日出卜英斗は諦めない

 退屈なレクリエーションの時間が終わって、昼休みの鐘が鳴った。

 狭宮はざみや先輩からの素敵なランチのお誘い……ではないみたいだが、一応俺は言われるままに呼び出される。っていうか、例の不思議な笑みで狭宮先輩が迎えに来た。

 俺はまことと一緒に、クラスメイトの疑念の視線を背中で受け止め歩く。


「あの、狭宮先輩」

沙恋されんでいいってば。ね? 英斗クン?」

「はあ……じゃあ、沙恋先輩?」

「うん、いいね。もう一度」

「沙恋先輩」

「ワンモア」

「沙恋先輩……って、なにやらせるんですか。あと、どこへ行くんです?」


 昼休みを迎えて、学園中が賑わっている。

 自然とこういう時間帯の空気が、自由な校風を無言で語っていた。うん、いいじゃないか。学園生活って、こうじゃないとな。

 でも、なんだろうね?

 みんなが沙恋先輩を振り返るし、声をかける生徒も沢山いた。

 沙恋先輩の軽妙な受け答えを目で追ってたら、みんなビクリ! と震えて逃げてゆく。……ハイ、ソウデスネ。目つき悪くてごめんなさい。

 そんなことを考えていると、沙恋先輩は階段を降りて一階に。

 すぐに人の密度が増して、混み合う購買部が見えてきた。


「ちょっと待ってて、英斗クン。それと、まことクンも」


 ヒョイと沙恋先輩が人混みに分け入って、そして見えなくなる。

 呆気あっけに取られつつ、俺は混雑から少し離れて壁に寄りかかった。すぐとなりに、フムと腕組みまことも並ぶ。


「英斗、あの女は……女? だよな? なんなんだろうな」

「まったくだよ、ったく。昨日から振り回されっぱなしだ」

「お腹、減ったな」

「ああ」

「英斗は弁当は」

「朝は忙しいからな。学食ですまそうと思ってた」


 正直に言うと、少しでも長く寝てたくて選んだチョイスだった。女子と違って、男子はこういう時は手間がかからないからいい。起きて顔を洗って、歯磨き、軽く髪にくしを当てれば登校準備完了だ。

 朝は昨日余ったご飯を温めて、インスタントの味噌汁で簡単に済ませる。

 なので、俺も今は絶賛空腹中だ。


「なあ、まこと。ひょっとして……ハナ姉、なにか弱みを握られてるとか?」

「無防備にもほどがあるからな、昔からハナ姉は」

「もしくは、別に深い関係じゃなくて……ボディーガードとか。執事とか、そういうやつ?」

「母親の再婚相手、物凄い大金持ちらしいからな」

「つーか、ハナ姉に直接聞けばいいんだけど、あの人携帯持ってないんだよ」

「そういうのに厳しい家なのか? ふむ」


 3年B組、橘花華たちばなはなか。17歳。

 冗談みたいな名前に説得力を与える、抜群の容姿と人柄を誇る美少女だ。窓辺の文学少女って雰囲気満載の、なんだか昭和レトロな感じすらある幼馴染おさななじみである。

 十年近く前、親の再婚でハナ姉は俺たちの前から去っていった。

 その後も連絡は取り合ってたが、何故か電話は駄目、携帯もナシ、古式ゆかしいお手紙による文通で交流は続いたのだった。

 その間、ずっと俺の憧憬どうけいは膨らみ続けた。

 再会した時には、それを上回る感動と共に……あの沙恋先輩が現れたのだ。


「英斗、あたしは思うんだが」

「ん?」

「障害は実力をもって排除するのがいいぞ」

「だーっ、待て! 待て待て、どうしてそうなる!」

「あたしからはっきり言ってやる。失せろとか、去れとか、こう」

「言い方! あのなあ、まこと」

「英斗がイライラするのは、あたしは嫌だからな」

「……俺、いらついてる?」

「少しな」


 同居レベルで一緒に育った幼馴染、それが俺とまことだ。二人にとって姉以上の姉的存在だったハナ姉が去っても、その腐れ縁はこうして続いているんだが……流石さすがに鋭いな。

 俺はホント、昨日からなんだかとても落ち着かない。

 だから、ここは俺がガツンと言ってやらないと……そう思ってると、沙恋先輩が戻ってきた。


「ハァ、ハァ、ふうー! 毎度ながら凄い混雑だね。さ、二人共。アンパンをあげよう。それと牛乳もだ」

「あ、あの、沙恋先輩! あのっ!」

「わかってるよ、英斗クン。潜入捜査にはアンパンと牛乳だ。では行こう、こっそりとね」


 呼吸を少し落ち着け、沙恋先輩は薄い胸に手を当てる。

 中学でも昼のパン争奪戦は激戦だったけど、そこまで息を切らせるようなことか? などと思っていると、俺たちにパンを渡して沙恋先輩は歩き出す。

 どこまでも唯我独尊ゆいがどくそん、マイペースが過ぎる人で困惑するしかない。


「とにかく、行くか英斗。ふむ! このアンパンは美味うまいな。やはり、人の金で食うパンは美味い」

「……駄目だ、マッハで餌付えづけされやがった」

「さ、行こうかワトソン君。尾行の基本は気力と体力、そして暴力だ」

「お前ホームズって柄かよ! あと、暴力反対!」


 しょうがないので、酷く華奢きゃしゃな沙恋先輩の背を追う。

 今度はどうやら、理科室や音楽室が並ぶ校舎西棟に向かうみたいだ。

 あぐあぐとアンパンを頬張るまことを連れて、俺は歩調を強めて横に並ぶ。


「沙恋先輩、あのっ!」

「ふふ、声が大きいよ? 隠密行動、ほらほら気配を消して」

「どうやってですか、それに……なにしようってんです?」

「ハナのことを教えてあげようと思ってね。キミ、ハナのこと好きだろう? あ、ちょっと違うか」


 隣の俺に回り込むようにして、沙恋先輩は後ろ歩きに振り返った。

 にんまり笑った、とても眩しい表情に思わずドキリとする。


「大好きだろう、うんうん。ボクも同感だね。それでまあ、挟まってるんだけども」

「……地味に迷惑なんですけど、って言ったら」

「あ、ほら! 今日もお疲れ様だね。あれがこの学園でのハナだよ。ええと、まことクン。キミもほら、もっと壁際に寄って」


 不意に、なんだかスパイ映画のよくある仕草で沙恋先輩が壁に張り付く。しょうがないから右にならえで、俺もそっと廊下の角に身を潜めた。後ろからはまことが、ニンニンとか言いながら張り付いてくる。

 つーか、抱き締めるように覆い被さって密着してくる。重い!

 そして、目の前に異様な光景が広がり始めた。


「副会長! 決算の書類に承認をお願いします!」

「予算の計上、終わりました!」

「新入生歓迎会、第四次計画書できてます!」

「あのっ、サンドイッチならと思って……副会長、毎日お忙しいですし」

「陳情書がこんなに来てて、どれも書式はバラバラだし勝手わがままだし」


 肩で風斬り、ハナ姉が歩く。

 その背後に、沢山の生徒たちが連なっていた。どうやら、生徒会のメンバーのようだ。ハナ姉は以前手紙で、生徒会の副会長をやっていると言っていたっけ。

 しかし、さばいてる仕事が尋常な量じゃない。

 歩きながらもテキパキと、右に左にと差し出される書類に目を通していく。

 眼鏡めがねが光の反射で瞳の表情を隠して、まるで精密機械のロボットみたいだった。


「ハ、ハナ姉?」

「忙しいだろう? 彼女。これがハナの日常なんだよね。それで」

「それで?」

「おっと、行ってしまうね。追いかけよう。今日はなにもなければいいんだけど」

「今日は? なにもって……なにがあるんですか、先輩!」

「まだ秘密。論より証拠、その目で見てほしい」


 ぞろぞろと一行を引き連れ、どうやらハナ姉は西棟を奥へと進んでゆく。たしか、ホームルームの説明では各種運動部や文化部の部室があるエリアのはずだ。

 すると今度は、ハナ姉を出迎えるように、迎え撃つように生徒たちが群がってくる。

 人、人、人……ハナ姉の人望はもはや、カリスマといってもいいくらいだ。


「副会長! この間の画材の件なんですけど!」

「それより俺が先! 頼みますよ副会長ぉ! うちの制作費、もうカツカツで」

「新入生の歓迎会、ステージは各部5分ずつって、短過ぎますよね!」

「こっ、ここ、この間はありがとうございました! 前よりビシッと決まって……こ、これ、お礼にクッキーを焼いてきたんです、けど」


 七面六臂しちめんろっぴ、ハナ姉の活躍は凄まじかった。一を聞いて十を知る、それを十人以上とやり取りしている雰囲気だ。聖徳太子も真っ青である。

 なにより、笑顔だ。

 誰も邪険にしないし、面倒そうな話にも言葉を選んで頷いている。

 俺はちょっとずつ、今のハナ姉を理解しつつあった。

 昔から面倒見がよくて、お人好しで、底なしに優しいハナ姉……あの日のまま成長した少女は今、まるで学園をべる女王様みたいになっていた。

 それなのに、近寄りがたい雰囲気もなく、偉ぶった様子もない。


「……ハナ姉は、凄い、忙しい……?」

「まあ、そうだね」

「それと沙恋先輩と、なにが結びついてるんです?」

「まず、どういう訳か去年の秋に生徒会が引き継がれてから……生徒会長が全く仕事をしてない。なので、多岐に渡る仕事の全てがハナによってさばかれてる訳」

「それを、沙恋先輩は手伝ったりしてるんです?」

「うんにゃ? ボクは生徒会の役員ではないし、人の仕事を取り上げるようなことはしないよ」

「じゃあ、なにを」


 その時だった。

 背後からまことが「英斗、あれを」と身を乗り出して呟く。

 すり寄ってくる大型犬みたいなまことを押しやりつつ、俺は見た。

 生徒会一同の前にそそりたつ、まるで絶壁のような巨漢を。

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