と、ここでネタばらし
先輩と会う条件として、何やら偉い人と話をしなければならなくなった俺は、病院で一泊して翌日の朝早くから会議室のような場所に来ていた。
俺としては別に入院するつもりもなく、どこでも呼ばれた場所に行ってやろうと思っていたのだが、想像以上に体が思い通りに動かなかった。
倦怠感と軽い発熱、頭痛、全身の痛み、それらがまとめてやってくる。
そもそも一年以上眠っていた人間がいきなり日常生活に戻ろうとするなんて、最初から無茶な話だったらしい。
筋力や内臓機能ができるだけ低下しないように、疑似コールドスリープのような状態で眠っていたものの、再活性化のために設けられた26時間では体の機能を完璧に元に戻すことはできないんだとか。そのため俺は様々な機械を当てられたり薬を飲んだりしつつ、数日入院することを余儀なくされたのだった。
まあ、それでも目覚めてすぐにリハビリなしで体を動かせるのだから、科学だか医学だかの進歩に感謝するべきなんだろう。
一晩明けると、体調はだいぶマシになっていた。昨日感じていた思考の混乱も落ち着いている。
俺は一人、椅子に腰掛けると、目の前の大きなモニターを見つめた。
これから話をするのは、俺が参加した実験『プロジェクトN』の元締めである大企業の社長らしい。これまでの人生でそんな偉い人と話をしたことなど当然ないが、不思議と気分は落ち着いていた。先輩のことを思えば、他のどんな出来事だって些細なものだ。
やがてモニターの電源が入り、パッと目の前に一人の人物が現れた。
「やあ、おはよう。君が三友くん……いや、向こうでの名前は友田くんだったかな。私は
「……どうも、久米さん」
なんか濃い奴が出てきたな。
久米と名乗った女は、まず第一印象として、大企業の社長としてはめちゃくちゃ若く見えた。
20代前半? もしかしたら10代なんじゃないか?
長い黒髪を後ろで一つに縛っていて、高級そうなスーツを着ている。メガネの奥で灰色の瞳が怪しく光っているような気がした。
俺はその姿……というか雰囲気に、どこか既視感のようなものを覚えていた。その感覚の正体が一体何なのかまでは分からなかったが……
「つれないねえ。まあいいや。早速だけど、あえてざっくりとした聞き方をしよう。あっちはどうだった?」
本当にざっくりとしてんな。まあ理路整然としたレポートからは読み取れないことを知りたいのだろうから、そういう聞き方になるのも仕方ないのか。
「そうっすね……正直、想像を軽く超えてました。リアル過ぎるっていうか……異世界転移っつーか。別の地球で暮らしてたとしか言いようがない感じで」
「うんうん、そうだろうね。今回の実験で用いられているものは、どれも現行の何世代も先の技術だからね」
「え、ひょっとして俺、ものすごい実験に参加してる?」
「あっはっは、今更気付いたのかい? 君、思っていたよりも面白いねえ」
「いやだって俺の場合は、PTSDの治療としか認識してなかったし……」
「ふむ。だがそっちの方も効果はあったみたいだね?」
「まあ、おかげさまで」
「向こうで恋人まで作って、その子を追いかけて戻ってきたくらいだもんねえ」
伯父さん……そんなことまで報告したのかよ。勘弁してくれ。
「おっと、先に言っておくけど今の情報は、院長……君の伯父から聞き出したものではないからね」
だが、俺の思考を読んだかのように、久米はそんなことを言い出した。
「は? じゃあ先輩から?」
「ノンノン。ふふふ、プロジェクトの統括である私が、独自の情報源を持っていないと思うかい?」
「まさか、向こうの世界の盗み見とかできるんすか」
「いやいや。やろうと思えばできなくもないが、今回はプライバシーの関係でやってないよ」
「じゃあどういうことだよ……」
俺が夏先輩と恋人……ではないが、そんな感じになったことを話したのは、こっちでは伯父だけだ。レポートもまだ作成されていないはずだし、向こうの世界を覗き見してないとすれば、この女はどこからその情報を手に入れたのか、という話になる。
「ふむ、ではここらでネタばらしをしようかな」
「ネタ……? なんですって?」
「私には情報提供者がいる。君も知っている人物だ。
うっそだろ。
おいおいおい。マジかよ。
「アンタまさか、芽多かよ!?」
「ウッヒョーいいリアクションだあ。たまんないねえウヒヒ」
「おまっ、えっ、嘘だろ!?」
「うん。まあ厳密には違う」
馬鹿みたいにゲラゲラ笑っていた久米は、急にスンとなって真面目な顔に戻る。
なんだこのテンションの落差は。普通に怖い。
「本当は私も君たちのように、向こうの世界を直接体験したかった。だが残念なことに、私は非常に多忙でね。それに副作用も未知数だから危ないって側近たちに全力で止められちゃったし……」
「いまサラッと怖いこと言った?」
副作用はともかく……しかしまあそうだよな。勢いのある会社の社長は分単位のスケジュールが組まれてそうなイメージがあるし。準備も大掛かりな感じだったから、気軽に接続するってことはできないのかもしれない。
……あれ? ってことは今こうして面談してるのってかなりすごいことなのか?
「悔しいから私は、次善の策として自分の意識……正確には意識を生み出す脳の構造を再現し、限りなく私と同じ人格になるようチューニングした人間を向こうの世界に作り出したんだ」
「ええ……そんなことできんの……」
「すごいだろう。それが芽多晴という存在だ。彼女は言わば私のコピーのようなものだからね、プライバシーの問題はない。私は彼女が毎日見聞きした出来事を見させてもらっているから、君のことを知っていたという訳さ」
「マジかよ……にしてはずいぶんと……別人っつーか……」
「そうなんだよねぇ。気を利かせて裕福な家庭で育てたせいかな。まあDNAが同じ双子でも別人に育つくらいだから、似てないのもやむなしだね。むしろ私もあんな感じの人間になる可能性があったと思うと興味深いよ」
まさかこんなところで、芽多の誕生秘話を知ることになるとは思わなかったな……
つーかどこまで操作できるんだよあの世界。あのドレッドヘアの学園長とか絶対こいつがやっただろ。
「……ん? ということはひょっとして、芽多があの世界を恋愛ゲームだとか言ってたのもあんたの仕業か?」
「うん、そだよー。なんか普通に成長してもつまんないかなと思って、途中で要素を足してみたんだ。いやー、実はゲームみたいな恋愛してみたかったんだよね私」
「こ、こいつ……」
『実のところ、覚えてないのよ。いつの間にか私は自分がヒロインだということを知っていた』
『そして、主人公を見つけられなければ自分の存在意義が消滅するっていう強迫観念みたいなものに突き動かされて、学校を点々としたの。高校を卒業しても見つからなかった時はさすがに絶望しかけたわ』
あの時の芽多の話の意味が分かった。
芽多があんな難儀な世界観を持っていたのは、久米が途中からメチャクチャな設定を突っ込んだせいだったのか。そのおかげであいつは転校を繰り返して、いもしない主人公を探すハメに……いや、待てよ。
「お、おい、まさか主人公って」
「ん? ああ、君も友達だったね。
嘘だろ。
修も、こいつに作られた存在だったのかよ。
俺の唯一の親友を、こいつが……
「おまっ、お前なあ……
ショックなのか、怒っているのか、悲しいのか、恥ずかしいのか、自分の感情が自分でもわからない。
ただ握った手が汗ばんで、震えて、動かないということだけが、確かなことで。
こんな混沌とした気持ちは始めてだ。
「……倫理観ね」
そして久米はそんな俺を見下ろすような目をしながら、それまでニヤついていた表情を一瞬で無へと変える。
「いいところを突っついたね、三友くん。それこそが私の、今回の実験の、テーマの一つでもある。……逆に聞くが、君は倫理というものをどう思う?」
「どうって……最低限、人が人として守るべきものだろ」
「そうだね。世間一般において正しいとされること。善悪の判断の基準となるもの。私だってそれは大切なものだと思う。倫理がなければ世は乱れ、とても生きづらい世界になってしまうだろうからね」
どの口で言ってんだ。
俺はモニターの向こうにいる女を睨んだ。
「まあ、実際に向こうの世界を体験した君が、私に対して憤りを感じるのも無理はない。だがね、私は倫理を尊重すべきだと思うと同時に、いずれ倫理を捨てなければならない時が来ると確信してもいるんだ」
「俺はアンタの言ってることが何もわからん」
「いいかい、三友くん。人類が真面目に、真剣に、心から、この先も生き延び繁栄したいと思うなら。太陽の寿命が尽きた後も、宇宙の終わりまで種を存続させたいと本気で願うなら。我々の未来にはいつか必ず、倫理を捨てなければならない時が来る。なぜなら倫理は我々を守る鎧であると同時に、我々を縛る
それをお前が言うのかよという感じだが、確かに久米の言う通り、少し考えるだけでもこの実験のヤバさは理解できる。
この実験は、言わば地球のコピーを作るようなものだ。
そこに住む人間も含めて、極めて精密に。
数十億もの人間と変わらない知的生命体を生み出したり、消したり、操作できたりするのだ。まるで神にでもなったかのように。
しかもそれだけではなく、自分の意識をその世界に移して活動することまでできてしまう。恐ろしくリアルな世界で、やりたい放題できるってわけだ。
そんなものが、この世界で認められるはずがない。
「……ぶっ叩かれるだろうな。実際に体験すれば余計に」
「だろうね。だからこの実験は極秘で進められているし、公表されることもない。ここだけの話だが法に触れるようなことも結構している。あ、これは冗談ね。ともかく倫理観を無視して突き詰めて煮詰めた結果がこれだ。我々は倫理という枷から抜け出せば、もっともっと、どこまでも高く飛べるはずなんだ」
「それはそうかもしれんが……それがまかり通るような世の中は、クソだ」
「私もそう思う。気が合うね」
「冗談じゃねえやい」
「そう拗ねないでおくれよ。……いつか、誰かがやらなければならないんだ。甘ったるい理想論だけでは、いずれ必ず訪れるタイムリミットは超えられない。時間がないんだよ。我々は倫理を捨て、無駄なものも大切なものも一つずつ削ぎ落としながら、ただ研ぎ澄まされた一本の矢となって、科学によって予言された滅びから逃げ続けなければならないんだ」
「話が壮大過ぎるだろ……」
「私も君も、過去の人間のツケを散々支払わされてきただろう? 面識もない考えなしの先祖のケツを散々拭かされてきた。パッと思いつくだけでも環境問題に人口問題、食料問題に貧富の差……未来の誰かがなんとかしてくれると、棚上げされ続けてきたことばかりだ。私はね、三友くん。遠い未来の話だからと思考停止に陥り、今の体裁だけを整え続ける空虚な行為は、もうやめにしたいんだよ。倫理を無視してでも技術を磨き抜き、いつか必要となるその時のため、私たちの子孫のために、せめて土台くらいは作っておいてあげたいんだ」
狂ってやがる。
……と、言ってやりたかったのに、何も言葉が出てこなかった。
久米は、本気で言っている。狂気的な瞳の中に、確かに人類の未来を本気で救いたいと願う炎が宿っているのを見たような気がした。
「……俺の感情の部分は、あんたのやり方は行き過ぎだと思ってる。でも、あの世界に行けたこと、先輩と出会えたことに対しては、感謝しかない。だから俺は……あんたの思想に意見を述べることも、議論する気もない。せいぜいしょっぴかれないように気をつけてくれって感じだ」
「……そうか」
久米は俺の言葉に何を思ったのか、どこか寂しげな笑みを浮かべた。
「向こうの私……芽多晴が思っているよりも、君は、興味深い男だ」
「やめてくれ。それより、インタビューはもういいのか? 俺は先輩に会ってもいいのか?」
「そういえばそんな話だったね。うん、私もそろそろ時間だ。君が彼女と会うことを許可しよう。ま、本当は私の許可なんてなくたって、勝手に会いに行けばよかったんだけどね」
「はあ? なんだよそれ」
「だって彼女の親、めちゃくちゃお金出してくれたんだもん……先方が望んでるなら、いくら私と言えども口出しするのははばかられるかなーなんて」
「なんだそりゃ……それじゃこの時間マジで何だったんだ……?」
「いや、もちろんお金だけが理由じゃないぞ。私は恋愛ゲームが好きなんだよ。それも、クラシックなやつ。だから君が全てを振り切って彼女と駆け落ちしようが構わないってこと。むしろよくやったと称賛するだろうさ」
「……あんたが多忙な大企業の社長で良かったよ」
「ん? その心は?」
「もう話す機会はなさそうだから安心したってことだよ」
「あっはっは。言い忘れていたけど、私は天邪鬼でもあるんだ。仕事の合間に、また君とお話する機会を設けよう」
「いやマジで勘弁してくれ……」
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