日出卜英斗はわかりたい

 当然というかなんというか、LINEラインの相手は沙恋されん先輩だった。

 それで俺たちは、朝飯もそこそこに家を出る。

 突然の呼び出しだったが、短文につづられた内容は俺とまことの興味を刺激した。


「と、いうか……意外と近い場所にあるんだな、ハナ姉の家は」


 まことがぽつりとこぼして、俺の隣に並ぶ。

 そう、右手には数分前から巨大な敷地が広がっている。高い高いさくに囲まれた、森のような庭園だ。歩けど歩けど、右側の風景が変わることはない。

 と、思ってたら……ようやく門が見えてきた。

 そして、すらりと細身の女子が制服姿で振り返る。


「やあ、来たね。おはよう、英斗ひでとクン。まことクンも」

「うす、おはようございます。早いですね、朝から」

「おはようございますだ、狭宮沙恋はざみやされん。性懲りもなく、また現れた、んぐっ!」


 パッカーン! と俺はジャンピングチョップ。まことの脳天にソフトな打撃を振り下ろした。

 まことはジト目をさらにジトジトさせつつ、痛くもないだろうに頭をさする。


「まこと、そろそろ呼び捨てはよくない。仮にも一応、先輩らしいんだからさ」

「おいおい、英斗クン。仮にもなにも、本当にイッコ上だよ?」


 笑顔の沙恋先輩をさらりと無視しつつ、俺はまことに少し説教だ。

 親しき中にも礼儀あり、そこまで親しくなくても……この狭宮沙恋って人はハナ姉の関係者なのだから。そう、悪い人じゃないのはわかってて、それがまた若干じゃっかんたちが悪い。

 それでも、先輩は先輩なのだ。


「いいか、まこと。失礼な相手に対しても礼を尽くす、最低限のマナーは守るんだ」

「お、おおう……英斗が真面目な話をしている」

「お前が沙恋先輩に失礼な態度を取ると、お前もまた相手と同レベルの失礼な奴になってしまうんだからな」

「……もう、その時点で英斗が失礼では……でも、わかった。すまなかった、沙恋先輩」


 腕組みうんうんとうなずいて、沙恋先輩は気にした様子もない。

 その笑顔は、疑う余地もなく上機嫌に見えたし、なんとなく俺の言いたかったことを察してくれたようだ。

 しっかし、昨日の今日で改めて見ると……恐ろしいほどに整った顔立ちだ。

 中性的な魅力を凝縮した小顔は、スカート姿も相まってスクールアイドル級の可憐かれんさだ。

 その沙恋先輩が、さてと手をパムッ! と叩いた。


「じゃあ、行こうか。キミ、ハナの恋人をやるんだろう? 一緒に登校するといいよね」

「はあ。あっ、それ! それ、超やりたい! まことにも早くハナ姉を会わせたいし」

「うんうん。どれ、早速……」


 何故なぜか門の前で、沙恋先輩は壁伝いに歩き始めた。

 いやいや待って、この仰々しい門が正面玄関に続いてるんじゃないのか?

 慌てて俺は華奢な背を追う。


「沙恋先輩、正面から入らないんですか?」

「ん、入れないよ。ハナの家はね、ちょっと特殊だからね」

「はあ。じゃ、じゃあ」

「さ、秘密の花園はなぞのへ御招待だ。そうそう、ここだよね、ここ」


 ふと沙恋先輩が足を止めた。

 見上げる視線を目で追えば、やりみたいに突き立つ柵の一部がほつれている。そこだけ金属の棒が外れかかっていて、小柄な人間なら一人分通れそうな空間があった。

 そして、ヒョイと身軽に沙恋先輩がそこに入ってしまう。


「こっちだよ、こっち。さ、急いで」

「急いで、って……不法侵入じゃないですかあ! ったく」


 口とは裏腹に、俺は身を横にして隙間に突っ込む。なんとか通れそうで、ギリギリだった。そして、法的にはギリギリどころか完全にアウトだろう。

 でも、気になったんだ。

 前から気にしていた。

 ハナ姉はいったい、どんな暮らしをしているのか?

 このご時世に、携帯電話も持てない学生生活でいいのか?

 それほどまでに、母親の再婚相手とは特殊な人物なのだろうか。

 その答えが、この先に待っていると思った、その時だった。


「ぐっ、ぐぬぬぬ! 待ってくれ、英斗。胸や尻がつっかえて、通れない……!」


 振り返ると、まことが四苦八苦していた。角度を変え体勢を変え、何度となくトライしてみては挟まっていた。

 かわいそうに、そのガタイではここは無理だ。


「待ってろ、まこと。今、ハナ姉呼んでくるからさ。一緒に登校しようぜ」

「う、うん」

「気にするなよ。すぐだから」

「わかった」


 少しシュンとしてしまったまことが、顔を引っ込める。

 それで俺は、すぐに沙恋先輩を追いかけた。

 付かず離れず、誘うように導くように歩く沙恋先輩。

 気配をひそめるとか、そういう態度に出るような後ろめたさはそこに感じられなかった。庭園を散策するように、後ろに手を組み鼻歌交じりに沙恋先輩は歩く。

 でも、すぐに振り返って唇に人差し指を立てた。

 俺は先輩と一緒に、さっと木立こだちの影に身を隠す。


「ほら、もっとこっちにおいで。そっとだよ? そっと、見てごらん」

「は、はあ」


 密着に近い距離で、俺は背後から沙恋先輩を抱くように顔を近付けた。

 なんだか、凄くいい匂いがする……柑橘系かんきつけいのフルーツみたいな香りだ。

 でも、視線の先にハナ姉を見つけた瞬間、目の前の誘惑なんて吹き飛んでしまった。

 やたらと広い部屋は食堂のようで、大きな洋館にふさわしいものだった。そして、これまたデカいテーブルにハナ姉が座ってる。もう制服姿で、いましがた朝食を終えたようだった。

 そして、随分と距離のあるテーブルの果てから、重々しい声が響く。


花華はなか、勉強は進んでいるかね?」


 恐らく、父親だろう。

 この位置からではその姿は見えないが、心なしかハナ姉の眼差まなざしには緊張感がある。身を正して、まるでフランス人形みたいになってしまっていた。

 見目麗みめうるわしいが、飾って愛でるだけのような存在。

 もしかしたら、父親はそういうふうにハナ姉を見てるんだろうか?

 再婚した女性の連れ子だからか、その男の声は妙に高慢にさえ聴こえる。


たちばな家の婦女子が、ただ夫にかしずいて子を産むだけでいいなどと……それは古い考えだ。わかるね? 花華」

「はい、お父様」

「これからは婦女子にも勉学や教養が必要だ。スポーツも芸術もいいし、とにかくやれることを精一杯やりなさい」

「は、はいっ」


 ん? 話だけ聴いてると、そんなに悪い父親像でもないような?

 そう思っていると、不意に背筋を寒い感触が走った。

 驚く俺はさらに、思わず声が出そうになる。

 あの沙恋先輩が、物凄い冷たい目でガラス窓の向こうをにらんでいた。

 冷たい炎とでも言うべき、負の感情が静かに燃えている。その横顔を見下ろしていたら、視線に気づいた沙恋先輩は笑顔を取り繕った。

 あっという間に、いつもの屈託くったくない美貌が輝きを取り戻す。


「凄い家だろう? 明治時代に立てられた建物らしくてね。で、明治時代みたいな人たちが暮らしてるって訳だ」

「ハナ姉、どっか昭和なお嬢様感あると思ってたけど……昭和を突き抜けて明治なのかあ。で、でも、沙恋先輩」

「うん?」

「厳しそうなお父さんだけど、ハナ姉のことをちゃんと考えてくれてるんじゃ」

「ああ、そうだね。考えてるよ? あの男は、ハナのことを考え終えてるんだ」


 ちょっとよくわからない話だけど、人様の家のことだ。ごく普通の平凡な家庭で育った俺にはピンとこない。

 ただ、直感でわかることが一つだけある。

 我が家でもハナ姉は、ある種の緊迫感に包まれている。

 さいなまれてるとさえ思えるような雰囲気があった。

 そして、父親の言葉に俺は絶句する。


「花華、橘の人間として全てを完璧にこなしなさい。婿。母親である以上に淑女を極めること、これがお前の幸せにつながるんだよ」


 前時代的な男ではなかった。

 全時代そのもの。

 別次元の価値観を持ってる人みたいだ。

 女は家庭に入って家事育児、それだけを女性に求める時代は終わってる。しかし、ハナ姉の父親はまだそれをたっとび押し付けて、その上で才媛才女さいえんさいじょでいることも求めているみたいだ。

 ハナ姉は小さな頃から賢くて利発だったし、優等生だった。

 でも、それだけを望まれていたら息が詰まってしまう。


「は、はいっ、お父様。では、学校に行って参ります」

「うむ。授業は勿論もちろん、生徒会の仕事も頑張りなさい。理事長には私からも話を通しておくからな」

「はい。では」


 なんだか、いたたまれないものを見てしまった。

 ハナ姉は俺たちの田舎町いなかまちから引っ越して、この十年間ずっとこんな屋敷に住まわせられていたのか。

 たった数分盗み見ただけでは、わからないことだってあろうだろう。

 だが、一種の嫌悪感に近い怒りを感じるには十分だった。

 それを今、沙恋先輩も共有してくれてるのかもしれない。

 その沙恋先輩だが、ポン! と俺の背を軽く叩いた。


「さ、戻ろう。まことクンが首を長くして待ってる。三人でハナを出迎えて、一緒に学校に行こうよ」

「うす! ……もしかして先輩、これを俺に見せたくて今朝」

「さてね。こういうのはボクにはないから、ちょっとよくわからないんだ。でも、ハナを笑顔にしたいからね」


 いつもの軽妙な沙恋先輩だ。

 そしてまだ、俺はそんな先輩しか知らないのかもしれない。

 性別不明、目的不明の彼だか彼女だか……狭宮沙恋は今日も、颯爽さっそうと俺の前を歩いて進む。俺も気配を殺して、その小さな背中を追いかけ外に出るのだった。

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