再会

 久米との面談を終えた俺は、いったん自分の病室に戻った。

 伯父に連絡し、先輩と会う時間や場所なんかの申し合わせをしてもらう。

 本当は今すぐにでも会いに行きたいところだが、向こうにも準備があるだろうし、そもそも俺は先輩の病室の場所も、本名すらも教えてもらっていない。これは恐らく、俺が勝手に突撃しないようにあえて伏せられているんだろう。まあ、先輩に会うためにあっちの世界から途中で抜け出したくらいだからな……それくらいの警戒をされても仕方ないか。


 後は待つだけとなった俺は、やることもないのでベッドに横になった。

 しかしまあ、久米の話は色々と衝撃的だったな。

 芽多の正体とか、修のこととか……正直、久米の手のひらの上で踊らされていたという事実は悔しい。特に修は、俺の人生で初めてできた親友だと思っていただけに、ショックがでかかった。

 久米との面談がよほど精神に来たのか、それとも単なる寝不足か、あっという間に睡魔が襲ってくる。


 気がつくと、一時間ほど眠っていた。

 伯父からのメッセージが届いており、寝ぼけた頭でそれに目を通す。


 ……やばい、指定された時間ギリギリじゃねーか!


 俺は慌てて病室を飛び出すと、高層階直通のエレベーターに乗り込んだ。

 ボタンを押し、高速で増えていく階数表示を見つめる。

 早く着いて欲しいという気持ちと、このまま着かないでくれという気持ちが同居したような、不思議な感覚があった。

 ああ、俺は緊張しているのか、と後から気付く。その頃にはもう、エレベーターは目的の30階に到着していた。


 エレベーターの扉が開くと、眼の前には薄い緑色のすりガラスのような自動ドアがあった。

 ここから先は許可がなければ入れない場所だ。

 足首につけた端末が反応し、自動ドアが開くと、左右に伸びる廊下が続いていた。

 床はクリーム色で、壁の色はピンク。窓はどこにも見当たらない。代わりに天井の照明が柔らかい光を届けている。

 目の前の案内板に従って、左に進んでいく。

 恐ろしく静かだ。人の気配がしない。他の階で嗅ぎ慣れていた消毒液のにおいとは明らかに異なるハーブのような香りが漂っていて、一瞬ここが病院だということを忘れそうになる。


「三友さんですね?」


 やがて、指定された談話室が見えてくると、その扉の前に立っていた長身の男性から声をかけられた。


 びくり、と、一瞬だけ心臓が跳ね上がる。

 そういえば、こっちに戻って来てから、伯父以外の誰かに面と向かって話しかけられたのは初めてだった。久米の時は画面越しだったから違和感なく話せたが……

 しかし、胸の鼓動はそれ以上乱れることはなかった。異常な発汗もなければ、フラッシュバックが起きる予兆もない。

 完治した……かどうかは分からないが、少なくともあの世界で過ごした時間は無駄ではなかったようだ。


「あの?」

「あっ、はい。三友です」

「突然お声掛けしてすみません。はじめまして。私は奈津輝なつきの父です」


 ……誰ですか?

 いや、ここで俺に話しかけてくるってことは、先輩の父親かな?

 そういえば伯父からのメッセージに、先輩の名前も書いてあった気がする。


「えっと、夏先輩の……?」

「はい。では娘が大変お世話になったと聞いています」


 あ、やっぱりそうだ。そうか、先輩の本名はナツキっていうのか。


「いえ、こちらこそ……えっと、この度はなんというか……」

「お気になさらないで下さい。娘が戻ってきたのは本人の意思ですから。……もう二度と話すことはできないと覚悟していましたが、運命とは不思議なものです」


 相当な対価を支払って用意したであろう特別な終末期ケアを中断することになったのは、ほとんど俺のせいみたいなものなのに……こんな風に言えるのは大人だなと感じる。

 ……というか先輩、どこまで話したんだろう。恋人みたいな関係になっていたことまで話したり……してそうだなあ。

 まあ、俺が先輩を追いかけて戻ってきて、先輩がそれを拒んでいないという時点でお察しという感じではあるけど……


「君には、感謝しています。あれほど無気力だった娘が、自分で自分の行く先を決めて戻ってきた。全て君のおかげだと言っていましたよ。だから一度、顔を見ておきたかったんです。失礼しました、後は二人でゆっくりと過ごして下さい」


 そう言って先輩の父親は、道を譲るような仕草をする。

 なんというか、紳士って感じだ。


「あの、いいんですか? 二人だけで会って」

「もちろん。若い二人の間に割り込むほど無粋ではないつもりです」

「……ありがとうございます」


 うーん、父親公認って感じで少し恥ずかしいな。

 でもまあ、よかった。少なくとも先輩の家族に恨まれたりしていないことが分かったし、やはり先輩も俺のことを拒絶する意思はないようだ。これで胸を張って先輩と会える。


 俺は先輩の父親の横を通り過ぎると、談話室の扉の前に進んだ。

 音もなく扉がスライドする。

 一歩踏み出すと、そこはホテルのロビーのような場所だった。

 質の良いソファ、上品なテーブルと椅子。壁には大きなモニターがあり、紙の本が並ぶ本棚まである。

 しかし一つだけ異質な点があった。それは窓だ。

 直径15センチくらいの小さな丸い窓が、一定の間隔でずらりと並んでいる。これはこれでおしゃれな感じではあるものの、普通こういう場所では、外の景色がよく見えるように大きな窓がありそうなものだが……

 そんな窓際には観葉植物の鉢植えがいくつか置かれている。中には花をつけているものもある。よく手入れされているようだ。

 しかし……利用者が全然いないな。

 モデルルームのような空間の中にいるのは、俺ともう一人だけ。

 だから俺は談話室に足を踏み入れた時点で、窓際にいるその人物をすぐに見つけることができた。


「先輩……」


 窓際のテーブル、車椅子に座る少女に近付き、声をかける。


「友田くん?」


 ああ、やっぱり先輩だ。


 見た目は、あっちの世界の先輩とはまるで違う。

 目の前の少女はプラチナブロンドではなく、少し癖のある黒髪を頭の後ろでまとめている。目は大きく、やや褐色の肌。手足は細く、痩せ過ぎているように見える。声は少し掠れていて、あの鈴のような響きはない。


 それでも、たった一言。

 俺の名前を呼ぶその言葉を聞いただけで、俺にはこの少女が間違いなく先輩なのだと確信できた。


「久しぶりっていうか……いや、はじめまして、の方がいいっすかね」

「ふふ、そうだね……こっちでは、はじめまして。秋元あきもと奈津輝なつきです」

「あ、どうも。三友隆治りゅうじです」


 二人してドーモドーモと頭を下げ合う。なんだか変な感じがしておかしかった。


「三友くんも……座って」

「ああ、はい」


 先輩の向かいの椅子に座ると、事前に用意してくれていたのか、配膳ロボットがお茶を運んできた。


「こっちでも好みは一緒……だよね?」

「はい。ありがとうございます。先輩は何か飲まないんですか?」

「私は大丈夫。それより……」


 先輩は俺がお茶に口をつけるのを待ってから、ためらいがちに話す。


「あの……多分、私の方が歳下だと思うから……敬語とかは、いいよ」

「え、そうなんですか?」

「私、まだ18歳だから……」

「つっても俺も今年20歳になったばっかですけど……え、18歳?」


 そう言われてみれば、確かに先輩の顔にはまだ幼さが残っている。病気で痩せているせいかとも思ったが……年下だったとは、少し驚いた。


「私はあの世界に途中から入ったから、そういう意味でも三友くんの方が先輩かな」

「そうだったんですか。じゃあどうして三年生から?」

「それは……私が決めた訳じゃないんだけど、きっと時間がなかったから、かな。卒業まで頑張ろうって思えたら、もしかしたら少しくらいは残り時間が延びるかも、とか。そういう考えがあったのかもしれないね……」

「……なるほど」


 ということは、俺が初めて先輩と顔を合わせた時、彼女はまだあの世界に来てそれほど経っていなかったのか。


「だから、敬語とかは……ね」

「わかった。先輩がそう言うなら敬語はやめる。でも先輩は先輩って感じだしな……ナツキ先輩……略してナツ先輩と呼ぼう」

「変わってないよぉ……」


 困ったような顔で笑う先輩を見て、笑顔が素敵なのは同じなんだな、などと思ってしまう。


「でも、安心した。先輩とまたこんな風に話せて。勝手に追いかけて来ちゃったから、拒否されたらどうしようかと思ってた」


 俺がそう言うと、先輩はふるふると頭を横に振る。


「私の方こそ、勝手に戻っちゃってごめんなさい。自分で決めたことだけど……こっちに戻ってきて、少し、くじけそうになってたの。やっぱり体の調子は悪いし、部活のみんなもいないから、寂しくて」


 それはそうだろうな、と思う。

 サラッと言っているが、体の調子が悪いというのはかなりオブラートに包んだ言い方なんだろう。

 そして何より、彼女は自分の死と向き合うために戻ってきた。それがどんなに恐ろしいことかは、俺なりに理解しているつもりだ。


「だからね、三友くんが戻ってきて、私に会いたいって言ってくれてるのを知った時、私ね、涙が出るくらい嬉しかった……」


 その時のことを思い出したのか、先輩の喉が少し震える。


「私の方こそ、嫌われたんじゃないかって不安だったから……だから、さっきあなたの顔を見て、声を聞いて、仕草とか、雰囲気とか……間違いなく友田くんだってわかって、私、本当に好きだったんだなって……」


 先輩の顔が、みるみる赤くなっていく。


「なんか、ごめんね。急にこんなこと言って。困るよね。三友くんはあまり変わらないけど、この私はあっちの私とは全然違うのに。髪も綺麗じゃないし、体もこんなだし、全然可愛くなくて……」


 申し訳なさそうにそんなことを言う先輩に、俺は思わず口を挟んだ。


「いや、先輩は可愛いよ。ていうか、俺は別に先輩の見た目を好きになった……部分もあるけど、それだけじゃないから。自分も大変なのに他人のことを思いやれるところとか、天然っぽくて不思議な感じがするのに時々鋭いところとか、一緒にいると無言でも落ち着くところとか……全部ひっくるめて好きなんだよ。どっちの世界にいたって、先輩は先輩なんだから。俺の気持ちだって変わらない」


 自分を卑下するような先輩の言葉に、反射的にムキになって反論してしまう。

 かなり恥ずかしい台詞を喋っているという自覚はあったが、俺の好きな人のことを悪く言われて黙っている訳にはいかなかった。


「三友くん……」

「はい」

「どうしよう、そう言ってもらえて嬉しい。好き。好きです」

「俺もです」

「あの、私の、恋人になっ」

「なります。ならせてください恋人に」

「は、早いよ……」


 しまった。ほとんど脊髄反射で答えてしまった。


「えっと、自分から言い出しておいてなんだけど……本当にいいの? 私、あんまり長く生きられないよ……?」

「断る理由がないから。それに、もう間違いたくない」

「間違い……?」


 俺は向こうの世界で、こんなにも先輩に惚れ込んでいたのに、恋人同士になることをずっと避けていた。

 それは、先輩が本当はこっちの世界の人だということを知らなかったから。

 いずれお別れの時が来る。だからお互い、辛い思いをしないように……なんて、自分に言い訳をして。

 本当は、自分が傷つきたくなかっただけだ。

 百歩譲ってそれならそれで、先輩から距離を置けばよかったのに、俺は結局迷ったまま、どっちつかずな態度になっていた。

 今思えば、あれは最悪な選択だった。

 幸運なことに俺はそれに気付くことができて、更には仕切り直しのチャンスまで貰えた。だからもう、間違う訳にはいかない。


 ……そんな感じで過去の自分を殴りつけてやりたい気分になりながら熱弁を振るっていると、先輩は目尻に涙を滲ませて笑い出した。


「ふふ……私、三友くんのことを好きになってよかった。こっちに戻って来て、自分の気持ちをはっきり自覚して、それで、きちんと告白できてよかった……」


 そんな顔で、そんなことを言われたら、もう何も言えなくなってしまう。

 先輩もそれきり、恥ずかしそうに黙り込んでしまった。

 俺たちは少しの間、お互い目が合っては逸らしたりするだけという、奇妙で、気恥ずかしいような、不思議な無言の時間を共有した。


「……そうだ、ナツ先輩。せっかく晴れて恋人同士になれたんだから、俺のことも名前で呼んで欲しい……とか言ったら困る?」

「えっ……えっと、そうして欲しいなら、そうする」

「じゃあ、お願いします」

「……リュウ……ジくん」

「はい」

「……恥ずかしいから、リュウくんでもいい?」

「ありがとうございます」

「なぜかお礼を言われた……」

「めちゃくちゃ嬉しかったから、つい」

「それなら、よかった」


 こうして俺たちは、「恋人みたいな関係」から、正式な恋人同士になった。


 俺は多分、今この時間が最も甘く幸福な時なのだろうと、そして恐らく二度と取り戻せないくらい貴重なものなのだろうということを、心のどこかで感じ取っていた。

 俺と先輩の選んだ道は、その先に傷と痛みが約束された道だ。

 それは、そう遠くない未来に、確実な別れへと辿り着く。

 明確に予測できる未来を覚悟した上で、俺は先輩と共に過ごすことを決めた。


 後悔はない。

 今は、まだ。








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