Act.01 初恋とお付き合いの狭間に

日出卜英斗はわからない

 明けて翌日、いよいよ始まる高校生活初日……ホームルーム前の朝は、誰もがはじめましてで騒がしい。

 俺も今日から高校生、この1年D組の一員だ。

 そして、幸運にも? 幼い頃からの腐れ縁と一緒である。


「それで、ハナ姉は付き合ってくれると言ったんだろう? よかったじゃないか」


 俺の机にどっかと腰を下ろして、大柄というかやけに背の高い少女が笑う。この、スーパーモデルもかくやというデカい女は、藍野あいのまこと。彼女も幼馴染おさななじみだ。

 まことは野性味あふれるショートヘアを揺らして笑った。

 笑っているが、目元は相変わらず眠そうなジト目である。


「あのなあ、まこと。いいから机に座るな、そのデカいケツをどけろ。邪魔だろ」

「どれ、それで? 昨日はそのあとどうしたんだ」

「……一緒に帰った。ハナ姉と」

「その、狭宮沙恋はざみやされん? とかいうのは?」

「狭宮先輩も一緒だ。三人で、なんかこぉ、色々話したけど……よく覚えてない」

「ははーん、あたしにはわかったぞ。それは俗にいう、NTRねとられだな!」


 うるさいバカ、女の子がそんな単語を口にするんじゃない。

 そ、それに、まだ取られてないし、寝てもいない。

 多分、恐らく。

 ってか、想像してしまったが、最高にキラキラ耽美な妄想を慌てて脳内から追い出すハメになった。

 悔しいけど、狭宮先輩は美形だ。

 イケメンというよりなんだろう、男装の麗人といったおもむきがある。

 けど、そんなお邪魔虫がいたって俺は諦めたくない。

 そんな俺の頭を、まことは無遠慮に撫でてくる。


「落ち込むなよ、英斗ひでと。あたしが慰めてやるからな」

「そりゃどうも。つーか、いいから机から降りなさいって」

「今日はお前のアパートについてって、夕飯を作ってやろう。大好物のチャーシューゴロゴロ焼き飯だ。元気出せよ?」

「声がでかいっての。まあ、サンキューです、けど、ね。それと俺、まだ終わったわけじゃないさ」


 そう、始まってすらいない。

 なのに、周囲の視線は一斉に俺たちの上で交差した。

 クラスの男女が、少しずつグループごとに仲良くなりつつある中での話題。誰もがささやきとつぶやきを連鎖させて、あることないこと言ってくれる。


「ちょっと、あのヤンキー君……まじ? あそこの二人、できてるの?」

「ちょ、やめなって! にらまれるよ? 見てあの目つき……びたナイフがどうこういう目じゃん? 危ないって」

「そういや、あのヤンキー君さ、入学式早々から体育館裏に先輩呼び出したんだってよ」

「マジかよー、気合入ってるじゃん」

「中学でも相当の暴れん坊だったらしいよ。こっちの人じゃないんでしょ?」

「地方をシメたから、今度は東京進出か……おおやだ、巻き込まれたくないねえ」


 話に尾ビレ背ビレどころか、翼も角も生えてくるような始末だ。

 だが、まことは気にした様子もなくのほほんとしている。こいつのはがねメンタル、どうなってやがんだ? 流石さすがはこの名門校にスポーツ特待生として推薦入学したアスリートだけはある。身も心も非常にタフネスだ。

 そのまことだが、ようやく机から降りる。

 それだけでもう、見上げる俺を影が覆った。


「あたしもハナ姉に会いたい。ハナ姉はあたしの理想の女性像だからな!」

「……どうしてハナ姉みたいな人をお手本にして、お前みたいなフィジカルおばけが育つんだ。真逆だろ、まこと。お前はガサツでつつしみがなくて、ずぼらでぶっきらぼうで」


 でも、素直で真っ直ぐで、正直で一途な奴だ。

 ちょっとこう、距離感がバグってて妙に近い仲なんだが、まことはいい奴だ。腐れ縁だと言ったが、小さな頃からの親友だから発酵食品みたいなもんだろう。勿論もちろん、まことに薄幸はっこうな雰囲気など微塵もない。

 思い出せば、まことはハナ姉にとてもよく懐いていたっけな。


「それよりだ、英斗。その、狭宮先輩とかいうのの話を詳しく聞かせるのだ」

「な、なんだよ。いいよ、別に」

「あたしがシメてやるから、安心しろな! なっ!」

「だから、声がでかいっての!」


 また周囲から、さっと見えない波が引く気配。

 ひそひそと小声が満ちてゆく。

 はあ、俺の高校生活……始まる前から終わってる。

 そう思った、その時だった。

 不意に、りんとした通りの良い声が響く。

 ハキハキとしていて、それでいてしっとり瑞々みずみずしい声音だ。


「ふふ、誰が誰をシメるんだい? ボクも興味あるね」


 誰もが振り向く先に、一人の少女が立っていた。

 それは、うわさの人物である狭宮沙恋だった。

 ここは私立御統学園しりつみすまるがくえん。都内きっての名門校で、日本有数の進学校だ。子供たちの自主独立を重んじ、生徒による自治が行き届いている。

 そして、制服は女子用も男子用も好きなものを自分で選択可能なのだ。

 だからって、やや趣味がかった女子のあの制服を、こうまで着こなす男がいるだろうか? いや、本当にこの人は男なんだろうか?

 俺の視線を真っ直ぐ受け止め、狭宮先輩はクスリと笑った。


「今日はこっちの気分なんだよね。で? ヒデちゃん、昨日ぶりだね」

「ヒデちゃんての、やめてもらっていいすか」

「冗談だよ、英斗クン。キミ、D組だったのかい? ま、先に用事を済ませようかな」


 狭宮先輩はさも当然ように、颯爽さっそうと教室に入ってきた。

 そして、周囲を見渡し一人の女子に近付いてゆく。

 まこと程じゃないが、狭宮先輩は長身痩躯ちょうしんそうくの美少女に見えた。しかも、酷く痩せて細い印象がさらにはかなげである。昨日の男子の制服とはまた、別人のような雰囲気さえあった。

 歩く姿勢や一挙手一投足が、まるで伝統芸能のように洗練されてる。


「ええと、ヘアバンドのオデコちゃん……キミ、永瀬ながせさんだね? 永瀬良子ながせりょうこさん」

「えっ? あ、はい……えと、先輩、なにか――っ、ひあっ!?」


 初めて俺が名を知った同級生は、突然の出来事に悲鳴を叫んだ。

 狭宮先輩は、まるで王子様か騎士のように、その……永瀬さんの手を取りうやうやしくひざまずいた。片膝をついて、手に手を重ねる。

 嫌になるくらい絵になってて、誰もが言葉を奪われ呼吸も忘れる。

 俺には、永瀬さんにハナ姉がダブって見えて、思わずブンブンと頭を振った。


「え、あ、あのっ! ……手紙?」

「キミへのラブレターさ」

「せっ、せせせ、先輩っ!? ……その、どしよ……女の子同士、です、けど」

「ああ、ゴメンゴメン。ボクは女子じゃないし、ボクからのラブレターじゃない。三年生の男子に頼まれてね。どこの誰かは、読んでみてのお楽しみさ」


 ぽーっとなってしまった永瀬さんから離れて、狭宮先輩は立ち上がった。

 そして、俺たちの方に近付いてくる。

 何故なぜかまことが身構え緊張感を張り巡らせていた。

 だけど、狭宮先輩は警戒心もなくにんまりと笑う。ゆるい笑みで、自然と俺はまことの肩にポンと手を置いた。無駄に敵愾心てきがいしんを燃やす必要は、今はない。と、思う。


「なんすか、狭宮先輩」

「いや、用事は済んだんだけどね。英斗クン、こっちの子は?」

「まことです。藍野まこと、俺やハナ姉の幼馴染で」

「ああ、なるほど。あいまこと……いい名前だね」


 まこと本人は多分、今もそうは思っていない。

 小さい頃は、随分と同世代の子供たちにからかわれたからな。だってすげえ名前だろ? 昔のまことはハナ姉よりちっちゃくて、いつも泣いてたっけ。

 ……なにをどう食えば、こんな大型犬みたいに育つんだ?

 それはさておき、どうどう、どうどう。

 まことが本気でかかれば、華奢きゃしゃな狭宮先輩なんてあっという間だ。

 だが、クラス中に沈黙と傍観を選ばせ続けて、狭宮先輩は肩をすくめる。


「昨日は悪かったね、英斗クン。悪気はなかったんだ。ただ、ボクはいつも通りハナに付き添っててね」

「は? いつも通り? 何故? ……ですか?」

「そう望まれたからさ。それで、単刀直入に聞くけど」


 今度は俺が身構えた。

 この性別不明な謎の王子様は、ことによっては恋敵こいがたきだ。

 でも、ハナ姉は俺のことを今も好きだといってくれたんだ。

 一歩も引く気はないし、引き下がらないと思っていると、


「昼休み、ひまかい? ちょっとボクに付き合わないかな」

「……はあ? それって」

「まことクンだったね、キミも来るといい。……知りたくないかい? ハナがこの学園で、どういう扱いを受けているかを」


 思わず俺は、息をんだ。

 そして、それが狭宮先輩にニンマリとした笑みを浮かべさせる。本当に嬉しそうに、それなのに妙にいやらしく先輩は笑った。まるで肉食獣か野良猫のらねこだ。

 そして、狭宮先輩は「それじゃ、あとで」と返事も聞かずに出ていった。

 まるで小さな台風がやって来て、そして過ぎ去っていったようだった。

 クラスの担任教師が来るまで、俺のクラスはきつねにつままれたような空気の中で冷たく凍ってしまうのだった。

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