やりたいこと やったもん勝ち

 屋上庭園でデートをしたあの日、先輩は相当無理をしていたらしい。

 翌日には高熱を出して、それからしばらくの間、体調を崩すことになった。


 それから、数週間が過ぎた。


 相変わらず俺は毎日先輩のお見舞いに行って、先輩の「死ぬ前にやりたい10のこと」を叶えようと頑張る日々を送っている。

 と言っても、先輩が俺に望むのは、そんなに大変なことじゃない。ケーキが食べたいとか、頭を撫でてほしいとか。そんなささやかなことばかりだ。

 いつの間にか俺が叶えた「やりたいこと」は、10なんてとっくに過ぎていた。


 先輩はベッドから起き上がれなくなってしまったけど。

 俺も先輩も、あの日デートをしたことを後悔していない。

 遅いか早いか、違いなんてそれだけだ。何をしてもしなくても結果が同じならば、やりたいことを今すぐやらない理由なんて何もない。

 それに、伯父が言うには、先輩の症状は予想よりもゆっくりと進行しているということだった。メンタル面の影響が大きいのかな、なんて、遠回しにからかわれたりもしたけど……それでも俺は嬉しかった。


 先輩のお見舞いに行くのとは別に、もう一つ。日課が増えた。


「やっほー三友くん。今日も元気に彼女とイチャついてきたかね?」


 それは、病院から帰ってきた後に久米と話すことだ。

 もちろん、俺から連絡するなんてことはない。いつも久米は狙ったように俺の空いた時間にメッセージを投げてくるのだ。


「まあな。今日はアイスをあーんしてやったぜ」

「ぐえええ、いきなり甘すぎるぜぇえ」


 そして俺も、なんとなくコイツと話すのは嫌いじゃなかった。

 本来なら俺の人生の中で接点なんてなかったはずの、大企業の社長様。でも今の俺は先輩のことしか考えられないから、相手がどんな凄い人間だろうと関係ない。だからこそ俺は久米の肩書を無視して、あっちの世界の芽多と同じような感覚で接することができるのだろう。

 それに、ナツ先輩との惚気のろけ話を誰かに聞いてほしいという欲求もかなりあった。

 こっちの世界では俺に友達なんていないし、伯父に話すのはさすがにキツい。

 その点、久米は雑に話をできる相手としてちょうどよかった。


「……いつも思うんだけどよー、アンタ俺の惚気話なんか聞いてて楽しいの?」

「そりゃもちろん。お腹いっぱいで胃酸が上ってくるような感じと、ほどよく脳が破壊されるような感覚がたまんないんだよねぇ」

「難儀な性癖だな……」


 何度か話しているうちに久米について分かったことと言えば、コイツはかなりの変態だということくらいだ。

 俺と先輩のイチャイチャ話を聞いて勝手に興奮して、悶えたり苦しんだりしながら楽しんでいるらしい。正直よくわからん。


「しかし、君たちがチューまでしていたと聞いた時は驚いたね。危うく絶頂してしまうところだった」

「気持ち悪いことを言うんじゃないよ」

「でもまあ、いくら愛し合う男女だと言っても、さすがにセッ……エッチなことは止めておきたまえよ? 彼女の体が危ない」


 久米はよく自分から下ネタを振るくせに、耐性がないらしく自分で言った言葉にめちゃくちゃ照れている。おかしな奴だ。


「うん……まあ……な」

「ん? なんか不自然な反応だね?」

「いや別に……」

「あっ……えっ、ちょ、ちょっと待って。嘘だろ? なに? なんで赤くなってんの? まさか……え? やった?」

「……」

「いやだって……ほら、30階ってアレだろう? 個室に一体ロボットがいて、バイタルに異常が出たら緊急起動するんでしょ?」


 なんで詳しいんだコイツ。

 ……まあ、キスの時の反省を踏まえたのか先輩が事前にロボットを強制停止させていたおかげで、色々な段階をすっ飛ばしてナースステーションに連絡が行ったみたいで……扉の前まで来たよね、スタッフとロボットたちが。

 いやまさか部屋全体でバイタルチェックしてるとは思わないじゃん。ロボット止めたら大丈夫だと思うじゃん。

 幸い、中の患者の意識がある間は許可がないと解錠されない仕様だったおかげで、大惨事は免れたが……


「……まあ、色々あってな」

「マジなんだ……えー……信じられない。君たち命知らずなの? バカでしょ?」

「なんでアンタ泣いてんの?」

「泣いてないやい。興奮しすぎて脳汁が目から出てしまっただけだ」

「やべー体質」


 なぜか落ち込んでしまった久米は、メガネを外して目元を袖で雑に拭うと、すぐにいつも通りの不敵な笑みを浮かべた。切り替えが早いというか、喜怒哀楽が激しいというか。


「しかし、彼女よく無事だったね。あそっか、三友くんが早かったからか」

「う、うるせ~~~! しょーがねえだろ俺だって経験なかったんだからよおお」

「いかん、なんらかの逆鱗に触れてしまった様子」


 経験のアレソレはともかくとして……

 わかってるんだよ、非常識だってことはよ……エロゲじゃねーんだから……

 でも先輩のやりたいことだって言われたら、そんなもんもう無理じゃん。常識とか理性とかどっか行っちゃうじゃん。

 しかしそれはそれとして、今回は久米が全面的に正しいので反省はする。経験がなくて逆によかったな……悲しいけど……


「そ、それより三友くん。前に何か聞きたいことがあるとか言ってなかった?」


 久米が露骨に話題をそらす。

 まあ俺としてもその方が都合がいいので乗っかることにする。


「あー、そうそう。あんたのこととか、芽多のこととか先輩に話してもいいのかなと思って」

「なんだ、それなら構わないよ。君たちは同じプロジェクトのテスター同士だからね。ネットワーク上に大々的に拡散とかしない限りは、私から聞いた情報を共有することに縛りはないと思ってくれたまえ」

「ふーん。結構ゆるいんだな」


 秘密裏に行われているやべープロジェクトの割に、そこらへん自由にさせて大丈夫なのかと思わなくもない。まあもしかしたら俺のIDとか端末がめちゃくちゃ監視されてるのかもしれないが。


「じゃあついでにもう一つ聞いてもいいか?」

「いいよいいよ。嬉しいなあ、君から話題を振ってくれるなんて」

「そんな感激するところじゃないだろ……まあいいや。えっと、あっちの世界で同じ部活だった奴ら……向日葵ひまわりとか天世あまよとか、あいつらもテスターだったりするのか?  それとも修みたいに、あんたが作ったキャラクターなのか?」


 修のことを最初に聞いた時はショックだったが、あれから時間が経って、俺なりに消化できたというか、気持ちの置きどころを作ることはできた。

 しかしそうなると、気になってくるのが他の部員たちだ。

 俺も途中からなんとなく、不自然さというか誰かがシナリオを書いているような雰囲気を感じてはいたが……同じ部活にあんな濃い面々が集まるなんて普通はあり得ないだろう。

 向日葵の過去はいかにも昔の恋愛ゲームにありそうな感じがするし、天世なんて異世界転生者だ。


「彼らかあ。実は、向日葵桜に関しては、完全にノータッチなんだよね。あれは純粋にあっちの世界の人」

「え、マジで?」

「人に歴史ありってね。普通に見える人でも、色々な過去を持っているものさ」


 言われてみれば確かに、向日葵の過去は現実にあってもおかしくない類のものだ。

 そもそも俺も結構レアというかアレな過去を持ってるしな……意外と、普通の人なんてものは存在しないのかもしれないな。


「そうなのか……しかし、その言い方だと天世は違うみたいだな?」

「うーん……彼はちょっと複雑でね」


 久米にしては珍しく、言いよどむ。

 単なる癖なのか、それとも端末を操作してるのか分からないが、クイクイと眼鏡の端っこを触りながら、久米はぽつりぽつりと語りだした。


「君たちに参加してもらったプロジェクトとは別に、いくつか並行して別のプロジェクトが進行していてね……彼はそのうちの一つ、進化の実験をしていた世界からよこされた存在なんだ」

「進化の実験?」

「簡単に言えば、サルではなく別の生き物が進化していたらどうなっていたのかなっていう実験。そこでは恐竜が絶滅せずに、小型化して知能を得るまで進化した場合のシミュレーションを行っていた」

「恐竜って……なにそれ、そんなことあり得るのか?」

「相当介入しなきゃ無理だったみたいだけどね。まあ、実現したらしい。んで、彼はその実験で生まれた個体で、そこから派生した実験に選ばれたってワケ。記憶と人格を、君たちが参加したプロジェクトの世界……まあ現実世界をできるだけシミュレートした世界の人間に植え付けるっていうね。いわゆる創作でいう逆異世界転生をやってみようぜ! というノリだったとか」

「やっぱ終わってるな~……倫理観が……」

「まあまあ、今更じゃないか」

「そうだけどよ……ん、じゃああいつが言ってた神の声っていうのはひょっとして」

「おっ、鋭い! そう、研究員たちが出してた指示のことだね」

「なんか……夢も希望もねえなあ」

「どうして? 夢と希望に満ちあふれているじゃないか!」


 ギラギラ輝く久米の目を見て、これは話が通じないやつだなと俺は早々に悟った。

 話してみれば意外と楽しい奴ではあったが、やはり久米とは根本的に、価値観というか考え方が違う。無理に理解しようとすると頭がおかしくなりそうなので、適当に距離を取るのが最適だということを最近学習しはじめたところだ。


 思いがけずあっちの世界の後輩たちの秘密を知れたところで、その日の雑談は終わりになった。

 気のせいか、最近、久米と話す時間が長くなっているような気がする。

 同世代の友達……のようなものができて、知らないうちに楽しくなっているのだろうか。自分で思い浮かべたその考えがなんだか気に入らなくて、俺はもうさっさと寝てしまうことにした。








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