Act.02 過去と未来の狭間に

日出卜英斗は二度寝しない

 その夜、夢を見た。

 夢だと気づけたから、これはいわゆる明晰夢めいせきむだ。

 セピア色の風景は懐かしくて、走ってる子供は俺だった。多分、まだ小学校に入ったばかりの頃じゃないかな? 確かに記憶にある景色だった。

 そう、俺はいつだって走って駆けつけたんだ。


『うおおおおっ! お前たちー! まことを、泣かすなああああっ!』


 夕焼けの空、遠くに聴こえるカラスの鳴き声。

 俺は弾丸のように公園に飛び込むや、大柄な上級生に渾身こんしんのドロップキックを決めた。そのままもんどり打って倒れても、すぐに飛び起きまことを背にかばう。

 今からじゃ考えられないような話だが、まことはよくいじめられる子だった。

 身体だって、俺よりうんと小さかったんだ。

 もう、大昔の話だな。


『ヒデちゃん、来てくれた、の?』

『おうっ! だからまこと、泣くな! お前を泣かせる奴は、俺がやっつけてやる!』


 俺が、キッ! といじめっ子たちをにらむ。

 この時からもう、俺の目つきは最悪に凶悪で、近所でも有名な悪ガキという触れ込みだった。いや、違うんだよ……俺は基本的には暴力反対だったんだけど、まことを助ける手段がこれしか当時は思いつかなかったんだ。

 そんな訳で、大乱闘が始まる。

 多勢に無勢でも、当時の俺は恐れなかった。

 若さって怖い……あ、幼さか。

 いつだって俺は、無敵だった。


『くっ、くそっ! 覚えてやがれーっ!』

『行こうぜ、もう夕ご飯の時間だしな!』

『まだ睨んでる……ふええ、こ、怖いよぉ! 悪魔だあ!』


 好き放題言いながら、いじめっ子たちは逃げていった。

 俺もかなりボコボコにやられたが、疲れも痛みもすぐに吹き飛ぶんだ。

 その理由が、背後からぽてぽてと走ってくる。

 振り向けば、心配そうに眉根まゆねを八の字にしたハナ姉がいた。


『まことちゃん、大丈夫? それと、ヒデちゃんも』

『ふええっ、ハナ姉ぇ~! 怖かったよぉ! あと、ヒデちゃんも怖いぃ~!』

『よしよし、まことちゃん頑張って偉いね。ヒデちゃんも偉い偉い。ほらヒデちゃん、こっちにおいで?』


 泣きじゃくるまことを慰めつつ、ハナ姉が俺に手を差し伸べる。

 ハナ姉は、小さな頃からずっと優しかった。そして、強かったんだ。まことのために喧嘩する俺をとがめなかったし、時には俺ごとまことを守るために戦ってくれた。


 ――あれ? なんだ? 何故か、記憶にノイズが……見ている景色が揺らいで歪む。なんだ……おかしいな、でもすぐに追憶は鮮明さを取り戻した。


 そんな訳で俺たち三人は、そうやって仲良く幼少期を共に過ごしてきたのだ。

 いじめられてるばかりじゃなく、他の友達とのいい思い出だってある。

 でも、やっぱり昔から俺の周りには必ずハナ姉とまことがいたんだ。

 そう、あの日までは……そして、今日から、また。


「――っ、は! はあ……夢、だったよなあ。ハナ姉が引っ越しちゃったの、すぐあとだっけ」


 俺はベッドの上で目覚めて、思い出に別れを告げた。

 二つ年上のハナ姉は、そのあと転校していなくなった。母親の再婚相手と一緒に暮らすために、都会へ行ってしまったのだ。

 そして今、俺も上京して同じ高校に通い出した。

 俺にとって、人生の第二幕が始まったばかりなのだ。

 そう思いつつベッドから起き上がると、インターホンがチャイムを鳴らした。

 同時に、ドアが開かれる。


「不用心だな、英斗ひでと。都会では皆、ドアには鍵をかけて寝るらしいぞ」

「……なんでいるの? てか、ええと、おはよう?」

「ああ、おはよう。いい朝だ……待ってろ、今すぐ朝飯を作ってやる」


 制服姿のまことがいた。

 ちらりと目覚まし時計を見ると、まだ六時である。

 まことは持参した食材を冷蔵庫に入れつつ、テキパキと朝食の準備に取り掛かったようだ。


「おいおい、どした? 何事だよ、ったく」

「うむ、実は……昨夜、夢を見た。昔の夢だ、懐かしかったなと思ってな」

「それと俺の朝飯と、どういう関係があるんだ?」

「深い意味はないが、英斗は一人暮らしで心配だからな」


 あのね、俺だって家事スキルはぼちぼち高いんだけど? まことの料理は美味うまいが、なんていうか野郎飯やろうめし……漢飯おとこめしなんだよなあ。ざっくり雑で味付けも濃い目、そして大盛り。

 でも、美味おいしくて好きだけどね。


「まこと、お前はどこに住んでるんだ? 近いのか?」

「走って10分ほどの場所に、親戚の家があるんだ。そこに居候いそうろうしている」

「そかそか、朝飯まだだろ? 一緒に食ってけよ。どれ、手伝おう」

「む、ではお言葉に甘えるぞ」


 俺は起き抜けのパンツにTシャツ姿だったが、気にせずエプロンを身にまとう。

 ってか、まずいよな……幼馴染おさななじみとはいえ、同い年の女子高生を前に下がパンイチなのは。あとからそうは思うんだけど、あまりにお互いの存在が自然過ぎて気づくのが遅れた。


「わり、ちょっと着替えてから手伝うわ」

「ん? ああ、今更いまさらだな。そのままでもあたしは構わんが」

「俺が構うんだよ! ったく」

「裸エプロンみたいで、ぐっとくるぞ! 英斗! いい感じだ! 需要あるぞ!」

「うるせー!」


 とりあえず、コンビニに行ったりする時のゆるいズボンをはいておく。

 その間も、まことは鼻歌交じりで上機嫌にたまごを割り始めた。


「英斗、卵はスクランブルでいいか?」

「ああ。フワトロで頼む」

「よしきた。あとは」

「一応、起きたら食おうと思っていたパンがある。どれ」


 そう、朝は手早くすませることにしている。

 モア睡眠時間、モアお布団! どうしても六時間は寝たいので、朝はギリギリまでベッドにいられるようにしてあるのだ。

 だが、今日は不思議と早く起きてしまって、しかも気分は悪くない。


「夢なら俺もみたぞ、まこと。凄い小さい頃の夢だった」

「ふむ、奇遇だな。今日は、今日こそはあたしもハナ姉に会うぞ。夢の中のハナ姉は、あの日のままで、いつもの笑顔だった」

「今もおおむねそうだぜ? っていうか、ちょっと忙し過ぎるのが気になるけど」

「あたしもいつか、ハナ姉みたいな女性になりたいものだ」


 いや無理! 物理的にまず無理!

 でも、キッチンで甲斐甲斐かいがいしく働くまことを見てたら、そんな断言も失礼な気がしてきた。まことはそこいらの男子よりはデカいし、ぶっきらぼうだし垢抜あかぬけない印象がある。でも、顔立ちは整ってるし、デカいといっても長身で痩せマッチョのアスリート体質だ。

 なにより、素直で一途で、途方もなく真っ直ぐなんだよなあ。


「ん? なんだ、英斗。ニヤニヤして、気持ち悪いな。キモい、キモっ!」

「前言撤回! くっそ、かわいくねえええええ!」

「いいから早く手伝え」

「へーい」


 とはいえ、狭いアパートのキッチンに二人は窮屈だ。

 しかも、家事には無駄に一家言いっかごんある俺によってカスタマイズを完了してある。かゆいところに手が届く、コンロ前から全ての調味料を自在に使うことが可能なマイキッチンなのだ。

 だからだろうか、ちょっとなんだかまことには狭そうだ。


「英斗、スクランブルエッグには」

「塩と胡椒こしょうを少々!」

「だったな。ちなみにあたしは」

「お前だけだよ! マヨネーズかけるの! 卵に卵かけてどーするんだっての」

「美味いぞ? 凄く、美味しい。っと、塩はこれで、胡椒は、あっ」


 まことが胡椒の入った缶から手を滑らせた。

 慌てて俺は、落下する缶をナイスキャッチ!

 その瞬間、やや体制に無理があって俺は転びそうになる。しかし、そこはまことが自然と支えてくれた。見上げるまことの無表情が、なかなかにイケメンだった。

 相変わらず眠そうなジト目で、まことは真っ直ぐ見下ろしてくる。


「大丈夫か、英斗。すまない、落としてしまった」

「へーき、へーき。つーか、顔近い! 近いって!」

「ん、そうだな。……英斗、お前……こうしてまじまじと見てみると、改めて」

「あ、改めて? なんだよ」

「目つき、極悪だな! わはは!」


 はあ、なにを今更……やれやれと俺は、まことを押しのける。

 これじゃまるでお姫様と王子様だ。しかも、俺がお姫様……なにが悲しくて、朝から幼馴染に抱きかかえられなければならないんだ。

 そう思っていると、手が柔らかな感触に埋まってゆく。

 うん? 弾力があって柔らかくて暖かくて、ドックンドックン――


「英斗、少し痛い。鷲掴わしづかみにするな」

「アッー! い、いやっ、これはその、おま……立派になったなあ」

「よせ、照れる」


 危ない危ない、素直に褒められてくれるまことじゃなかったら流血沙汰になるところだった。そして、やれやれと手を放す。

 でも、まだはっきりと感触が肌に感じられた。

 いかん、俺にはハナ姉という人が……そういえばハナ姉もトランジスタグラマーというか、いい感じにふくよかで、それでいてすらりと細身で……


「英斗、すけべな顔になっているぞ」

「な、なっていない! 朝からなにを言っている! ほら、卵が焦げる! ささっとフワトロにだ!」


 なんだか妙な空気になったが、気にせずカラカラとまことは笑う。本当にほがらかな笑みで、やっぱりこいつに俺は異性として見られていないんだと実感した。

 でも、それが逆に安心だし、気心許せる親友なんだ。

 俺の携帯電話がLINEの着信をかなでたのは、そんな時だった。

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