余命

 夏合宿という名の青春イベントはつつがなく終了し、本格的に夏休みとなった。

 おそらく今までの俺なら、夏休みが終わるまで一人でのんびりと過ごし、他の部員とは疎遠になっていたところだろう。

 だが……今は違う。

 俺は夏先輩と頻繁に連絡を取り合い、色々なところに遊びに行った。

 動物園、水族館、遊園地、夏祭り、更には気ままにサイクリングなどなど……俺たちは断じて恋人同士ではなかったが、外から見ればそれはもうどうしたって付き合ってる奴らがデートしているようにしか見えなかっただろう。俺にもそのくらいの自覚はある。


 俺からデートに(もうデートでいいや)誘うことも多かったが、夏先輩から誘われることも結構あった。もしかしたら俺の過去の話を聞いて、少しでも楽しい経験をさせてくれようとしているのかもしれない。


 昔の俺ならそういった同情めいたものに敏感に反応し、上から好き放題慰めのお気持ちをポイ捨てしてくれやがってよ、と無駄にやさぐれていたところだろう。

 しかし、落ち着いた今となっては、あの頃そういった言葉をかけてきた人たちだって、好きで上から言っていた訳ではなかったということがわかる。心から俺のためを思って声をかけてくれた人だってたくさんいたはずだ。同じ位置まで降りてきてからモノを言え、などというのは無茶な話だということも自覚している。


 今、夏先輩からの優しさを素直に受け取れている自分に気づき、花火の時に過去話をしてよかったなとしみじみ思ったりもした。

 俺は本当に先輩のことが好きで、好きな人に自分を受け入れてもらえることの幸せを初めて知ったのかもしれない。


 学園の夏休みは比較的短い。大学のそれとは違い、8月いっぱいまでだ。

 勉強など知ったことかと夏休みを遊びつくした俺たちは、最後に例の海岸を訪れていた。放課後によく来ていた、近所の海岸だ。


 見慣れた風景の中を私服で歩くのは少し新鮮だった。先輩は涼し気なワンピースに、白い日傘を差している。夏休み期間なので子供が多く、俺たちは砂浜から離れた堤防沿いの道路を目的もなく歩いた。


「やっぱり……ここは落ち着くね」

「実家のような安心感ってやつですねー」


 まあ俺にはもう実家なんてないんですけどね、などという自虐ギャグは、思いついても口にしない。変な空気になるからね。


「しかし散々連れ回しといてアレですけど、先輩は勉強とか大丈夫ですか? 取ってる講義によっては夏休み中の課題とか出てたりするらしいですけど」


 らしい、というのは、俺には無縁の話だからだ。

 俺は治療のために学園に通っているので、課題などは実質免除されている。しかし先輩は違うだろう。本当に、夏休み終わり間際になって言うことじゃないけど。


「私は……大丈夫」

「そうですか。それはよかった」

「……どうして、大丈夫なんだと思う?」

「えっ? えーと、勉強が得意だから、とか?」

「ん……ちょっと、座ろうか」


 そう言うと、先輩はよっこいしょと堤防に座ってしまった。服が汚れたりシワになったりしても気にならないらしい。どこまでもマイペースな人だ。

 俺も隣に座って、眼前に広がる砂浜と海を見る。なかなかいい眺めだ。

 すると、先輩が俺のシャツの端っこを引っ張った。どうやら日傘の陰の中に入れと言っているらしい。腰をずらして先輩のそばに寄る。日傘が小さいせいか、肩がくっつく距離に若干ドギマギする。

 告白のようなものをして、先輩もまんざらではない感じにはなったものの……繰り返しになるが、俺たちは付き合っている訳ではない。故に、俺たちは手を繋いだこともないのだ。だから俺が事あるごとに挙動不審になってしまうのも当然の話。仕方のないことだと言える。うん。


「実は……私ね、学園の講義、全然わからないの」

「あー俺も。難しいっすよね。全然わからん」

「ふふ……たぶん、友田くんが想像しているのとはちょっと違うかな。私はきっと、高校の授業でも、中学校の授業でも、同じように理解できないんだと思う」

「……ん? どういうことですか?」

「英語も、古文も、微分も積分も……なにもわからない。きっと、簡単な漢字も書けないと思う。読むことは、できるけどね……」

「えー……? 先輩、詩を書いてるじゃないすか。漢字もちゃんと」

「あれは、スマホで漢字を調べながら書いてるから」


 あれ? なんか流れ変わった?

 まさかここに来て、おバカキャラを追加しようというのか先輩……とか思っていた俺は、どこまでも幸せな奴だったんだと思う。

 先輩のその告白は、冗談でもなんでもなかった。


「私……小学校に上がってすぐに、入院したの。どれだけ科学と医療が発達しても、原因不明の治せない病気っていうのはいつでもあって……私は運悪く、それに当たった人間だった……」

「え、それってすごい重病じゃないですか?」

「そうだよ。だから私は、中学にも高校にも行けなかったんだ」


 その辺りでようやく俺は、先輩の話がおかしいということに気付き始めた。

 中学にも高校にも行っていない人が、学園に入学できるか?

 独学で勉強していたというのなら、あり得ない話じゃない。しかし先輩は、簡単な漢字すら調べなきゃ書けないと言っている。これはどう考えてもおかしい。

 いや、そもそも。

 そんな重い病気を抱えた人が、夏休み中遊び回るような、そんな健康的な生活を送れる訳がない。

 ここ数年で完治した? そんな奇跡みたいなことがあるのか?


「30階建ての、ビルみたいに大きな病院。その最上階はね……『ピルグリムの宿』って呼ばれる施設になっているの」


 急に何の話だ? と、俺は困惑した。

 先輩の話があちこちに飛ぶことは珍しくないはずなのに、その時の俺はなんだか嫌な予感というか、胸騒ぎがしていた。


「薄桃色の壁と、小さな窓。完璧な防音のおかげでいつも静かな整った部屋。そこが、今の私の居場所なんだ」

「えっと……? 先輩は今も通院してるってことですか……?」

「……惜しい。入院、だよ」


 あれ、これはひょっとすると、先輩の妄想か? と俺は考え始めた。

 入院しながら学園に通える訳がないし、そもそもその施設っていうのは……


「ホスピス、って聞いたことあるかな。延命も、回復も諦めた人たちが、ただ苦痛を減らして、残りの時間を穏やかに過ごせるようにっていう……」

「えっと、さっきから何の話ですかこれ?」

「『ピルグリムの宿』は、その終末医療のための施設なの。……私はね、友田くん。あと数ヶ月も生きられないんだ」


 ……いやいや。

 いやいやいや。

 そんなわけあるかい。あんたどう見てもピンピンしてるだろ。

 ギリギリまで元気で余命もわかってる病気って大昔のギャルゲかよ。普通にあり得ない話だろ。


「えーと……それはなんというか、大変ですね」

「ふふ……信じられないよね。でもね、嘘みたいなことって、本当にあるんだよ」


 どうしたもんか、と俺は頭を悩ませる。

 先輩の顔を見れば、健康そのものだ。とてもあと数ヶ月で死ぬような様子はない。

 というかこの夏休み中、散々遊び回ったしね。なんならお祭りにも行ったし、レンタル自転車でサイクリングまでしたし。先輩は力はないけど、体力はあるみたいで、全然疲れる様子もなかった。そんな人間が、もうすぐ死ぬような重病に冒されているわけがない。

 先輩がその設定を信じ込んでいるというなら、まあ、そこには何かしらの理由があるんだろう。俺はそれを紐解いて、現実を見る方向へと導いていくしかない。

 芽多や天世や向日葵というぶっ飛んだ前例があったせいか、俺は冷静にそんなことを考えていた。

 それが、とんでもなく見当違いな考えだとも気付かずに。


「『ピルグリムの宿』に移っても、私の苦痛は消えなかった。選択肢は、強い薬で眠り続けるか、幻覚を見るか。でもそんなの、死んでいるのと何も変わらない……そんなある日、お父様が言ったの」


 夏先輩、父親のことをお父様って呼んでるのか。本当にお嬢様みたいだな。


「まだどこにも公開されていない、全く新しいケアの方法があるって。本当は一般の人間は知ることもできないはずのものなんだけど、私のためにどうにかしてくれたって。だから私はそれを受け入れて……それで……」


 それで?

 俺はどこか聞き覚えがあるような、先輩の話の続きを待った。

 先輩はそれを言っていいものかと逡巡している様子で。

 俺はその時、先輩の葛藤を、全く理解していなかった。


「それでね、私は……万橋ばんきょう学園に通うことになったの」


 一瞬、話が飛んだのかと思った。

 学園に通うことと緩和ケアに何の関係が……いや、まさか……


「――友田くん、


 まさか……

 まさか。

 いや、待て。そんな馬鹿な。


「ねえ、友田くん。この世界は、すごいね。とても作り物とは思えないくらい」


 何を、言ってるんだ、この人は?


「この世界は地球をもとに作られた仮想世界で、私たちは現実の世界からアクセスしている……なんて話をしたら、きっと皆、驚くだろうね……」


 驚くっつーか……

 いや、え?

 嘘だろ?


「友田くん、テレビとか見てないでしょ?」

「え、あ、はい。そうっすね」

「実は、この世界にはね……ふふ……『ドラえもん』は、

「……は?」


 夏先輩はスマホを取り出すと何か操作をして、その画面を俺に見せてくる。

 それは『ドラえもん』の検索結果だった。

 そこに並ぶのは……的外れなものばかりだった。


「は、はは……」


 乾いた笑い声が聞こえて、それが自分の喉から出たことに後から気付いた。

 そうか。

 そうだったのか。


『芽多……えもん? なんですか、それ?』

『……えもん? 何よその変な呼び方。喧嘩売ってるのかしら?』


 だから天世も、芽多も、あんなリアクションだったのか。

 いくら完璧にコピーされた世界じゃないからって。

 いくら歴史や文化に齟齬があるからって。

 なんだよその伏線は。そんなの分かるかよ。


「本当は……話すつもりはなかったの。このまま私は楽しく暮らして……現実の私が死ねば、その瞬間に苦痛もなく消える……そのはずだった。でもね」


 ああ、なにもかも、前提がぶっ壊れた。

 当たり前と思っていたことが、間違っていたんだ。


「友田くんが話してくれたこと……つらい現実から、もう逃げないって。それを聞いて……私も、このままじゃいけないって……思ったの。私は……」

「先輩」

「私はね、友田くん。もう逃げないって、決めたんだ」

「先輩、待ってください」

「自分の死をきちんと見つめるために」

「どうして」

「私は、現実の世界に戻るよ」


 どうして。

 

 どうしてこんなことに。








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