16 話

 食後のコーヒーでゆっくりと寛ぎ、他愛無い会話を偏さんと交わす。

「ご飯を食べたから疲れたでしょ」

「少しはね」

「最初の頃、正直わたしは信じられなかったのよ」

「きみは全身健康だもの」

「結局、そういうことなのよね。偏さんがわたしに恋したのも、わたしの健康体のせいでしょう」

「最初はそうだと思うよ。素敵な脚をしていた」

「今は少し太くなったわ」

「十四歳の子供じゃないから」

「あれから十三年も経ったのね。干支が一まわり以上……」

「そうだね」

「当時、わたしのことが欲しかった」

「それはもう、ずっと……」

「品行方正に見えた偏さんでも……」

「ぼくに身体の丈夫さがあれば、きっと精神も丈夫だったと思う。でも、だからといって、きみを襲えたかどうか」

「今でもわたしの方が力は強いのかな」

「たぶんね」

「男の人って、そういうのを嫌がるでしょう」

「うん。だけど、ぼくの場合は仕方がない。慣れるしかなかったんだ」

「それはわかるわ。もちろん、わたしに本当に分かったかどうかは別として……」

「恥ずかしいけど、きみを想ってずいぶんと無駄な精を放ったよ」

「そういうことを口にできるのってすごいなと思う。普通の男の人だったら、たぶん言わないでしょ」

「そうだろうね」

「でも、わかるけどね」

「そうかい」

「直接関係ないけど、この前わたし、電車の中で盗撮されたのよ」

「えっ、そうなの……」

「確認はしてないから本当のところはわからないけど携帯のレンズがすっぽりわたしを視野に入れてたから……」

「酷い野郎だな」

「禿げたオッサンよ。休みの日だったからラフな格好で……」

「そうか」

「で、ホラ、わたしって美人でも可愛いわけでもないから気づいた限り盗撮はそのときが初めてで……」

「じゃ、怖かっただろう」

「それが不思議と怖くはなくて……。殴り合いになったら勝てると思ったからかもしれないけど」

「危ないなあ」

「まあ、そうだけど。でもね、そんな冴えないオッサンにでも盗撮されたことが、わたし、少しだけだけど嬉しくてさ。自分でも、どうかしてると思うけど……」

「きみを見ている人は大勢いると思うよ」

「残念ながら、そうでもないの。特に、電車に可愛い子や美人のお姉さんがいたときなんかは……」

「きみが見られることに慣れていないだけかもしれない」

「考えてみれば、わたしが生涯で一番多く受けた視線が偏さんからのモノなんだわ。改めて考えると凄いわね」

「それほどまでに見つめたきみを、ぼくは蔑ろにして……」

「今は蔑ろにしていないから許すわよ」

「優しいね。ありがとう」

「ねえ、わたしたちの仲って戻るのかな」

「それはわからないな」

「偏さんは戻りたい……」

「今のぼくは夢を叶えたいだけだ」

「わたしを抱くっていう……」

「そう。ぼくの心の中でずっと叶えられなかった想い」

「がっかりするかもね」

「そんなことはないさ」

「昔ほど筋肉がないわ」

「だけど運動を止めたわけじゃない」

「まあ……」

「だからがっかり……吃驚するとしたら、きみの方だよ」

「偏さんの身体には、まだ傷痕が……」

「ああいう痕は治らない」

「女の人たちは吃驚したでしょうね」

「最初はね。でもリアルタイムで膿んでいる傷じゃないから」

「それは、そうだけど」

「正直言えば、その時点で駄目な女性もいたよ」

「酷いわね」

「感覚的なものだから仕方がない」

「だけど、そうじゃない女の人たちは満足したのね」

「大なり、小なりに……」

「困ったな。わたし、顔も知らないその女の人たちに嫉妬してる」

「それって愛の告白かな」

「わたしは十年近く、あなたを独り占めにしていたのよ。途中から上手く行かなくなったとはいえ……」

「おかげで、ぼく以外の男の人を知れたと考えればいいさ」

「偏さんは、わたしに嫉妬しないんだ」

「まさか、今、物凄く嫉妬している」

「本当に……」

「もうそろそろ、その証拠をぼくに見せさせて欲しいんだけど」

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