41 管

「ああ、何と言葉をかければ良いか」

 車で移動中に義母が事故に遭う。死にはしないが意識が戻らない。所謂、植物状態になってしまう。関係者は大慌てだが、どうすることもできない。幸い、権利関係は個人ではなく会社管理に変えてあったので利権を貪られることはないようだ。だから、わたしたちも安心してこの家に暮らせる。が、それも束の間……。事故後、義母のいないこの家に無数の親戚が現れる。最初は一々対応し、わたしが心身を衰弱させる。その後、財産管理会社の代表が警備員を雇い、対応にまわす。もう少しはっきり言えば追い払う。それで、わたしの負担が減る。

 財産管理会社の代表、鴻上壮真(そうま)は元商社マンだ。偏さんと同じ会社に勤めていたが辞め、財産管理会社に専念する。苗字からわかるように義母の夫方の親戚の一人。今ではわたしも同じ苗字を名乗っているが……。財産管理の仕事に専念したのは一年程前らしい。強い希望が義母からあったという。義母は自分の死ぬ時期を予想していたのだろうか。

「あるいは、そうかもしれません」

 ある日、家を訪ねた折、壮真さんが言う。

「運営さえキチンとしていただければ、あなた及び社員の給与は好きにされて構いません。先生がそう仰ったとき、これが人生の分岐点だと思いました」

「そうでしたか」

「先生はすべてをわたしに託されたのだ、と。それならば引き受けてみるのも面白かろう、と」

 わたしには義母の治療――不遜な言葉で言えば維持――に幾らかかるのか見当もつかない。が、かなり高額なのは確かだろう。

「先生は事故に遭う以前にも頻繁に病院に通っていましたし、プチ入院も多かったです。ですから、これまでより少し出費が増えたくらいです」

 壮真さんは簡単に言うが資金の元となる義母作品はもう生まれないのだ。

「実はそれについても、わたしは心配をしていないのですよ。現時点で実現していない作品のアイデアノートは残っていますし、多くの習作もあります。ですが、それ以上に映像化で富を増やせます」

 確かに、これまで義母作品を原作とする映画が二本作られ、いずれもヒットを飛ばしている。が、そう上手くいくものだろうか。それに何度も思うが、義母作品はいずれ底を突く。

「いえ、それも心配には及びません。優れた作品は何度でもリメイクされますから……。場合によっては海外でも……」

 確かに、ハリウッドでの映画化に成功すれば得られる富の桁が違うだろう。それは、わたしにもわかるのだが……。

「若奥様がご心配なされなくても大丈夫。わたしは決して無理を致しません。若奥様と偏様のご生活を守ることが、わたしの第一の使命です」

 壮真さんが真顔で言う、そのことも、もちろんわたしは知っている。

「先生との契約の最初がその条項です。実際、先生にとって残りすべては付随事項だったのかもしれません」

 その日、偏さんは病院だ。義母の事故が精神的に堪えたのか、ずっと調子が悪い。

「でも申し訳ないのは尚子さんじゃなくて、わたしですよね」

 壮真さんが家を去り、取り敢えず遣ることのなくなったわたしに話しかけてきたのは保坂憲子だ。この家兼義母のメイド。

「わたし、首にならないんですよ。仕事は先生の作品管理ですけど」

 若い目をクリクリと動かしながら、そう語る。

「まあ、降旗さんが亡くなってしまいましたから他にいないのかもしれませんが……」

 長い間義母の秘書をしてきた降旗絹代さんが義母と同じ事故で命を落とす。どういう人生を送って来たのか一人の親戚も現れない。それで、この家からお葬式を出すことに決める。

「憲子さんは降旗さんについて、お義母さまから聞いていないの」

「直接には、まるで……」

「間接には……」

「昔の朋友みたいですね。どんな間柄だったかまではわかりませんが……」

「謎の人よね、降旗さん、って」

「ああ見えて、実はすごくお綺麗なんですよ」

「えっ」

「皺くちゃで老けた感じでしたけど時間をそのまま巻き戻すと昔風の美人……」

「気づかなかったわ」

「わたしはテレビか映画でしか知りませんが、高級料亭にでもいそうな女の人でした」

「そうなんだ」

「尚子さんみたいに健康的なタイプではなく、いわゆる柳腰っていうか……」

「じゃあ、昔は男の人にモテたのかしら……」

「さあ、それはわかりません」

「そういえば憲子さん、相変わらず好きな人はいないの」

「わたしが好きなのは先生ですよ」

「それって意味が違うでしょ」

「でも何だが本当にそんな気がしてきて……」

「ふうん。わたしには理解できない感覚だな」

「年が離れ過ぎているっていうのですか」

「いえ、それも違うけど。でも……」

「でも……」

「だったら吃驚すると思うわよ」

「何がですか」

「唯さんよ。もうすぐ、この家に帰ってくる、わたしの義理の妹。お義母さまを若くしたら唯さんと殆ど同じ顔になるのだから」

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