18 違
コンコン……。
バスルームで思いを馳せるわたしの耳にノックの音が聞こえる。他に誰もいないからノックの主は偏さんだろう。が、どういうつもりか。
「入っていいわよ」
バスルームのドアを僅かに開け、顔を外に覗かせながら、わたしが言う。拒絶しても良かったが、こんな一連の選択が今宵を形作ると思い、判断を変える。
「珍しいわね」
「ぼくもシャワーを浴びたくなって……」
「それは構わないけど、わたしの知ってる偏さんって、そういう人ではなかったような……」
「さあ、どうだか。服を脱ぐよ」
「どうぞ……」
続いて衣擦れの音が聞こえる。衣擦れの音は女性が服を脱ぐときの形容だが、偏さんの場合はしっくりくる。
「それにしても、きみは綺麗だな」
「良く言うわね。恥ずかしい……」
「そうかな、思ったよりも恥ずかしがっていない気がするけど……」
「長い間、陸上選手をやって来たせいよ。男子生徒のすぐ横で着替えたこともあるし……」
「きみが平気でも、その場に居合わせた男子生徒は緊張しただろうな」
「そういえば、その男子のことで揶揄われことを思い出したわ」
「どんなふうに……」
「あのときSくん、おっきくしていたわよ、って同じ陸上部の女子から……」
「きみは気づかなかったんだ」
「わたしは本質的に鈍感だから……」
「でも目の前にあるものを見れば気づくでしょ」
偏さんが笑いながら言うので、わたしの目も動く。生まれて初めて元恋人の性器を見る。大きさはどうなのだろう。わたしの知る五人の男と父という少ない比較対象群の中では大きい方か。わたしと別れた後、何人もの女性を知ったらしいが煤けた色には変わっていない。さすがに子供のような綺麗なピンク色ではないが、限りなくそれに近い。少なくとも、わたしにはそう思える。わたしが見る間にも偏さんの性器がグイグイと上に持ち上がる。みるみる、お腹に近づいていく。
「こんなに立派なモノを持っていたのね」
思わず、蓮っ葉な女のようにわたしが言うと、
「尚子さんは言うほど見ていないだろう」
偏さんが切り返す。
「うん、だってあなたが初めてだもの……」
一瞬の惑いもなく、わたしが言うと、
「嬉しいな。ぼくも初めて好きな女の人の裸を見たよ」
しれっとした口調で偏さんが応える。
「思ったより、お尻が大きいでしょう」
「競技場でトランクス姿のときは、そうは見えなかったな」
「女の身体って、そういうモノなのよ。風邪を引くわ。さっ、早くシャワーを浴びましょう」
言葉を繋ぎ、浴室で一旦止めたシャワーを再開する。
「ほうら、小さくなあれ……」
偏さんの膨らんだ性器にお湯を当てながら、そう呟く。
「本当に小さくなってもいいの……」
「ここで大きくなられても困ります。それとも偏さんは、ここでしたいの」
「それもいいけど、今日は止めておくよ」
「じゃあ、わたしは先に出るから……」
「ちょっと待って……」
偏さんに不意を突かれ、わたしの動きが止まる。そこにキスだ。今度は軽い。けれども、わたしの身体に火を灯す。思わず、秘所にトロリとしたものが溢れ出たのを感じる。
「尚子さんの目がトロリとしている」
「ばか」
言い捨て、わたしはバスルームを去る。
バスタオルを身体に巻いて気づくが、服を持ってくるのを忘れている。
「どうかしてるわ」
バスルームの乱れ籠の中には、わたしの下着。それを偏さんに見られると思うと恥ずかしいが、偏さんならそんなことをしないだろう。そう考え直す。ついでベッドに座り、裸体のまま中に潜り込み、偏さんのことを考える。
が、わたしの頭に浮かんだのは入江課長の寂しげな顔だ。ストレスが溜まると禿げるんだよ、と後頭部の十円剥げをわたしに見せ、苦笑した顔。短く切り揃えた後ろ髪の中には隠しきれない十円剥げが見え……。
そういえば、この前のときにはなかったな。
一月ほど前の夜の出来事を思い出す。あの夜は熱かったが、それを思い出しても、わたしの秘所は濡れてこない。
「どうかしてるわ」
自分の頭の中の入江課長の姿を消すために両目を開け、呟いてみる。ずっと見えていたシティーホテル高層階の天井が、やがて偏さんの顔に変わる。
「どうかしている、って後悔してるの……」
「まさか」
でも涙が溢れる。
「嬉し泣きなら、ぼくとしては嬉しいけど」
「わたし……自分でもわからない。自分のことがわからない」
「人はみなそうだよ」
「だったら、みんな、どうかしているわ」
「そうだね。ぼくもどうかしているよ」
「……」
「こんなに尚子さんのことが欲しいと思うだなんて……」
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