43 秘

「面白い娘が住み込んでいるそうだな」

 久し振りにわたしの顔を見た池ノ上先生が普通に問う。先生に呼ばれ、リムジンに揺られ、都市郊外の隠れ家に着いてすぐだ。

「昨日初めて会いましたが、先生にご興味があるようでした」

「直接わしにではなく、師事した沙苗さんの筋だろう……」

「それは思いましたが、先生のお名前を知っているほどです。母に信頼されたのでしょう」

「どんな娘だ」

「お調べになっていないのですか」

「両親や学校や交友関係は知っておる。だが性格はわからない」

「ちょっと天然が入った可愛い子ですよ」

「沙苗さんに気に入られたのか」

「詳しい経緯は、わたしにはわかりません」

「海外にいたのだから当然か」

「結婚に失敗しました」

「わしの目も霞んだな。あいつを見損なった」

「湯沢のことを悪く言わないでください」

「愛のない結婚でもか」

「少なくとも湯沢は、わたしを愛していました」

「浮気をしたじゃないか」

「わたしを愛していたからこそ浮気をしたんです」

「唯さんの言わんとすることはわからんでもないが……」

「湯沢が生きていれば、わたしはまだ彼の妻だったかもしれません」

「そうだな」

「時には憎んだかもしれません」

「そうだな」

「ですが、湯沢は死にました。結局、わたしが殺したのでしょう。わたしは湯沢を夫と見做しましたが一度も愛したことがありません」

「愛そうとはしたのか」

「時間が足りませんでした」

「そうか」

「湯沢の死はともかく、わたしが結婚を解消したのは先生にとって好都合でしょう」

「何故、そう思う」

「ほんの一年にも満ちませんでしたが、その間、わたしにも見えてきたことがあります」

「なるほど」

「お困りなのでしょう」

「断ってくれれば別の手を使う」

「でも、それでは弱い」

「個人的には唯さんを利用したくない」

「先生が、わたしに惚れてしまったから……」

「それもある」

「母が植物人間になってしまったから」

「それもある」

「レッスン期間中、先生はわたしを母として抱いたでしょう」

「いつわかった」

「湯沢がわたしに溺れたときです」

「なるほど」

「あいつは心底、唯さんを愛していたんだな。身体では特に……」

「心でも特にです」

「沙苗さんを投影したのは数回だけだ。その後は唯さんがすべてになった」

「それなのに、わたしが政敵に抱かれても嫉妬なさらないのですか」

「恋の味だよ」

「そうやって母と先生は睦み合い……。まさか、お二人の子供がわたしとか」

「残念ながら、それはない」

「本当ですか」

「本当だよ」

「では、わたしの父は誰ですか」

「礼三郎くんだ。他に誰がいる。沙苗さんが結婚し、礼三郎くんが生きていた間、わしは一度も沙苗さんを抱かなかった」

「信じます」

「だから、あいつが生きていれば、わしは唯さんに無理な頼みをしなかった」

「それも確かでしょう」

「引き受ける気なのか」

「断る理由がありません」

「家のために……」

「先生が危うくなれば、やがて我が家も危うくなります」

「財産管理会社の鴻上壮真は優秀だぞ」

「これまで大きなミスがないのが欠点の人だというのにですか」

「確かに、つけ入るならそこだな」

「壮真氏の奥様は金遣いが荒いとも聞いています」

「成金の娘だからだろう。性格そのものは素直だよ」

「……ということは騙されやすい」

「そうだ」

「いずれにしても壮真氏の仕事が傾けば家のすべてが不安定になります」

「唯さんはそれが防ぎたいのだな」

「わたしにできることは高が知れています。でも……」

「偏が知れば泣くぞ」

「ならば決して知らせないように先生が手を尽くしてください」

「本気か」

「本気です」

「そうか」

「嘘は言いません」

「わかった。では商談に移ろう」

「先生はわたしに相手に対する詳しい情報を与えないでください」

「良かろう。唯さんにとって、その方が有利ならばな」

「ええ、社会的なことは……。でも性的なことは先生が摑んでいるすべてを教えてください」

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