクと流輝るきは、その実験の被検体……というか、成果物なのさ」

「それって」

「試験管の中で生まれて、フラスコの中で育った、的な? でもね……肉体と遺伝子が優れていても、流輝みたいに完璧にできてても」


 噛み締めるような言葉だった。

 沙恋先輩は手の甲で目元を覆って、静かにつぶやく。


「ごくごく一部の人間だけを豊かにして、その実ボクたち本人はどうだろうかと、まあ、そういう話なんだよね。で、我が愚兄ぐけいたる流輝クンは、そこをこじらせてしまったのさ」


 衝撃的だった。

 同時に、妙な納得を得た。

 異次元の美しさ、可憐で流麗なる沙恋先輩が、そうあれと人為的に造られた人間だったとしたら? それは悲劇だが、俺には妙な得心をもたらした。

 

 でも、それだけが沙恋先輩の全てじゃない。

 そして、そんな生い立ちを何故俺に?


「まあ、いい運動になったね……今の話はキミにしかしたことないし、話したのは初めてさ。まあ、忘れろ忘れろ、忘れ給えよー?」

「いや、そんな」

「……ん? 運動、か。そうか、運動ね……フフ、いいことを思い付いた」


 柔道部の女子たちが戻ってきて、スプリングの要領で沙恋先輩は飛び起きる。息を落ち着けた先輩は、そのままイケメンなスマイルで飲み物を受け取った。

 俺には、沙恋先輩の『いいこと』が、どこか邪悪でやばいものに思えてならなかった。

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