36 断

「ああ、いいわ、ああああ……」

 大きくはない声でそう叫び、ディスティニー・ホーンが弓なりに身体を反らす。おれも我慢の限界を迎える。直後、

「ああああ……」

「あああ……」

 二人でともに小さく叫び、身体を痙攣させ、絶頂を迎える。やがて、その波がゆっくりじっくりと退いていく。

「愛しているわ、ヨウジ……」

「ああ、ディスティニー」

 アメリカ娘の二十歳に処女がいないというのは出任せだ。事実、ディスティニー・ホーンはおれに抱かれるまで処女を貫く。男女の関係など事故でしかないと、おれは思う。少なくとも、おれとディスティニー・ホーンに関しては……。

「ああ、ユウジ、愛してる」

 ディスティニー・ホーンと関係ができる前、おれと妻との結婚生活に破綻はない。もし何か問題があるとすれば、それはウジウジとしたおれの疑念だけ。訊けば晴れるかもしれない程度の疑念。が、おれが訊かないから唯さんも昔のことを話さない。唯さんが話さないのだから、おれの中の疑念は疑念のまま。

 そんなある日、おれは、その疑念を解消……とまではいかないまでも、打ち消す方法があることに気づく。唯さん以外の女性をおれが知れば良いのだ、と。それで互いが相子になる。浅墓な思いつきであることは、おれ自身深く理解している。自分の学生でもあるディスティニー・ホーンと関係を持ってしまった今となっては尚更に……。が、意気地のないおれには他に方法を思いつけなかったのだ。

「ああ、ヨウジ、ヨウジ、ヨウジ……」

 可愛い猫のようにおれの身体に纏わりつくディスティニー・ホーン。彼女はおれが大好きなのだ。だから、おれに処女を捧げる。アメリカ娘にしては珍しく、それまで貫いてきた大切な処女を……。だから、おれは彼女の気持ちに応えただけ。単にそれだけなのだ。

「おれには妻がいる。だから、きみとどうにかなっても未来はない」

 最初、おれはディスティニー・ホーンに断っている。が、彼女は、

「それでも構わないわ」

 と、おれに迫る。午後二時の出来事。場所はディスティニーのアパートだ。予感はあったが、おれはあくまでディスティニーの勉強を助けるために空き時間を使う。が、その最中、必然的な事故が起こる。

「ああ、ヨウジ、愛している……」

 ディスティニーとおれとの行為は完璧だ。知らないうちに、おれが妻に『逆床上手』を仕込まれたのかもしれない。初めての行為でディスティニーが痛がる様子と妻が初夜に痛がった様子が重なり、おれの中で何かが毀れる。が、その後のディスティニーの――上手くはないが――情熱的な振舞いが、おれの欲望に再度火を点ける。初めての行為で女が逝くことは、まずないそうだ。が、ディスティニーは、あのとき目に涙を溢れさせながら、おれに訴える。

「ヨウジ、ヨウジ、良いの。本当に良いの。ヨウジ、あたし逝ちゃったのよ。本当なの……」

 そこまで言われて悪い気になる男はいない。

「そうか、おれも良かったよ」

 だから、おれはそう応えたが、その後ディスティニーが、

「ねえ、ユイよりも……」

 と質すから、

「その話は止めよう」

 おれの方から話題を終える。が、ディスティニー・ホーンの、ねえ、ユイよりも……、という問いかけが止むことはなく……。

 結局、それが原因だろう。

 ディスティニーがおれの負担になる。おれがディスティニーと付き合い始めて三月の頃、彼女は、おれとの関係を誰にも漏らさない。が、それもいつまで続くか。おれの中に疑念が生まれる。それでも更に三月、おれとディスティニーとの関係がずるずると続く。妻は気づいたふうもなく、相変わらず夜はおれに奉仕してくれる。が、おれの方で出来ない日が続くようになる。

「大丈夫よ、気にしないで……。洋二さんは忙しいだけ……」

 妻はそう言い、おれを慰めるが、おれは覚悟を決めることにする。

「ディスティニー、きみとの関係はもう終わりにしよう」

 あの日、行為が終わった後で、おれが切り出す。

「きみとのことは事故なんだ。以前のように、また先生と学生との関係に戻ってくれないか」

「っ……」

 ディスティニーが答にならない言葉を漏らす。ついで、すべてを飲み込んでしまう。薄々、おれの心変わりに気づいていたのだろう。暫くし、沈痛な面持ちでおれに告げる。

「ヨウジにはもう無理なのね」

 それだけ言うとまた沈黙する。おれはディスティニーの沈黙が終わるまでじっと待ち続ける。

 数分後。

「わかったわ。ヨウジ、別れてあげる」

 それまでとは打って変わった明るい声でディスティニーがおれに言う。

「だけど、お願い。最後にもう一回だけ、わたしを抱いてちょうだい」

 別れを認めた女にそう切り出されれば断ることなどできないだろう。

「わかったよ。じゃあ……」

「いいえ、最後の日付はわたしが決める」

 ディスティニーがそう言い、あの日、おれは彼女のアパートから追い出される。数日経ち、おれのスマートフォンに連絡が入る。

「日曜日の昼間でも構わないかしら……」

「ああ、大丈夫だ」

 正直不安はあったが、妻には仕事が入ったと嘘を言い、おれは指定された時刻にディスティニーのアパートに向かう。が、まさか、おれとの行為の後にディスティニーがあのような行為に走ろうとは……。

「さよなら先生……」

 何処に隠し持っていたのか大振りのミリタリーナイフを握りしめ、それをおれの性器目がけて振り下ろしたのだ。

「ぎゃあああ……」

 咄嗟に何が起きたのかわからず、まだこの世のものとは思えぬ痛みを感じる前におれが叫ぶと、

「救急車は読んであげる。だから先生、運が良ければ命は助かるわ」

 ナイフで切り取ったおれの性器を左手に持ち、右手のスマートフォンで器用に救急に連絡を入れるディスティニー・ホーン。その裸体が、おれが気を失う前に見た最後のシーン。

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