日出卜英斗は諦めない
退屈なレクリエーションの時間が終わって、昼休みの鐘が鳴った。
俺はまことと一緒に、クラスメイトの疑念の視線を背中で受け止め歩く。
「あの、狭宮先輩」
「
「はあ……じゃあ、沙恋先輩?」
「うん、いいね。もう一度」
「沙恋先輩」
「ワンモア」
「沙恋先輩……って、なにやらせるんですか。あと、どこへ行くんです?」
昼休みを迎えて、学園中が賑わっている。
自然とこういう時間帯の空気が、自由な校風を無言で語っていた。うん、いいじゃないか。学園生活って、こうじゃないとな。
でも、なんだろうね?
みんなが沙恋先輩を振り返るし、声をかける生徒も沢山いた。
沙恋先輩の軽妙な受け答えを目で追ってたら、みんなビクリ! と震えて逃げてゆく。……ハイ、ソウデスネ。目つき悪くてごめんなさい。
そんなことを考えていると、沙恋先輩は階段を降りて一階に。
すぐに人の密度が増して、混み合う購買部が見えてきた。
「ちょっと待ってて、英斗クン。それと、まことクンも」
ヒョイと沙恋先輩が人混みに分け入って、そして見えなくなる。
「英斗、あの女は……女? だよな? なんなんだろうな」
「まったくだよ、ったく。昨日から振り回されっぱなしだ」
「お腹、減ったな」
「ああ」
「英斗は弁当は」
「朝は忙しいからな。学食ですまそうと思ってた」
正直に言うと、少しでも長く寝てたくて選んだチョイスだった。女子と違って、男子はこういう時は手間がかからないからいい。起きて顔を洗って、歯磨き、軽く髪にくしを当てれば登校準備完了だ。
朝は昨日余ったご飯を温めて、インスタントの味噌汁で簡単に済ませる。
なので、俺も今は絶賛空腹中だ。
「なあ、まこと。ひょっとして……ハナ姉、なにか弱みを握られてるとか?」
「無防備にもほどがあるからな、昔からハナ姉は」
「もしくは、別に深い関係じゃなくて……ボディーガードとか。執事とか、そういうやつ?」
「母親の再婚相手、物凄い大金持ちらしいからな」
「つーか、ハナ姉に直接聞けばいいんだけど、あの人携帯持ってないんだよ」
「そういうのに厳しい家なのか? ふむ」
3年B組、
冗談みたいな名前に説得力を与える、抜群の容姿と人柄を誇る美少女だ。窓辺の文学少女って雰囲気満載の、なんだか昭和レトロな感じすらある
十年近く前、親の再婚でハナ姉は俺たちの前から去っていった。
その後も連絡は取り合ってたが、何故か電話は駄目、携帯もナシ、古式ゆかしいお手紙による文通で交流は続いたのだった。
その間、ずっと俺の
再会した時には、それを上回る感動と共に……あの沙恋先輩が現れたのだ。
「英斗、あたしは思うんだが」
「ん?」
「障害は実力をもって排除するのがいいぞ」
「だーっ、待て! 待て待て、どうしてそうなる!」
「あたしからはっきり言ってやる。失せろとか、去れとか、こう」
「言い方! あのなあ、まこと」
「英斗がイライラするのは、あたしは嫌だからな」
「……俺、
「少しな」
同居レベルで一緒に育った幼馴染、それが俺とまことだ。二人にとって姉以上の姉的存在だったハナ姉が去っても、その腐れ縁はこうして続いているんだが……
俺はホント、昨日からなんだかとても落ち着かない。
だから、ここは俺がガツンと言ってやらないと……そう思ってると、沙恋先輩が戻ってきた。
「ハァ、ハァ、ふうー! 毎度ながら凄い混雑だね。さ、二人共。アンパンをあげよう。それと牛乳もだ」
「あ、あの、沙恋先輩! あのっ!」
「わかってるよ、英斗クン。潜入捜査にはアンパンと牛乳だ。では行こう、こっそりとね」
呼吸を少し落ち着け、沙恋先輩は薄い胸に手を当てる。
中学でも昼のパン争奪戦は激戦だったけど、そこまで息を切らせるようなことか? などと思っていると、俺たちにパンを渡して沙恋先輩は歩き出す。
どこまでも
「とにかく、行くか英斗。ふむ! このアンパンは
「……駄目だ、マッハで
「さ、行こうかワトソン君。尾行の基本は気力と体力、そして暴力だ」
「お前ホームズって柄かよ! あと、暴力反対!」
しょうがないので、酷く
今度はどうやら、理科室や音楽室が並ぶ校舎西棟に向かうみたいだ。
あぐあぐとアンパンを頬張るまことを連れて、俺は歩調を強めて横に並ぶ。
「沙恋先輩、あのっ!」
「ふふ、声が大きいよ? 隠密行動、ほらほら気配を消して」
「どうやってですか、それに……なにしようってんです?」
「ハナのことを教えてあげようと思ってね。キミ、ハナのこと好きだろう? あ、ちょっと違うか」
隣の俺に回り込むようにして、沙恋先輩は後ろ歩きに振り返った。
にんまり笑った、とても眩しい表情に思わずドキリとする。
「大好きだろう、うんうん。ボクも同感だね。それでまあ、挟まってるんだけども」
「……地味に迷惑なんですけど、って言ったら」
「あ、ほら! 今日もお疲れ様だね。あれがこの学園でのハナだよ。ええと、まことクン。キミもほら、もっと壁際に寄って」
不意に、なんだかスパイ映画のよくある仕草で沙恋先輩が壁に張り付く。しょうがないから右に
つーか、抱き締めるように覆い被さって密着してくる。重い!
そして、目の前に異様な光景が広がり始めた。
「副会長! 決算の書類に承認をお願いします!」
「予算の計上、終わりました!」
「新入生歓迎会、第四次計画書できてます!」
「あのっ、サンドイッチならと思って……副会長、毎日お忙しいですし」
「陳情書がこんなに来てて、どれも書式はバラバラだし勝手わがままだし」
肩で風斬り、ハナ姉が歩く。
その背後に、沢山の生徒たちが連なっていた。どうやら、生徒会のメンバーのようだ。ハナ姉は以前手紙で、生徒会の副会長をやっていると言っていたっけ。
しかし、さばいてる仕事が尋常な量じゃない。
歩きながらもテキパキと、右に左にと差し出される書類に目を通していく。
「ハ、ハナ姉?」
「忙しいだろう? 彼女。これがハナの日常なんだよね。それで」
「それで?」
「おっと、行ってしまうね。追いかけよう。今日はなにもなければいいんだけど」
「今日は? なにもって……なにがあるんですか、先輩!」
「まだ秘密。論より証拠、その目で見てほしい」
ぞろぞろと一行を引き連れ、どうやらハナ姉は西棟を奥へと進んでゆく。たしか、ホームルームの説明では各種運動部や文化部の部室があるエリアの
すると今度は、ハナ姉を出迎えるように、迎え撃つように生徒たちが群がってくる。
人、人、人……ハナ姉の人望はもはや、カリスマといってもいいくらいだ。
「副会長! この間の画材の件なんですけど!」
「それより俺が先! 頼みますよ副会長ぉ! うちの制作費、もうカツカツで」
「新入生の歓迎会、ステージは各部5分ずつって、短過ぎますよね!」
「こっ、ここ、この間はありがとうございました! 前よりビシッと決まって……こ、これ、お礼にクッキーを焼いてきたんです、けど」
なにより、笑顔だ。
誰も邪険にしないし、面倒そうな話にも言葉を選んで頷いている。
俺はちょっとずつ、今のハナ姉を理解しつつあった。
昔から面倒見がよくて、お人好しで、底なしに優しいハナ姉……あの日のまま成長した少女は今、まるで学園を
それなのに、近寄りがたい雰囲気もなく、偉ぶった様子もない。
「……ハナ姉は、凄い、忙しい……?」
「まあ、そうだね」
「それと沙恋先輩と、なにが結びついてるんです?」
「まず、どういう訳か去年の秋に生徒会が引き継がれてから……生徒会長が全く仕事をしてない。なので、多岐に渡る仕事の全てがハナによってさばかれてる訳」
「それを、沙恋先輩は手伝ったりしてるんです?」
「うんにゃ? ボクは生徒会の役員ではないし、人の仕事を取り上げるようなことはしないよ」
「じゃあ、なにを」
その時だった。
背後からまことが「英斗、あれを」と身を乗り出して呟く。
すり寄ってくる大型犬みたいなまことを押しやりつつ、俺は見た。
生徒会一同の前にそそりたつ、まるで絶壁のような巨漢を。
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