デート回

 この病院の最上階には、誰でも入れる庭園がある。

 屋上庭園、ということになっているが、実際のところその周囲は全面ガラス張りで、頭上にもしっかりと屋根がある。間違っても外に出たり物を投げ落としたりできない構造だ。

 いつでも空調が効いていて、たまに人工的な風が吹く。鳥の声なんかも聞こえるが、もちろんBGMだ。……まあ、色々なことに配慮した結果、こんな感じの不思議な空間になったのだろう。

 そんな屋上庭園に、俺と先輩は訪れていた。

 いわゆるデートである。


         ◆


「デートがしたい……」

「いいね。俺もしたい」


 昨日やりたいことを考えておくと言っていた先輩は、お見舞いに来た俺にさっそくそう告げた。

 俺はほとんど反射的に返事をしてから、ふと疑問を投げかける。


「したいけど……大丈夫なの?」


 色々な意味で。

 他の病室と同じく外出は許可制なのか、それとも自由に出ていいのか。というかそもそも、外を出歩く体力があるのか。そんな疑問があった。


「私の病気は免疫系が駄目になるやつじゃないから、出歩いても平気なんだ。でも薬のコントロールとかあるし、外出は難しいから……屋上庭園なんてどうかなって」

「屋上庭園?」

「知らない? ここの上にあるの。出入り自由なんだって」

「へー、知らなかった」


 病院のマップを見ると、確かに屋上庭園というものがある。

 でも、それとは別に外にも散歩用の公園みたいな敷地が広がっているから、気付かない人も多いんじゃないかこれ。


「それじゃちょっと行ってみますか」

「うんっ」


 そんな訳で俺と先輩(と先輩の医療用ロボット)は屋上庭園に向かったのだった。


         ◆


「誘っておいてあれだけど、実は私も初めて来た」


 車椅子に乗った先輩は、そう言いながら物珍しそうに辺りを見回している。

 屋根があり、四方をガラスで囲まれている空間は、やっぱり屋上というよりも植物園みたいな感じがする。それでも景色は抜群に良いので、開放感は病室や談話室の比ではない。

 30階の窓はあれだけ小さかったのに、誰でも出入りできるこの場所がこんなに開放的でいいのかという疑問が湧くものの……各所に配置された警備用ロボットを見て納得がいく。少しでも妙な動きをしたら囲まれそうだ。


「あっ、ほらリュウくん! おっきな木!」

「おー、こりゃでかいね。桜の木だ」


 庭園の真ん中あたりには、巨大な桜の木が植えられていた。樹齢何年なのかは知らないが、どうやってここまで運んだのか気になるデカさだ。


「桜かー……来年の春には満開になるのかな」

「……たぶんね。周りのベンチは花見用かも」

「お花見、いいな。楽しそう。一度くらいやってみたかった」

「それならほら。あっちにミニヒマワリが咲いてるから、夏のお花見をしよう」


 俺が指さした方には、背の低いヒマワリが所狭しと咲き誇っていた。黄色い目玉のような花が密集している光景は、なかなか迫力がある。

 二人でその近くに行き、俺はベンチに座った。先輩は車椅子なのでそのまま隣でヒマワリを眺めている。

 花見と言っても、俺たちは食べ物も飲み物も持参していない。だから本当に見るだけだ。

 ふと、年中空調が効いている空間でも桜は咲くんだろうかという疑問が頭を過ぎる。しかし実際のところ、きちんと夏にヒマワリが咲いているのだから、その辺りはうまいことやっているんだろう。


「桜ちゃん、元気にしてるかな……」


 どうでもいいようなことを考えていた俺と違って、先輩はあっちの世界で知り合った後輩のことを思い出しているようだった。

 桜と向日葵。なるほど、考えてみれば確かに示唆的だ。


「心配いらないと思うよ。悩みがなくなったあいつは元気の象徴みたいなもんだし」

「確かにそうかも……あっ」


 不意に何かに気付いたように、先輩は目を見開く。


「どうしたの?」

「私がいなくなって、リュウくんもいなくなったら、部活に必要な人数が足りなくなっちゃう」

「あー、それなら大丈夫だと思う。芽多が新入部員募集しとくとか言ってたから」


 まあ最悪、久米に頼めばなんとでもなりそうだし。

 ……そういえば久米と芽多のこととか、先輩に話しても大丈夫なのかな? 一応、機会があれば確認しとくか。


「そっか……安心したような、ちょっと寂しいような……でもよかった。リュウくんはちゃんとお別れしてから戻ってきたんだね」

「ちゃんとってほどでもないかな……話せないことが多すぎて」

「どんなふうに説明したの?」

「詳しくは言えないけど先輩を探してくる、って」

「あはは、誰も納得しないでしょそれ」

「いやあ、意外となんとかなるもんよ」


 なんとかなるというか、ゴリ押しでなんとかしたというか……向日葵にはマジ泣きされたけど。


「でもみんな、別れを惜しんでくれた。先輩のことも、急に学園をやめたって聞いて、どうしてだって俺に詰め寄ってきて……ああみんな、先輩のことが好きだったんだなって思ったよ。本当に」


 あの時のことを話したら、先輩に後悔させてしまうかもしれない。それでもやっぱり俺は、部活の皆の気持ちを伝えておきたかった。例えあの世界が作り物で、あいつらが単なるプログラムに過ぎなかったとしても。あそこで過ごした俺にとっては、そんなことはもう関係ないのだ。先輩もきっと、同じだろう。


「……もぉ、もぉリュウくん、そんな……急に泣かせないで……」


 ぐしぐしと目元を擦る先輩に、俺はハンカチを差し出す。こんな事もあろうかと持ち歩いていて良かった。


 しばらくグスグスやっていた先輩は、やがてすっきりした顔になって泣き止んだ。


「すごく……色々な気持ちが混ざり合ってる、今」


 そんなことを言いながら笑顔を見せる。


「悲しい気持ちと、嬉しい気持ち。お別れを言えなかった後悔と、言おうとしたらやっぱり戻れなくなってただろうなって納得する気持ち。部活のみんなのことは好きだったけど、今はもっと好きになってる。胸が苦しくて、あったかいの」


 胸に手を当てて微笑む先輩の姿は、背景の空やヒマワリの花も相まって、神々しさすら感じられた。

 俺は触れられない神聖な何かを勝手に感じ取り、気の利いたことも言えずにいた。


「今なら、たくさん言葉が浮かんできそう」


 そう言って先輩は、一冊のノートを取り出す。


「あっ、それって……」

「うん。今日はここで詩を書けたらなって思って」

「なるほど……ところで、なんでノートなの? こっちではデジタルの方が楽じゃない?」


 100年前の世界ならともかく、この時代では物理的なノートを使う機会はあまりない。ごく一部の、こだわりの強い人が使っているようなイメージだ。

 まあ、紙にしかない便利さというものは確かにあるから、この先もなくなることはないとは思うけど。


「デジタルだと、私が死んだら誰も見れなくなるでしょ? 私はこういうことを感じてたんだよって、少しでも残しておきたいのかも」


 その台詞はあまりにも実感に満ちていて……俺は一瞬言葉に詰まってしまい、うまく返事ができなかった。


 それから先輩と俺は、詩を書くためにあちこち歩き回った。

 景色がよく見えるガラス張りの壁? の近くまで行くと、あまりの眺めの良さに、先輩は感激していた。

 小さな丸い窓とは違い、左右どこまでも見渡せる。いつも見ている方角とは逆の景色まで見ることができるのは、特に大きな刺激になったらしい。


「リュウくん、見て! 晴れと曇りの境目が見えるよ!」


 そんな先輩の言葉が、妙に心の中に残った。


 そうして一時間は過ごしただろうか。

 先輩は色々悩んだ末に、一つの詩を完成させた。


 ――

 日々の影は遥かな星座に変わり、

 過ぎ去る時は淡い風になる。

 まるで運命が導くように君の手を握り、

 花の季節の中で永遠を探す。


 触れられない未来が、深い渇望と時の糸に絡まる夢幻が、

 無言の語りかけが、時が止まったかのような光に満ちた空間が、

 胸の内で交差し、混ざり合う。


 夢のような時間。

 夢のような日々。

 永遠に続く愛の歌。


 夕日が海に沈むとき、私たちの魂も寄り添うだろう。

 ――


 俺にその詩を見せた後、先輩は「また来たいな」と呟いた。

 また来よう。すぐ近くなんだから。

 俺はそう答えた。


 でも、その後、俺たちが再び屋上庭園を訪れることはなかった。

 思えばこの日は最後のデートで。

 それから先輩はもう二度と病室の外に出ることはなかった。








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