9 贖

 あの日以来、ぼくは母とセックスをしていない。もしかしたらぼくの記憶を自在に消し、母がぼくとのセックスを時折愉しんでいたと想像することはできるが、おそらくそれはないだろう。母は自分をコントロールできる人間だ。また実の息子が性的に自分に溺れる姿など見たくないはずだ。

 ……とすれば、その原因となる行為を自ら封印する。

 あの日の母との一夜の後、ぼくは勇気を振り絞り、何人かの女の子たちをセックスに誘う。ぼくの身体に今でも残る幼い頃の皮膚病の痕に吃驚しながらも彼女たちはぼくとのセックスを愉しんでくれる。母から習ったぼくのディープキスが珍しいのか、ぼくとのキスに嵌った娘もいる。そうかと思えば純粋に官能の境地を彷徨った娘もいる。母があの夜、ぼくに教えることができなかったオーラルセックスを教えてくれた娘もいる。そんなふうに、ぼくの相手をしてくれた女の子たちは当然、綺麗な子や可愛い子ばかりではない。

 自分の身体のことがあるためか、ぼくは女性の容姿が気にならない。ぼくのことを好いてくれ、閨で自分の肌をぼくの目に曝すことを厭わなかった女性たちの多くとぼくはセックスを愉しんだのだ。そんな中には、将来的にぼくの妻の座を狙うような女の子も混じる。が、特に用心をしなくても大事に至るようなことはない。体力がないので一晩に何度もすることはできないが、概ね、彼女たちはぼくとのセックスに満足してくれたようだ。中には妖しい技でぼくの精を搾り取った女もいたが、彼女たちの性の好みはぼくではなく、取り戻せない深い関係にまで至らない。が、幸い、彼女たちの多くもぼくとのセックスは愉しんでくれたようだ。一歩踏み出て考えれば却って利害のない相手だったのかもしれない。

 複数の女性たちと性の喜びを味わったぼくは、自分の気持ちを試すため、木村尚子に連絡を入れる。青春の貴重な時間を臆病者のぼくに捧げてくれた感謝をしたいという想いもある。が、彼女が、ぼくの気持ちを受け入れてくれるとは限らない。そんな不安を胸にしながら、ぼくが木村尚子に連絡を入れる。

「ああ、久し振り。今度、会いたいんだけど……」

 たったそれだけの言葉を事前に何度も口中で唱え、ぼくが木村尚子に電話をかける。

「はい、今度の日曜日の午後なら空いています」

 別れて日が経った恋人たちに見られそうなぎこちない沈黙の後、木村尚子がそう答える。

「じゃあ、午後三時にSで……」

「わかりました」

 その昔、二人で足蹴く通った喫茶店名を告げ、待合場所に決める。木村尚子は、その後も何か言いた気だったが言葉にならないようだ。

「では、そのときに……」

 一分にも満たない会話で、ぼくの掌が汗びっしょり。身体全体も噎せ返るように熱くなっている。自分が本当は彼女に何を伝えたいのだろう、と考え込んでしまうほどに……。

 自室での電話を終え、興奮を冷まそうとぼくが居間に降りると妹がいる。ぼくの世話を焼こうと待ち構えている。

「お兄さま、お茶ですか、それともケーキ……」

「では、ニルギルを貰おうかな。唯と一緒に飲もう」

「はい」

 ぼくが言い、妹が嬉しそうにふんわりと首肯く。母に厳しく育てられているせいか、妹の唯は感情表現に乏しい。それでも、ぼくには笑顔を見せてくれる。

「お母さんは……」

「先ほど編集の諸谷さまがお見えになり、書斎で打ち合わせ中です」

「今度は新聞小説を連載するんだってね」

「詳しいお話は聞いておりませんが、そのようです。……では、お待ちになってください」

 話を切り上げ、妹が大急ぎで台所に向かう。まるで、この家の小間使いのように……。

「唯……」

 去って行く妹の背にぼくが声をかけると、何でしょうか、という表情で唯が振り返る。

「そんなに焦らなくてもいいよ。ゆっくりとでいい」

 ぼくがそう言うと妹が丸い笑顔を見せる。が、それも一瞬だけで、すぐに前を向き、台所に向かう。数分後、素敵な匂いを漂わせ、妹が紅茶を運んでくる。テーブルに供されたニルギルを口に含むと良い加減だ。

「美味しいよ」

「ありがとうございます」

「そんなに他人行儀でなくても……」

「しかし、お母さまが……」

「まあいい。唯も座りなさい」

「はい」

「自分の分も持ってきたんだから唯も飲みなさい」

「はい。では、いただきます」

 優雅な身の熟しで妹がティーカップを持ち、小さな口に運ぶ。妹の唯は部分を取れば母に良く似ているが、不思議なことに全体の印象が違う。

「美味しいかい」

「はい、美味しいです」

「そうか、それは良かった」

「お兄さま、お身体のお加減はいかがです」

「最近は調子が言いよ。唯のお陰かな」

 ぼくがそう言うと妹が珍しくぼくの目を覗き込みながら嬉しそうな表情を見せる。

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