24 嘘
家を訪れる尚子さんが、その度毎に綺麗になっている。一方のわたしは毎週違う男を昇天させる。湯沢さんとは、まだ関係を持っていない。湯沢さんがわたしに迫れば篭絡される気でいるが、性に関しては本当に堅物のようだ。結構式まで、わたしが望まないと信じている。……とすると、初夜にわたしが性をリードすることになるのか。詰まらぬ懸念がわたしを襲う。が、それは杞憂のはず。性に自信を持てなかったわたしの兄が毎日尚子さんを綺麗にしているのだから……。
「尚子さん、すごくお幸せそう」
客室でお茶を一緒に飲みながら、わたしが言う。母は仕事で、兄は具合が悪いのでベッドで横になっている。だから、わたしと尚子さん二人だけのお茶会。
「ええ、すごく幸せ。毎日がまるで夢のようだわ」
「夢にしちゃわないでくださいね」
「それは唯ちゃんも同じでしょ。湯沢くんと結婚したらアメリカか。遠いわね」
「好きな人が近くにいれば遠く近くは関係ありません」
「あらら。お惚気」
「……というつもりはありませんけど」
「わたし、偏さんとの結婚を決めたとき、気になったのは唯ちゃんのことだったのよ」
「そうですか」
「だって、これまでずっと唯ちゃんの近くにいたお兄さんを奪ってしまうことになるのだから」
「手間が省けて助かります」
「うふふ。口ではそう言うけれど、唯ちゃんは偏さんのことが大好きでしょ。まあ、男と女の仲ではないにしても……」
「兄がわたしの大切な家族であることは尚子さんとご結婚されても同じですよ。だから年に四回は無理をしてでも、この家に帰ってきます」
「湯沢くんとは、そういう約束になっているの」
「話し合ったわけではなりませんが、彼の方から提案が……」
「湯沢くんは唯ちゃんのことが大事なのね。気を遣ってくれて……」
「だから本当は、わたしなんかがお嫁さんじゃ可哀想なんです」
「そんなことはないと思うけど……」
「望まれるのが一番ですか」
「一番とは断言できないけれど、そうかな」
が、そう答える尚子さんの表情には陰りがある。殆どが身体の関係とはいえ、わたしに性体験がなければ気づけなかったかもしれない表情だ。
「尚子さん、兄以外に好きな人がいるのでしょう」
咄嗟に脳裏に浮かんだその質問を、わたしは尚子さんに言いはしない。その相手が誰であれ、既に尚子さんが清算したに違いないから。わたしが二人の男を同時に愛せないように尚子さんも兄と誰かを同時に愛せるはずがない。それともわたし以外の女は皆、わたしとは考え方が違うのだろうか。兄との婚前セックスを愉しんでいるにせよ、こんなに真面目で清潔に見える尚子さんが……。
「唯ちゃんに秘密を話しちゃおうかな」
尚子さんの目が悪戯っぽく、わたしに語りかける。
「駄目ですよ、尚子さん。言ってはいけません」
わたしが必死にそう拒否する。
「会社の課長で仕事はできるけど、見た目は冴えない男なのよ」
「見た目なんか、どうでも良いじゃありませんか」
「だけど格好も良ければ、その方がずっと良いでしょう」
「尚子さんは贅沢です」
「女はみんな贅沢なのよ。それは唯ちゃんも同じでしょ」
「そうでしょうか」
「はっきり言って、わたしは今でもその人のことが気にかかる。偏さんのことを愛しているのは本当のことだというのに……」
「セックスが良かったんですか……」
「えっ」
「わたしがこんなことを言うとは思っていなかったって顔をしていますよ」
「だって……」
「女は嘘つきなんですよ。わたし、何人も男の人を知っています」
「信じられないわ」
「でも、それは兄のためなんです」
「偏さんの……」
「もしも尚子さんが現れなければ、わたしが兄の夜を慰めるようにと母に命じられて……」
「偏さんの様子を見て来るわね」
そのとき現実の尚子さんがわたしに言う。すると忽ち消える空想の尚子さんとわたし。
「はい、お願いします」
現実のわたしが笑顔で尚子さんに返事をする。自分では覗けぬ心の奥底では、階段から落ちて死ね、と願っているかもしれない。が、同時に、兄のことをお願いします、とも祈っている。尚子さんしか兄を幸せにできる人はありません。それにどの道、わたしという選択肢はあり得ません。
「尚子さん……」
「えっ、なあに……」
「兄のことをよろしくお願い致します」
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