第三章 25 談
「立派な結婚式だったそうじゃないか」
池ノ上先生が、わたしに言う。
「そう仰るのならば来てくだされば良かったのに……」
書斎の窓から庭の栗の木を見下ろしながら、わたしが応える。
「わしが出ると面倒だ」
「お目出度い席ですよ」
「合同結婚式にした理由は……」
「主席者の二度手間を防ぐためです」
「沙苗さんの顔だけを見に来る者たちなど呼ばなければ良い」
「これでも人気商売です」
「百万人の読者がいる作家が何を言う」
「けれども干されればお終いです」
「今の沙苗さんを干す奴はおらんだろう」
「それは先生方が守って下さるからでしょう」
「いや、沙苗さんが自分で勝ち取った戦果だ」
「わたしが生きている内は、そうかもしれません。しかし死後となると……」
「偏をまったく信頼しておらんのだな」
「あの子は商売人ではありません」
「その代わり、沙苗さんの遺産も食い潰さない」
「悪い虫が憑りつかなければ……ですが」
「そうだな」
「わたしが死んだ後の財産管理は礼三郎の家族に頼むことになります」
「今でもそうだと聞いているが……」
「わたしが生きている内は儲けの出るビジネスですが……」
「死後はトントンになると……」
「偏が生きている間、持ってくれることだけが願いです」
「沙苗さんは偏に優しいな」
「あら、それはどういう……」
「聞くまでもないだろう」
「先生は唯をお気に入りですね」
「そうだよ」
「ならば貰って下されば良かったのに……」
「わしを殺す気かね」
「桃源郷を彷徨いながら往生できますよ」
「わしはどぶ板の上で死ぬだろう」
「あら、怖い」
「占い師が予言をした」
「それで唯をお諦めに……」
「湯沢くんは良い若者だ」
「彼一人で唯が我慢できるかどうか」
「沙苗さんの心配は、そこか……」
「煩わしいのは御免です」
「これまで随分と敵を倒したからな」
「先生のご尽力のお陰です」
「それは事実だが、美人には厄介ごとが付いてまわるのさ」
「厭な世の中……」
「この国は変わらんよ。少し揺れても、すぐ元に戻る」
「それでも変わりましたわ」
「出来損ないが多くなったな」
「先生方の世代が頑張り過ぎたせいでしょう。次の世代が不安の種……」
「それについては沙苗さんと同じ思いだ」
「ところで先生……」
「何だ……」
「そろそろ先生とのことも書きたいと思っています」
「どこまで嘘を吐く気だ」
「知っている方々には先生だとわかるでしょう」
「それは構わんが、読者が信じたらどうする」
「極甘のフィクションにしますから……」
「自伝のつもりか」
「そのままは書けません」
「編集者……というより出版社の社長たちが怖がって止めるだろう」
「面白がる社長さんもいますけどね」
「一般の読者が買わない出版社の社長だよ」
「ええ」
「まあ、知っておろうが……」
「潰してもなくなりません」
「わしも飽いたよ。何故わしのような臆病者を的にする」
「それは先生が例の利権の生き証人だからです」
「わしなど小物だ」
「ご謙遜を……」
「いや、本当のことだ。二十年前とは社会が違う、体制も違う」
「でも人は同じ……」
「身辺の甘い輩は個人で潰せる時代になった……という意味ではな」
「わたしだってスキャンダルで消えますよ」
「それで唯さんが憎いのか」
「憎いというのとは違いますが……」
「けれども我が子だとは思っていない」
「先生はお見通しでしたか」
「人には言わんよ」
「わたしも先生とのことは人に言いません」
「だが書くのだろう」
「わたしが考える小説の信条は身の上話ですが、所詮嘘ですから」
「嘘こそ真実を伝える、と世間では言うじゃないか」
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