第五章 メタな彼女と最後の時間

巡礼者

 目が覚めて最初に感じたのは痛みだった。

 一年以上眠っていたためか頭が痛い。

 それ以外にも、重い倦怠感と全身に刺すような痛みが走っている。体温を低く保つ薬剤を中和するために、体のあちこちに注射をされたらしい。

 なるべく早くって注文をつけたのは俺だから文句はないが、こんな医療技術が発達した世界なのに乱暴なやり方だなとは思う。

 用意されていた薬を飲み下したあたりで、伯父おじが部屋に入ってきた。

 忙しいだろうに直接会いに来るなんて、お人好しなのは変わっていないらしい。


「やあ、おかえり。気分はどうかな? 痛みや違和感はあるかい?」

「いえ……大丈夫です」

「なら良かった。それで……早速だけど、戻ってきた理由を聞いてもいいかな?」

「すんません。すげー個人的な理由なんすけど……」


 俺が答えようとすると、伯父は目を丸くした。

 最初はその表情の意味が分からなかったが、自分の喋り方が変わっているからかと気付いた。確かにあっちに行く前は、こんな砕けた感じじゃなかったもんな。

 だがまあ、そんなことはどうでもいい。俺のことはいいんだ。


「人を探しに」

「……ん?」

「向こうで出会った人で……同じ部の先輩で……いや、違う。そうじゃなくて」

「まだちょっと、混乱してるのかな。ゆっくりでいいから、落ち着いて話して」


 混乱……と言われればまあ、そうかもしれない。

 こっちの世界は、向こうの世界と、感覚的にはほとんど変わらなかった。むしろ向こうのアバターの方が調子が良かったくらいだ。

 だから今でも油断すると、自分とは誰なのか、本当の世界はどっちなのか、一瞬分からなくなる。これが意識転写の副作用ってやつか。これに比べたら接続型VRなんて子供騙しもいいところだな。いや、そうしなきゃ世間一般に受け入れられるはずもないんだろうけど。

 ……いかん、思考がとんでもない方向へと飛んでいく。

 やるべきことがあるんだろう。落ち着いて、意識をニュートラルに戻すんだ。


「伯父さん、この病院のフロアマップとか、あります?」

「えっ……? あるけど……見たいの? 今?」

「はい。見たいんです。今」

「オーケー、今出そう」


 伯父は困惑しながらも、近くのモニターにマップを出してくれた。俺はそれを食い入るように見つめる。

 ここは30階建てのビルのような形状の病院だ。そしてその最上階には――


Pilgrim's lodging巡礼者の宿


 ――そう書かれていた。


「やっっっぱそうだ! 大正解だちくしょう!」


 いきなり奇声を上げる俺に伯父がビクッとしていたが、気にしない。

 あ、待って。鎮静剤を用意しないで下さい。大丈夫なんで。


 あっちの世界で最後に夏先輩が語った、ホスピスについて。

 あの時俺は、30階建ての病院という部分に、おや? と微かな引っかかりを覚えていた。奇しくも伯父が勤めている病院もまた30階建てだったからだ。

 そして今、最上階にある巡礼者ピルグリムの宿という名前が一致した。ここまで来れば偶然という可能性は低い、というかほぼ間違いないだろう。


 夏先輩は、この病院にいる。


 ……そもそも、こんな倫理的にどうなんだという実験を全国各地でやっててたまるかという気持ちもある。恐らく先輩の家はかなりの富豪で、父親が金に物を言わせて途中から娘をこの実験にねじ込んだのだろう。想像でしかないが。


「……大丈夫? 少し休む?」

「あー、すんません。大丈夫です。それより伯父さん!」

「な、なにかな」

「あっちの世界に行ってたのって、俺だけじゃないですよね」


 俺の言葉に、伯父は言葉を詰まらせた。

 その反応が何よりの証拠とも言えるが……俺は伯父の返事を待つ。


「……そうか。会ったんだね、向こうで」

「はい。女の子で……向こうでの名前は夏秋かしゅうなつ。その子は現実世界では、『ピルグリムの宿』にいると言っていました」

「ああ、やはりあの子か……そこまで話したのかぁ」

「俺と彼女は、向こうの世界で……恋人同士みたいな関係になりました。でも、彼女は現実世界に帰ると言って……だから俺も戻ってきたんです。こっちの彼女に会うために」

「そうか……そんなことが……」

「伯父さん、お願いします。俺を30階にいる彼女に会わせて下さい」


 俺が頭を下げると、伯父は黙り込んでしまった。

 いくら優しい人だと言っても、さすがに無理があるだろうか。例え身内相手であろうとも、第三者の個人情報を漏らすのは重罪だ。

 まあ、無理なら無理で、俺も無理やり30階に突入してやろうか、なんて物騒なことを考えていると、伯父が口を開いた。


「あれほど他人を怖がっていた君が、誰かと深い関係になれるほど回復するとは思わなかった。僕はそれが素直に嬉しいし、君の頑張りに報いてあげたいとも思う。でもこればかりは、相手の許可を得なければならない。場合によっては、このプロジェクトの上の方にも許可を取る必要があるかもしれない」


 やっぱり無理か……と俺が思っていると、伯父は続けて言った。


「だから……今から掛け合ってくるよ。少し、待っていてくれるかい?」

「伯父さん……!」


 なんだよそれ。めちゃくちゃ格好いいじゃねーか。


 伯父が出ていった後、俺は倒れるようにベッドに仰向けになった。

 気を張っていたので忘れていたが、体中に重りを付けられたような、あるいはプールで遠泳をしてから上がった後のような、何もする気が起きなくなりそうな倦怠感が一気に襲ってくる。

 同時に頭や全身の痛みも戻ってくるが、薬のおかげか、それは薄皮一枚隔てたような鈍いものに変わっていた。


 これで良かったのか?

 目を閉じて俺は自問自答する。

 先輩がいなくなった世界にいたって仕方がない。だから俺は戻ってきた。

 でも……先輩の話が本当なら、彼女はあと数ヶ月も生きられない。結局のところ、先輩はこの世からいなくなってしまうのだ。

 俺は何をしたいんだ?

 何を……?

 そんなこと、最初から決まっている。

 先輩に会いたい。

 ただ、会いたい。

 それだけだ。

 そこから先のことなんて知るか。会って、それから考える。そんな勢い任せで俺は戻ってきた。今更あれこれ考えても仕方がない。

 あっちの世界で過ごすうちに、良くも悪くも、俺は行き当たりばったりな性格になってしまったらしい。いや、もしかしたら素の性格が出てきただけかもしれないが。


 そんな取り留めのない思考に耽っていると、再び扉が開いて伯父が入ってきた。忘れ物でもしたのかな? などと一瞬思ったが、時計を見るとそれなりの時間が経っていた。


「おまたせ。例の彼女とその父親には、君と直接会うことを快諾して頂いたよ」


 すごいぞ伯父さん、仕事が早い。

 というか先輩、オッケーしてくれたんだな……

 俺がこっちに戻ってきたこと、どう思われるか分からなくて少し不安だったけど、少なくとも拒絶されている訳ではなさそうで安心した。


「ただ……今回のプロジェクトの元締めから、一つ条件を出されてね」

「元締め?」

「ああ。君が参加した実験……『プロジェクトN』の企画と運営を主導してる方だ。君も知ってると思うが、『MMMVR』という会社の代表取締役社長でね。その方が、君と話をしたいと仰っている」

「俺と、ですか? ていうかどこかで聞いたような会社名ですね」

「おいおい……実験の前に配布された資料に書いてあっただろう……意識接続型VRの基礎を作った会社だよ。意識というものは脳の特定の部位が生み出す物理的な現象であることは徐々に解明されつつあったけど、MMMVRはそれを自在に取り扱う手段を確立して業界に革命を起こしたんだ」

「そんなすごい会社の偉い人が、どうして俺なんかと話をしたいと?」

「どうしても何も、君が参加していた実験はその技術の最先端だよ? まだどこにも公表されていない極秘プロジェクトさ。その参加者の体験を直接ヒアリングしたい、というのが先方の申し出らしい」

「話をするだけなら別にいいですけど……どうしてそれが、俺が先輩に会うことの条件になるんです? どっちにしてもレポートは提出する必要があるんじゃなかったでしたっけ?」


 この実験に参加する際の事前説明では確かそんな感じだったはずだ。

 まあ、三年間のレポートを手書きするってのは無理があるから、その間の記憶をAIがうまくまとめてくれるみたいな話だったと思うけど……

 つーかよく考えたら他人の記憶を閲覧できるってのもすごい話だな。それもこの実験を主導してるエムエムなんたらって会社の新技術らしいが……記憶をデータ的に操作できるようになったら、割と世界がひっくり返るんじゃないか?

 ……おっと、また思考が横道に逸れている。集中力が散漫になるのはあまり嬉しくない副作用だな。


「詳しいことは分からないけど、新技術で作成されるレポートでは、プライベートな部分が極力省かれるからじゃないかな。その辺を直接聞きたいとか。あるいは……くだんの社長はずいぶん若い人でね、突飛な発想や行動が多い人らしいんだ。もしかしたら単なる気まぐれという可能性もあるかもね」

「……つまりは、話してみなければ分からないと。まあ別にいいですよ。その程度の条件で先輩に会えるなら、さっさと済ませたいです」

「そうか、わかった。じゃあ早速その旨を伝えておこう」


 なんだか焦らされているみたいだが、とにかく先輩に会うことはできそうなので、ホッと胸をなでおろす。

 さっさとその社長とやらと面談して、許可をもらわなければ。


 戻る前はどうなるか不安だったが、現実世界の先輩の居場所について、予想が当たって良かった。

 もしも先輩がこの病院にいてくれなければ、それほど時間的余裕もない中で、地道に探し回らなければならないところだった。


 ……そう、残された時間は少ないのだ。

 あの先輩がどこにもいなくなるなんて、未だに信じられないし、まるで現実感もないけど……それでもその事実は、しっかりと胸の中に置いておかなければならない。








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