10 誘

「いったい何の用かしら」

「まあ、そんなに硬くならなくても……」

 ぼくが通う大学からほど近い喫茶店Sで木村尚子と半年振りに会う。知り合った頃の木村尚子はまだ中学生。溌剌とした健康少女だ。が、喫茶店Sでぼくの目の前に座る木村尚子は憂いを帯びた美しい女性に変化している

「端的に言うと感謝をしたくて……」

「感謝ですか」

「長い間、臆病者のぼくと付き合ってくれた感謝だよ」

「それだったら、わたしも同じ。でも自分の気持ちが……」

「わからないのだろう。そこは、ぼくも同じだ」

 ついで困ったように二人して見つめ合う。まるで互いの中に隠れた困惑の理由を探すかのように……。

「困ったね」

「確かに困ったわ」

「きみは今、誰かと付き合ったりしてる」

「誘われた何人かと何度かは……」

「そう」

「あなたは……」

「まあ、ぼくも同じようなものかな」

「でしょうね」

「でも、もう手を繋いだりするだけじゃないんだ」

「へえー、そうなんだ」

「うん、そう」

「良かったじゃない」

「喜んでくれる……」

「まあね」

「でも、驚かないんだ」

「いえ、十分驚いたわよ」

「初めての人がきみじゃなくてごめん」

「ばか」

「だってきみと付き合っている頃、ぼくは夢では何度もきみを犯したのだから……」

「知ってる」

「やっぱり」

「だって夢の中でなら、わたしも何度もあなたに抱かれたもの」

「気持ちは同じか」

「でも現実は違う。あなたは××××がしたいのに言えない臆病者……」

「長く付き合った、きみにさえね」

「でも、できたんだ」

「遅ればせながら……」

「運命の人と出会ったのかな」

「いや、特定の人はいない」

「うそ」

「いや、本当だよ」

「だったら、どうして……」

「きっかけというのはあるんだよ」

「まあ……」

「で、きみの方は……」

「セックスだったら経験したわよ」

「そうなんだ」

「知ってしまえば、どうってことないのよね。当時はあなたの緊張が、わたしにも伝染していたみたい」

「ごめん」

「謝ることはないわ。身体だけは元気なわたしが、あなたを襲えば良かっただけのこと」

「でも当時は無理だっただろう」

「そうね」

「きみは、その相手とは愛し合って……」

「それはない……と思うけど」

「女心は複雑か」

「わたしを複雑にしたとすれば、それはあなたよ」

「返す返すも、ごめん……と謝るしかない」

「で、今日はどうしたいの。実はもう、あなたの目的はわかったけど」

「きみと寝たい」

「だったら愉しませてくれるんでしょうね」

「できるだけのことはすると約束する」

「仲は戻らないわよ」

「それは覚悟している」

「ふうん」

「どうした……」

「あなた、本当に変わったみたい」

「そうかな」

「全身に自信があるわ」

「きみに、そういってもらえると嬉しいな」

「わたしたち、過去を無駄にしたのね」

「ぼくが臆病だったから……」

「わたしがあなたを一番好きだったときが、今では昔なのが悲しいわ」

「過ぎたことを想っても仕方がない」

「そうね。でも、あなたとは結婚しないわよ」

「わかっている」

「わたしが誰かと結婚して人妻になっても、あなたはわたしが誘えば寝てくれるかしら」

「それが今回のきみの条件なら、ぼくは飲むよ」

「ばか」

「うん、ばかだ、ぼくは……。でも今夜はきみが欲しい」

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