薬と爆弾

 次の日、俺は退院の準備をしながら、伯父と話をすることになった。

 そう、退院だ。

 接続の副作用と薬の影響が完全に抜けて、これ以上病院にいる理由がなくなってしまったのだ。

 俺としては、入院していた方がすぐに先輩に会いに行けるので都合がいいのだが、さすがに健康な人間を置いておけるベッドはないらしい。まあ当然の話ではある。


「……って感じなんすけど、伯父さんはどう思います?」


 空中に浮かぶ仮想ディスプレイをチラ見しながら、片付けの手を止めずに話す。


「うん。秋元さんの発熱は一時的なものだろうから、君の考えた通り、しばらく休めば落ち着くと思う」


 伯父も何やら作業中のようだ。ひっきりなしに目が動いている。


「やっぱりそうですか。よかった」

「ただねえ、今後も君と会う度に、体調を崩す可能性はあると思うんだ」

「えっ……」

「好きな人と会うっていうのは素晴らしいことだよ。心が元気になる。でも、体は別だ。どんなに楽しくても疲労は溜まるし、それに気付かずに無理をして、一気に体調を崩すこともあり得る」


 昨日の先輩の様子を思い出すと、俺と会うために無理をしてしまうのは間違いなさそうに思えた。というか、むしろ先輩は自分の体のことを度外視している節がある。


「じゃあやっぱり、間隔を開けた方がいいんですかね。二日に一度とか」

「当人同士で納得できるなら、それもいいかもね」

「納得……するかなー……」

「彼女が毎日会いたいと言うなら、それでも構わないよ」

「えっ? いいんですか?」

「僕が口を出すことじゃないからね」

「いやいや……なんか適当じゃないですか? そこはお医者さんとして、助言して欲しいんですけど」


 どうもさっきから、伯父の返答が投げやりというか、好きなようにしろと言っているように聞こえてならない。仮にも大病院の院長なんだから、患者の体のことはちゃんと考えて貰いたいんだが……

 そんなことを思っていると、伯父は真面目な顔でこちらに向き直った。


「……認識に相違があるみたいだから、一応言っておくよ」


 思いの外真剣な声に、俺も思わず作業の手を止めて聞き入る。


「30階はね、治療をする場所じゃないんだ。残りの時間をできるだけ苦痛なく、豊かに過ごしたいと願う……そういう人たちのための施設なんだよ」

「それはまあ……理解してるつもりですけど」

「本当にそうかな? 例えばの話だけど、ある日突然、秋元さんの心臓が止まったとする。その時我々は、心肺蘇生は行わない。無理な延命を望まないという契約で、彼女はあの場所にいる。30階というのは、そういうところなんだ」


 俺はその言葉に、少なからぬショックを受けていた。

 応急処置をすれば助かるかもしれない状態でも、何もしない。あるがままの死を受け入れる。それが彼女の望みだということを、改めて思い知らされた。

 それでいいのか? という思いと、いや、本人がそれを望んでいるのだから、いいに決まっているという思いが、どうにも居心地の悪い同居をしているようだ。


「だから僕にできることは、彼女が残りの人生を豊かに過ごす手伝いをすることだけなんだ。彼女の意思が何より優先される。僕が口出しすることじゃないと言ったのはそういう意味だよ。僕はただ彼女が幸福に過ごせるように力を尽くすだけだ。そのためなら、命を削るような薬を使うことも躊躇わないけどね」


 ちょっと今、物騒な言葉が聞こえたような……

 思わず伯父の顔を凝視すると、伯父は苦い表情を浮かべていた。


「彼女にはもう、普通の痛み止めは効かないんだ。今使っている薬は、長期的に使用すれば重い副作用が起きる可能性が高いものでね。普通の患者さんには使えない」

「それって……いいんですか?」

「彼女の希望だからね。それに、薬を使わずに強い苦痛とストレスを受け続けた場合と、薬を使って副作用が出た場合とでは、余命にさほど差はないという計算結果が出ている。だから必ずしも命を縮めるとも言い切れないんだ」


 副作用というリスクを負ってでも、苦痛のない穏やかな時間を選んだ方がいいということか……

 しかも、薬を使っても使わなくても残り時間に大差がないというなら、薬を使うのはこの上なく合理的だろう。それは確かに、正しいことのように思えた。これが他人事なら、悩むことすらなかっただろう。

 でも……それは先輩の話なのだ。

 いや、先輩と俺の話だ。

 長期的に使用すれば確実に命を縮める薬。それを使うということははつまり、終わりは確実に訪れるということ。

 ゲームや漫画みたいな奇跡は絶対に起きない、ということだ。


「先輩は、あとどれくらい生きられますか?」


 顔をうつむけたまま問うと、伯父の短いため息が聞こえた。


「彼女はプロジェクトから戻ってきたことで、体に大きな負担がかかってしまった。新技術の疑似冷凍睡眠状態であれば半年は持ったと思うけど……」

「あと、どれくらいですか?」

「……一ヶ月。長くても二ヶ月くらいかな」


 告げられた残り時間は、予想よりはるかに短いものだった。

 嘘だ、信じないぞ、と俺の理性の外側で感情が暴れ回っている。あと一ヶ月で死ぬ人間が、あんなに元気に話せるものなのか?

 そんな俺の疑惑を見透かしたように、伯父は続けて言った。


「延命治療を止めた彼女の体は、加速度的に悪くなっていく。今だけなんだ。彼女が一番良いコンディションを保てているのは。今を大切にしてくれ、隆治くん」

「伯父さん……」


 ああ、そういうことか、と、ようやく腑に落ちた。

 先輩がまだまだ元気に見えたのも、もしかしたら奇跡が起きて治るんじゃないかなんて馬鹿な妄想を抱いてしまったのも、全部、最後に燃え上る炎を見ていたせいだったんだ。

 恐らく先輩は俺と会うあの時間のために、全身全霊を捧げていたんだろう。

 それに引き換え、俺はどうだった? きちんと先輩を、現実を、直視できていなかったんじゃないか?


 パン、と頬が鳴る。

 自分で自分を殴るという俺の奇行に、伯父は口を半開きにして驚いていたが、何かを察したように目を逸らした。


「伯父さん、ありがとうございました。おかげで決心がつきました」

「……一応言っておくけど、心中とかはやめてね」

「ああ、その手もあるか……」

「ちょっとちょっと!」

「冗談ですよ」


 俺が不器用な笑みを見せると、伯父は疲れたように笑った。


「本当に大丈夫かなあ……」

「大丈夫です。先輩とのこれからの付き合い方に対する認識がはっきりしたっていうか……今、伯父さんと話せなかったら、たぶん後悔してたと思う」

「うん……まあ、いつでも相談に乗るから。あまり思い詰めないようにね」


         ◆


 俺の病室にあった私物は、リュックサック一つに収まる程度だった。それを背負って、マンションに帰る。

 一人暮らしの方がいいだろうと伯父が手配してくれたマンションは、二年近く空けていたとは思えないほど綺麗だった。

 まあ、ロボットが定期的に掃除しているし、空気の入れ替えもされているのだから当然と言えば当然か。


 暗くなりつつある部屋の隅にリュックを投げて、俺はベッドに腰掛けた。

 頭の芯に痺れるような感覚が残っている。

 二年近く過ごした仮想世界の現実と、こちらの世界の現実が、じわじわと歩み寄ってくるのを感じる。

 どちらの世界にしろ、過ぎ去ってしまえば同じ過去だ。夢も現実も、そこに大きな差はないのかもしれない。


 そんなことを漠然と考えていると、知らないアドレスからメッセージが届いた。

 見ればどうやら、久米かららしい。

 無視したい気持ちが一瞬湧き上がるが、相手の立場を思い出してグッと堪えた。


「やあ、三友くん。ご機嫌いかが?」


 壁のディスプレイに、久米の姿が映し出される。いつぞやと同じスーツ姿だ。


「ご機嫌よくねーです」

「それはいけないね。あ、敬語は必要ないよ。私たちはもう友達だからね」

「うわー距離の詰め方がえぐい」

「彼女との逢瀬はどうだった? キスとかした? まさかセッ」

「してねーよ馬鹿」


 いかん、反射的に馬鹿とか言ってしまった。仮にも大企業の社長様に。

 でもこいつ、芽多のコピー元みたいなものだからか、性格は全然違うのに気安く喋りそうになっちまうんだよな。まあ本人もそれを望んでるならいいんだろうけど。


「なんだしてないのか……まあしたら死んじゃうかもしれないしねえ」

「アンタなに? 暇なの?」

「とんでもない。君のために時間を捻出しているんだよ? 言ったじゃないか、また話そうって」

「俺と話してもつまんないでしょ」

「いいや、めちゃくちゃ楽しい。ああ、友達っていいな。最高だぜぐへへ」

「用事がないならもう切っていい?」

「……うん、君に嫌われたくないし、今日はこのくらいにしよう。また時々お話しようねえ」

「あっ……」


 切りやがった。

 何だったんだマジで……つーかインタビューはいいのかよ。


 一日の最後に爆弾を送りつけられたような気分だったが、不思議とそれまで抱えていた重苦しい感覚が消えていることに気付き、俺は苦い薬を飲まされたような顔になった。


 まさかあいつ、今日の俺と伯父の会話を聞いていて、俺の気を紛らわすために……?

 いや、そんな訳ないか。

 久米のことはまあ、どうでもいい。今は先輩のことだけを考えよう。







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