日出卜英斗はまだわからない

 とりあえず俺は、その後もアニメ談義で盛り上がるプレハブからお先に失礼した。なんていうか、ついてけない。アニメの話にじゃないし、むしろアニメ同好会の先輩たちは凄く友好的だった。

 なんていうか、流輝るき先輩のノリについていけない。

 その考え方に惑わされてしまうし、悩まされてしまう。

 悩ましい沙恋されん先輩とは別の意味で……ううん、全然別物の感覚だ。


「はぁぁ……世の中、戦争がなくならない訳だぜ」


 などと、思ってもいないことをそれっぽくつぶやいてみる。

 でも、俺の心のきりは晴れない。

 結局、午後の授業を全てサボった俺は、教室に戻るなり新たな伝説を刻みつけられた。どうやら、流輝先輩と一緒のところを見たクラスメイトがいるらしい。

 どうも、ことになっていた。

 まことが「気にするな」というから、そういうことにして……とりあえず、生徒会室でいつものように働き出した訳だ。


「はぁぁ……飢餓きがと貧困がなくなればいいのになあ」


 駄目だ、どうにも身が入らない。

 周囲はもの凄く忙しそうで、相変わらず騒がしい。

 ちらりと奥を見れば、やはり生徒会長の机に人の姿はない。その隣で、副会長のハナ姉がいつも通り働いていた。

 本当に普段通りで、平常運行だ。

 ただ、やっぱりちょっと辛そうだ。


「あれは、そうだね……仕事に没頭することで色々忘れようとしてるね、ハナは」

「ええ、ですよね。はぁ……俺って無力だなあ」

「何回目の溜息だい、キミ」

「だって、沙恋先輩……は? え、あ、あれ? 沙恋先輩!?」


 振り返って立ち上がると、いつの間にか沙恋先輩が立っていた。

 どうやら、周囲は激務の中で気付いていない様子だった。

 それなのに、沙恋先輩は遠慮なく通りかかった三年生を掴まえる。書類の束を抱えたその女子に「コーヒー二つね、ボクのには砂糖三つ入れて」とか、厚かましいにも程がある。

 目が点になってる三年生が気の毒になって、俺は沙恋先輩のそでを引っ張った。


「ちょっと、沙恋先輩。俺がコーヒーれますから。こっち来てください」

「ほーい。っていうか、いつも思うけど忙しそうだねえ」

「そういう先輩は暇そうですよね!」

「なにをー、こう見えても部活中だぞい?」

「はいはい」


 生徒会室では、ソフトドリンク飲み放題である。小さい冷蔵庫もあるし、ポットのお湯でお茶やコーヒーがいつでも飲める。

 俺もちょっと、頭がもやもやして仕事がはかどってなかった。

 コーヒーでも飲んで一服するのはいい考えだし、沙恋先輩がうるさくては他のみんなの仕事にさわる。


「えっと、砂糖三つでしたっけ? えーと、来賓用らいひんようのカップでいいかな」

「あ、ボクのマグはこーれっ! これに作って。エヘヘ、かわいいでしょ」

「……どうして役員でもないのに、マイカップがあるんですか」

「常連だもの。ハナが置いてもいいって言ったし」


 ハナ姉、沙恋先輩のこと甘やかし過ぎじゃないですかね。

 やれやれと思いつつ、俺はミッキーなネズミのプリントされたマグカップにコーヒーを作る。インスタントコーヒーだから、各種粉を入れて最後に備え付けの角砂糖を三つ。

 俺はまだまだ新米だから、紙コップを拝借だ。

 熱湯を注ぐと、白い湯気が芳醇ほうじゅんな香りをふわりと広げる。

 最近はインスタントでも、驚くほど美味おいしいもんだ。


「んー、いい匂い。英斗ひでと君はお砂糖幾つ? 脳に糖分、足りてるかにゃー?」

「あっ、ちょ、ちょっと! 勝手に砂糖入れないでくださいよ!」

「ニシシ、サービスだよ、サービス」


 あーあ、俺はブラックで飲むのに……まあいいか。

 ダダ甘くなってしまったコーヒーをズズズとすすって、一息つける。

 うん、落ち着いて頭の中を整理しよう。

 あと、無理に難しく考えたり、悩み過ぎないようにしよう。ドツボにハマったら、それこそ本末転倒だ。

 手段と目的を整理する。

 目的は、ハナ姉とラブラブになって、毎日イチャコラ暮らす。

 そのための手段として――


「おっ、ポケットにチョコレートが。英斗君、半分あげよう」

「……あの、結構本気で邪魔なんですけど」

「まあまあ、そう言わずに。キミ、少し怖い顔になってるぞ?」

「もともと悪人面あくにんづらですから」

「そんなことないさ。ハナが言う通り、普段のキミはキュートだよ。はい、半分。キミは男の子だから、おっきい方をあげるね」


 駄目だ、このマイペースなとこ、流石さすが兄妹きょうだいといえる。

 そう、妹……だよな?

 今日も女子の制服なんだけど、なんか妙にスカートが短い。これって校則違反なのでは、と思ったが、この御統学園みすまるがくえんには校則の類は存在しない。

 学校側から提示されたルールはないのだ。

 生徒会が生徒たちの総意を汲み取り、精査して制定されたルールならあるけども。


「あの、沙恋先輩……スカート、短くないすか。それ、寒くないんですか」

「そうかい? でもほら、適度に短くないとペチコートをチラ見せできないし」

「は? なに言って――!? って、ちょっとちょっと! スカートまくらないで!」

「丸見えだと下品だけど、ほら。こう、ちょっとすそが見えるだけでかわいいでしょ」

「お前はなにを言ってるんだ」

「わはは、男子ー、もっと勉強しろよー? オシャレは見えないとこにこそ、でも多少は見せたいものなんだよ、ウンウン」


 デカルチャーとか、そういうレベルの話じゃない。

 あと、無駄にかわいいから色々見せるのやめてほしいな。

 そんなこんなで、沙恋先輩はコーヒーを置くとその場でくるりと回って見せる。ふわりとスカートが広がって、その奥に秘められたカーテンが純白に輝いていた。

 きめ細やかなレースとフリルのコントラストが眩しい。

 フフン! とドヤ顔で沙恋先輩は、まるでバレリーナのようにピタリとポーズを決める。そして、両手でマグカップを包むように持ってコーヒーを飲み出した。


「あの、沙恋先輩……それで、なんか俺に用ですか?」


 そう、うっかりこの人のペースに巻き込まれるところだった。

 新米ながらも生徒会役員として仕事してる身だし、こんな俺でもやれることが沢山ある。それを引き受けるだけで、先輩の皆さんは勿論もちろん、ハナ姉だって楽になる筈なんだ。

 けど、そんな俺をからかうように、沙恋先輩は上目遣いに見詰めてくる。


「言ったじゃんかよー、部活中だって」

「へ?」

「ボク、助っ人部なんだけど?」

「はあ」


 沙恋先輩はグッと平らな胸を反らして、得意げに言い放つ。

 その言葉を聴いて、俺はちょっとグラリときた。


「助っ人だぞ? 


 なにそれ?

 なんだよそれ、さも当然のように言わないでくれよなあ。

 しかもそんな、今時ゲームやアニメの主人公だって言わないような台詞だ。それがまた、余裕たっぷりの沙恋先輩には嫌ってほど似合った。

 でも、まてよ?

 確か、先輩だって昼休みに――


「そ、その、どうも……でも、沙恋先輩は大丈夫ですか?」

「ほへ? ボクかい?」

「その、少しショックを受けてたような」

「ああ、流輝のことだね。ダイジョーブ! 平気ダヨ!」

「全然平気そうな声じゃないんですけど」


 平坦な声を引きつらせつつも、沙恋先輩は笑顔だった。

 その影にどうやら、完全に兄との確執をしまい込んだようである。でも、俺にはわかる。というか、それくらいはわかってあげたくなる。

 この、かわいくて綺麗なお邪魔虫は本当に時々鬱陶うっとうしいんだけど。

 だけど、なんだか悪い人じゃないし、時々驚くほどに繊細だ。


「……流輝はね、兄貴は本当に優秀な人間でさ。ボクも超優秀だから、それはもう小さい頃から有名な天才兄弟だったんだよ」

「すげー、その自信はどこから。まあ、それはおいといて」


 少し、流輝先輩と話したことを沙恋先輩に告げた。

 その意味深な主張や、答えのなさそうな難題を共有する。もっとも、兄妹……兄と妹ないし弟である沙恋先輩には、とっくにお見通しだったかもしれない。

 そして、あっさりと一言で俺の気持ちを漂白してゆく。


「あれね、あれは詭弁きべん! ただの詭弁だよ」

「詭弁、ですか」

「あたかも世界の真理であるかのように言うけど、その実ただのワガママさ。だったら、ボクみたいに正々堂々とワガママぶってる方が素敵だと思わないかい?」

「いや、それはないです」

「またまたー、れてもいいんだぜー? ボク、二号さんでも構わないから」


 うりうりと肘で小突いて、沙恋先輩はコーヒーを飲み干した。そして、マグカップを洗い物用の籠に入れる。ちょっと溜まり気味だし、俺が洗い物でもするか。

 けど、沙恋先輩は新しくかわいらしい小さなカップとソーサーを取り出した。


「じゃ、英斗クン。ハナにコーヒー出したら……行こっか」

「は? ああ、そのカップは」

「ハナはねえ、濃いめに作って砂糖は一つ、ミルクもひとさじ、かな」


 テキパキとコーヒーを淹れると、沙恋先輩はそれを持ってハナ姉のところへ。

 その背を見送って、俺は首をひねる。

 行くって、どこへ?

 その答えはすぐ知れた。

 どうやらやっぱり、沙恋先輩は本気で俺を助けにきたようだ。

 渡りに船の助け舟、嬉しいんだけど……このあと、俺はトンデモな荒療治あらりょうじにつきあわされることになるのだった。

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