線香花火とカミングアウト

 夜は芽多の言っていた通り、バーベキューをすることになった。

 海岸から道路を挟んだあたりにキャンプ場のそれのような専用のスペースがあり、たくさんの人で賑わっている。さすがの芽多でも、漫画みたいにプライベートビーチ的なものを部員だけで独占、とかはできなかったらしい。


 食材は新鮮な海の幸がふんだんに用意されていて、正直めちゃくちゃうまかった。昼間に芽多と修が漁港に行っていたのはこのためだったのかもしれない。

 鍋奉行のように炭と網と焼きを一手に引き受けている芽多にそっと近づいて、俺は控えめに声をかける。


「おい芽多よ。えーとだな、おかげさまで今日は、全体的にそこはかとなくいい感じになれた。ありがとよ」

「……相変わらずの友田ね。何言ってるのか全然分からないわ。でも、礼には及ばない、とだけ言っておきましょう。ようやく借りを返せて清々したもの」

「借り?」

「なんでもないわ」


 芽多は素っ気なく言うと、食材をひっくり返す作業に戻った。

 ひょっとして、こいつと修が付き合うことになった時の話だろうか。確かに俺は修の背中を押して、そのおかげで修は自分の恋心を自覚したみたいだけど……あれは別に俺がやらなくても、そのうちなんとかなっていたような気がする。それに、あの後芽多からは高級そうな菓子折りを貰ったし。あれでチャラってことだと思ってたんだが……まあ、芽多にとっては人生を賭けた勝負みたいなところがあったし、菓子折り程度では気が済まなかったのかもしれない。情けは人の為ならずか。


 バーベキューの後は、海岸で花火をすることになった。

 潮の満ちた海岸は狭く、監視員がたくさん巡回していた。火の管理をちゃんとしているか、ゴミを捨てていかないか、海に入る者がいないか……かなり厳し目にチェックしているらしい。まあ、花火をやらせてもらえるだけありがたいか。


 夜の暗闇によってガラリと表情を変えた黒い海の縁に、ポツポツと花火の光が浮かんでは消える。

 向日葵ひまわりはキャッキャとはしゃぎながら花火を振り回し、天世あまよがその様子を動画で撮っていた。子供みたいに駆け回る姿に、向日葵の憂いは本当に消えつつあるのかもしれないなと少し安堵する。

 芽多と修は少し離れたところで、穏やかな表情で何か話し合いながら手持ち花火の火が耐えないように継ぎ足し合っていた。まるで熟年夫婦のような貫禄だ。

 そうすると必然的に、残った俺と夏先輩は二人で花火をすることになった。

 わざわざ着火用のロウソクを三本用意しているあたり、芽多はわかってやってるとしか思えない。


「花火……初めて」

「そうなんですか。お、火がつきましたね」

「きれい……だけど、思っていたよりも煙がすごいね」

「確かに。あまり吸い込まないように気をつけてください」

「でもこのにおい……記憶に残りそう……」

「それはいいことです。どんどん行きましょう。箱のやつもありますよ」


 夏先輩の言う通り、市販の花火の煙には、記憶に残るような独特のにおいがある。

 俺も遠い昔に、家族で花火をした時の記憶が蘇ってくるようで。なんとも言えない気持ちになる。


「ところで先輩」

「……なあに?」

「昼間のこと、向日葵に言いました?」

「うん」


 やっぱりか。くそっ、バーベキューの時からなんか生暖かい視線を向けられてるなとは思ってたんだよ。向日葵のやつ、恋バナとかすげー好きそうだから、俺が夏先輩に告白したって話には相当食いついたんだろうな……

 つーか向日葵に話が行ってるってことは、芽多と修にも伝わってると見て間違いないだろう。うわ、そう思うと急に恥ずかしくなってきた。気を使われてるのがわかって尚更つらい。いや、ありがたいんだけどさ。


「あ……終わっちゃった」

「あっという間ですね。残りは定番のやつか」


 芽多から配られたぶんの花火はあらかた終わってしまった。結構な量があったと思ったけど、終わってしまえばあっけないものだ。

 そして最後に残っているのは、大昔からの定番、線香花火だ。

 騒がしかった一年生カップルも肩を寄せ合って、静かに楽しんでいる。


「これが噂の線香花火……」

「噂ですか」

「小説とか漫画でよく見た……青春ポイントが高いやつ」

「あんまり期待し過ぎない方がいいですよ。小さい花火ですから」


 先輩に花火を手渡しながら、俺も一本取ってロウソクの火にかざす。

 先輩も手に持った花火を同じ火へと近づける。必然的に二人の距離は今まで以上に近くなった。こういうところも青春ポイントが高いと言われる所以ゆえんなんだろうな、などと考えることで、勝手に早鐘を打ち始める心臓から意識をそらすことにした。


 火は、線香花火の先に小さな赤い玉を作る。

 パチパチとささやかな火花が散ったかと思うと、まさに花のような火花が結構な勢いで絶え間なく飛び出し始める。フルフルと震える玉は徐々にその大きさを増していき、まるで生きているかのようだ。


「すごい……」

「うわ、線香花火ってこんなに勢い強かったかな」


 記憶の中のそれよりも明らかに派手な光の花に、俺は一瞬圧倒されてしまった。それは夏先輩も同じだったようで、手の震えが伝わったのか、火の玉はあっけなくポトリと落ちてしまった。


「あ……」

「あー、残念。割と簡単に落ちちゃうんですよね。はい、次のやつ」

「……ありがとう」


 オレンジ色の閃光が網膜に焼き付く。

 何の変哲もない火薬が、こんな風に美しく燃えるなんて不思議だ。


「先輩、前に話したこと覚えてます? ちょっと前まで俺は他人が怖かったって」

「うん……覚えてる」

「あれってまあ、つまり、わかりやすく言うと……心的外傷後ストレス障害PTSDってやつなんですけど」

「……うん」

「えーと……聞きたいすか? この話」

「友田くんがいいなら、友田くんのことなら……私はなんでも聞きたいよ」


 うーん、話を聞きたいって言ってもらえるのは素直に嬉しい。つーか俺もどうして急にこの話をしようと思ったのか、自分でもよくわからないが……なんとなく先輩に隠し事をしたくないって思ったのかもしれないな。まあ、他人が怖くて治療が必要って時点で、そりゃPTSDじゃねーのという予想は簡単にできただろうけど。


「強盗がね、入ったんすよ。家に。当時住んでいた辺りは治安が悪くて」

「え……」

「嘘みたいでしょ。でも、本当にあるんですよ。嘘みたいなことって」


 まさか、マンションの三階にある一室をピンポイントで狙われるなんて思わなかったけどな。今思えば、前から目をつけられていたんだろう。両親の仕事が軌道に乗ってきたとかで稼ぎが良くなって、引っ越しを検討していた時期だった。


「その日は運悪く家族が全員揃ってましてね。誕生日だったんですよ。妹の。夜、ケーキを囲んでいるところに、何の前触れもなくドアから男たちが入ってきて。最初に母親、次に父親がやられて。妹は自分の部屋に逃げて、俺は窓から飛び降りた。下はなんか資材置場的なものになってたみたいで……左足首骨折、右足には鉄の棒みたいなものが刺さって抜けない。右腕は打ちどころが悪かったのか、全然動かなくて。そんな状態で俺は、そこから一歩も動けずに空を見上げていたんです。すぐにでもあの男たちが窓から顔を出して、俺を見つけて殺しに来るかもしれないって怯えながら。それからまる一日くらい経った後、俺は救助されました。助かったのは俺だけだった。両親も妹も殺された」


 あの時、妹と一緒に窓から逃げていたら。そう思わない日はない。

 目の前で両親があっさり死んでいく衝撃、自分も死ぬかもしれないという恐怖、そして妹を見殺しにして一人だけ助かったという罪悪感、それらが混然一体となって、俺の心をめちゃくちゃにした。

 不眠、フラッシュバック、激しいめまいで立っていられない。あらゆる意味で俺はもう、元の生活には戻れないんだと思った。


 俺を引き取ってくれた伯父おじはとある大きな病院の院長で、俺も元々仲が良かったためか、恐怖は感じなかったが……他の医者や警察とは話すのも難しいくらいだった。

 伯父がいなければ、俺の回復はもっとずっと遅くなっていただろう。


 それなりの時間をかけ、ある程度の段階まで良くなった俺に、伯父は提案した。従来とは全く違う、新しい治療法がある。まだ研究段階だが、受けてみるか、と。悪化する可能性もあったらしいが、俺はその提案に乗ることにした。

 そうして俺は……万橋ばんきょう学園に通うことになったのだ。


 二人の線香花火は、とっくに消えていた。

 話し終えると同時に、俺の頭は先輩の腕と胸に優しく抱きしめられていた。

 ……なんか大変なことになっちゃったな、などと思いつつ、俺はされるがままになっていた。

 別に同情を引くつもりはなかったんだけど、まあ、話の内容が内容だ。やっぱり俺は客観的に見ても、可哀想なやつだったんだろう。


「……大変、だったね」


 ああ、その言葉、医者にも警察にも何度も言われたな。


「妹さんのこと……友田くんは……何も悪くないよ……」


 それもカウンセラーからよく聞いたセリフだ。先輩には心得があるのかね。


「私は……悔しい。友田くんがどんな思いでここに来たのかも知らないで……」


 なんだろう。不思議だ。先輩の鈴のような声をこんなに近くで聞いていると、心の奥底まで透き通った水が浸透してくるような感覚になる。


「でも、嬉しい。話してくれて嬉しい……」


 ああ、そうだ。嬉しいんだ。


「大丈夫ですよ、先輩」

「もう……大丈夫?」

「はい。あの日から俺は逃げて逃げて、逃げ続けてこんなところまで来た。ようやく頭が冷えて、気分はだいぶマシになって……似たような境遇のやつとも出会った」


 向日葵。

 あいつは自分なりに過去と戦い続けていた。そして、真実を知っても最後は逃げなかった。だから今、笑ってる。それは多分、希望なんだと思う。


「だからいい加減、逃げるのはこれが最後です。学園を卒業したら、俺は……」


 俺と先輩は永遠に離れ離れになる。

 だから俺は、先輩と恋人同士になることを拒んだ。


「……そっか。そうなんだね」


 やっと俺は、先輩の腕から解放される。

 海風がやけに涼しい。生まれ変わったような気分だ。


「私も……考えてみる。いつか言った、秘密のこと……」

「……はい」


 俺がそうだったように、きっと夏先輩にも、そう簡単には話せないような秘密があるのだろう。それを聞いて俺に何ができるのかは分からないが……少なくとも今日、先輩から貰った優しさのようなものくらいは、返せるようになりたい。そんな密かな決意を胸に秘めつつ、次の線香花火を先輩に手渡した。


         ◆


 余談だが……

 俺が先輩に抱きしめられている場面は、部員全員にバッチリ目撃されていた。

 そりゃまあ、あれだけ近くにいればな……

 誰も何も聞いてこなかったのが逆に恥ずかしく、各方面からの生暖かい視線に俺はしばらくの間、耐えなければならなかった。








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