51 醒
『耀ける大地』は、あの傀儡国Mを物語の舞台にしている。が、当時、わたしは当然生まれていない。池ノ上守恭は生まれていたが、まだ子供だ。彼の地で生まれ、育っている。
その池ノ上先生が、いつだったか、『あじあ号』の話をしてくれたことがある。南M鉄道ご自慢の高速列車だ。最高時速が時速一三〇キロメートルだから、現在の目から見れば、かなり遅い。JR東海及びJR西日本の特別急行列車『ひかり号』の最高速度が山陽新幹線区間で時速三〇〇キロメートルに引き上げられているから、その半分にも満たない。
が、時代が違う。当時の世界最速度が時速一三〇キロメートルなのだ。D連と新国家の首都であるS京間、約七〇〇キロメートルを所要時間八時間半で走り切る。表定速度が時速八二・五キロメートルに達したのだ。
もっとも傀儡国Mは広い。しかも平坦だ。都市部ではスピードを感じても、郊外に出れば景色が変わらない。が、それでも風は感じる。子供にとっては痛快だっただろう。
超特急の名でも親しまれた『あじあ号』は流線形のパシナ形(パシフィック形(配置2C1)の七番目の機関車という意)蒸気機関車と専用固定編成の豪華客車で構成される。その殆んどすべてが日本の技術によって設計/製作されている。当時の日本の鉄道技術水準を示す証拠だが、これが戦後、新幹線に生かされる。傀儡国Mは技術を伴う日本国の経済実験場だったが、『あじあ号』もその一つだ。
その超特急『あじあ号』で特筆すべきは冷暖房設備だろうか。特に手荷物郵便車を除く全車両に完備された冷房装置(空気調和設備)が素晴らしい。後に一般化する冷媒圧縮方式ではなく、機関車から送られた高圧高熱の蒸気を用いる吸収式冷却方式であるところが蒸気機関車の時代を偲ばせる。基本はアメリカ製品のコピーだが、砂塵渦巻く傀儡国Mの荒野では、とても嬉しい設備だったようだ。また世界でも類例のないサービスである。が、初めての試みゆえ、故障も多かったらしい。
『内装にはマホガニーがふんだんに使われて、まるで高級ホテルみたいだったな。もっとも当時のわしは理解していなかったが……』
『先生はお子様の頃からお金持ちですわ。羨ましい』
『その代わり、人生に選択肢がなかったよ』
『わたしにだってありませんでした』
『いや、沙苗さんは選んだんだ。自分の道を……』
『先生に利用されただけですから……』
『それを否定しないが、わしも沙苗さんに利用された』
『名声を得るまでのピアノの活動拠点が海外でなかったら、わたしは今頃、骨になっていたと思います』
『可能性はあるね』
『おお、怖い……』
『が、チャンスを与えられても、それをモノに出来なければ、所詮は骨だ』
『今のわたしは心が骨かもしれません』
『それを言ったら、このわしも骨だな。しかも見てくれまで骨だ』
『若い頃の先生は素敵な筋肉質で……』
『わしなりに気を遣ったんだよ。若造がぽっちゃりでは舐められる』
『それも育ちの良さでしょう。わたしにはまるでない……』
『沙苗さんには美貌があった』
『顔も知らない両親に、それだけは感謝しなければなりませんわね』
『美貌と言えば、『あじあ号』の食堂車には白系ロシア人のウエイトレスがいてね。オリジナルの『あじあカクテル』を配膳していたよ』
『先生もお飲みに……』
『ませたガキだったからな。だが、舐めただけだ』
『緑と緋色があったと聞きますが……』
『グリーンとスカーレットだ。わしが舐めたのはスカーレットの方……』
『どんなお味でしたか』
『砂糖味の柘榴(ざくろ)だな。ベースはコニャックらしいが当時はわからん』
『そう言えば、旧M国では殆んどの白系ロシア人がHに住んでいたらしいですね』
『一九一七年にロシア革命があったせいだ。旧貴族の成れの果ての売春婦もいた。一九二四年までに約十万人が流れ込んだ。ついで一九三二年から四五年に至る旧M国時代、中東鉄道が旧M国に売却された一九三五年にソ連への帰還が始まり、やがて戦後になり、旧M国における白系ロシア人の時代は終わる』
『お詳しいですね』
『こんなのは表の歴史だよ』
『先生は裏に生きた人だから……』
『ハル・ノートを知っているだろう。太平洋戦争直前の日米交渉でアメリカ国務長官コーデル・ハルによってなされた提案だ。日本の中国およびインドシナからの全面撤退、中華民国国民政府以外のいかなる政権をも認めない、という内容だな』
『はい』
『『中国からの全面撤退』を当時の日本政府は『M国を含めた中国』と解釈する。リットン調査団を派遣した国際連盟がM国を日本の傀儡国家と見做したから、そう解釈したのは無理もない。だが、最近の研究では、アメリカは中国にM国を含めていなかったという解釈が多勢を占める。アメリカ側の考えは『共産主義の防波堤となるならM国を日本に任せても良い。または共同統治』だったのだが、当時の日本に、それを見抜ける者がいなかった』
『そうだったのですか』
『今では、これも表の歴史だろう。まだ完全ではないが……』
『……』
わたしはそこで一旦言葉を失う。が、歴史に『もしも……』はない、と知っている。僅か五十年ばかりのわたしの人生においてさえ、それは事実だ。
けれども、わたしは自由な表現者として常に『もしも……』に憧れる。それで池ノ上先生とわたしとの波乱の軌跡を、いつの日か、『もしも……』の中に描こうと決める。それは、まだ先の話になるだろう。一つ一つの著作を終え、わたしは夢見る。やがて、まるで事故のように物語の構想が浮かび、わたしがそれを綴り始める。長い話ではない。いくらでも長くなる素材ではあるが、わたしの想いのままに大長編化すれば、それは終わらない話になるだろう。わたしは、それを避けたい。だから少し短いくらいの長編に『耀ける大地』を纏めたのだ。
が、暗示は多い。
旧M国と言えば『赤い夕陽』のイメージが強いが、それを『耀ける大地』としたのも暗示の一つだ。更にわたし(と生きていればもう一人)以外、誰にもわからない形で、唯と彼女の父親について記している。わたしが唯を愛せなかったのは彼女の父親に原因があるが、そのことには暗示以外で触れていない。偏の父親に関しては暗示でさえ示されていない。何故かといえば、それがわたしの表の歴史だからだ。
……と、そこまで考え、わたしは両瞼の裏に震えを感じる。段々と、その震えが大きくなる。
ああ、これは何を意味するのだろう。
遂に、わたしに最後の迎えが来たのだろうか。(了)
【参考】
第15節「饗」:食べログ、銀座スペイン料理、スリオラ(ZURRIOLA)
https://tabelog.com/tokyo
/A1301/A130101/13125046
/dtlrvwlst/55585157/
第51節「醒」:太田尚樹「満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの」、講談社文庫(二〇一一・八・一二)
【梗概】
母は兄を愛している。
兄のことだけを愛している。
兄が先天的に病弱だと知り、自分も病弱な母は、わたしを生む決心をする。
兄が四歳のときだ。
兄の世話を焼かせるためだけに母はわたしを生み、育てる。
だから、わたしの子供時代は地獄絵図だ。
そんな母は高名な作家で前職はピアニスト。
兄と離れて暮らすのが厭で演奏公演を止める。
母のピアノにはパトロンがいる。
その真の意味をわたしが随分後のことだ。
わたしが十四歳を過ぎる頃、母の身体に異変が起こる。
父が不幸な事故で亡くなってから十四年後。
特定の病気になったというわけではなく、身体全体がゆっくりと衰弱し始める。
その頃から、母のわたしに対する態度がきつくなる。
やがて兄に恋人ができ、わたしは数粋な運命に翻弄される。
キーワード
兄 妹 母 病弱 溺愛 人形 結婚 翻弄 数奇 不倫
相姦図 り(PN) @ritsune_hayasuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます