青春のきらめきは一瞬

 部活の後は、ホテルの10階でバイキング形式の昼食を取ることになった。

 どうやらこのバイキング、ホテルに泊まっていなくても料金を払えば入れるものらしく、かなり多くの人でごった返している。

 仕方ないので男子グループと女子グループに分かれることで、なんとか席を確保することができた。というか俺がそうするように仕向けた。

 だってそうしないと、自然とカップル同士で食べる流れになるから。そうなると俺と夏先輩が一緒になってしまう。いや、昼食後の自由時間では夏先輩を誘ってどこかに行くつもりではあるが、まだ心の準備がちょっと……


 心の中で言い訳している俺をよそに、天世はやたらと魚料理ばかりを皿に盛り付けていた。魚介類が好物らしい。こんなところでまで前世アピールをせんでも……と思ったが黙っておく。

 修はピザやパスタといった主食系メインで、さらに最初からデザート系をガンガン取っていた。そのうち体壊すぞ。

 料理は全体的に味が濃くてうまかった。好きなものだけを食べられるのは素晴らしいシステムだと思う。


 男グループの方が先に食べ終わったので、俺は部屋の外で夏先輩を待っていた。このタイミングを逃すと、直接顔を合わせる機会がなくなってしまう。

 いや、別に待っていなくても、スマホでメッセージを送ればいいだけなんだけど……今はなんとなく、直接話したほうがいいような気がしたのだ。

 しばらくして、女子グループが出てきた。俺に気づいた芽多は一瞬こちらを凝視した後、意味深な笑みを浮かべて、向日葵の腕を掴んで去っていった。

 くそ、あいつにお膳立てされるとなんか負けた気になって嫌だな……

 しかし今はそんなことを考えている場合ではない。一人残された形になった夏先輩に、思い切って話しかける。


「先輩、午後って何か予定あります?」

「えっ……ない、けど」

「じゃあちょっとその辺、散策でもしませんか」

「……ん」

「あーいや、気が進まないなら別に無理にとは」

「そ、そうじゃなくて……行く。行きたい」

「じゃあ、この後ロビーで待ち合わせってことで」

「うん」


 はーめちゃくちゃ緊張した。

 なんだろう、別にそれほど久しぶりってわけでもないのに、この手汗よ。俺が先輩のことを意識してしまったからこそ、なのだろうか。


 ともかく一旦部屋に戻り、ウェストポーチだけ持ってロビーに直行した。

 昼食の時に聞いた話によると、天世と向日葵は海で泳ぐつもりらしい。芽多と修は漁港に行くとか言っていた。できるだけ行き先は被らない方がいいだろうと思いながら、夏先輩を待つ。

 未だにどうしたいのか、どうなりたいのか、自分でもふわふわしている。それでも何かをしなければならないという気持ちが行動を後押ししている状態だ。

 それはどこか焦りにも似た、未知の感覚だった。


 やがてロビーに降りてきた夏先輩と一緒に外に出る。

 ホテルの10階からも見えていたが……海岸はえらいことになっていた。夏真っ盛りのちょうどいい時間帯だもんな。人、人、人だらけで砂浜が見えないくらいだ。あんなところに飛び込んでいけるのは余程バイタリティに溢れた人種……一年生カップルくらいだろう。

 俺と夏先輩は、海から離れるように国道沿いを歩いていった。

 道の周囲には徐々に木々が増えていき、日陰が多いおかげか若干涼しい。

 天気の話題という鉄板のカードは、ロビーで顔を合わせたくらいの段階で早々に切ってしまっていた。めちゃくちゃ晴れているから、全然話が膨らまなかった。当たり前か。おかげで歩いている間、俺たちの間には会話らしい会話はなかったが、それでも思っていたほどの気まずさは感じなかった。


 緩やかな登り坂を歩いていくと、道の先に看板のようなものが見えてきた。

 道路の脇が少し拡張されている部分……あれなんか呼び方あるんだっけか。とにかくその車が数台停められそうなスペースにのぼり旗が並び、屋根付きのベンチがあった。バス停……のようにも見えるが少し違う。近付いてみると、『無人販売所』と書かれていた。


「なんだろう……あれ……」

「野菜の無人販売所みたいですね」


 見れば、山の湧水なのか水道なのか、塩ビ管からチョロチョロと水が流れ続けている場所があり、それを受ける大きな器の中にナスやキュウリやトマトなど、色々な野菜が浮かんだり沈んだりしている。

 時間帯のせいか、そもそもこんな場所に来る人自体が稀なのか、俺たちの他には誰もいないらしい。


「無人販売……初めて見た。盗まれないのかな」

「そこはまあ、人の良心に期待って感じでしょうね。実際盗まれたりとか、一円だけ入れてく奴とかいるらしいですけど」


 と、知ったようなことを言ってみたが、実は俺も聞きかじっただけで実際見るのは初めてだったりする。いやしかしこれ無用心過ぎるだろ普通に考えて。


「買ってみようかな……」


 先輩はそう呟くと、近くに備え付けられている年季の入った箱に小銭を落として、水の中から小ぶりなトマトを一つ取った。

 今買ってどうするのかと思って見ていると、先輩はそのままトマトにかぶりつく。

 みずみずしい皮がぷつりと弾ける音が聞こえてきたような気がした。


「おいしい……」

「と、とりあえずそこに座りましょうか、先輩」

「ん……そうだね。立ったまま食べるのは、お行儀が良くなかったね」


 バス停にありそうなベンチに俺たちは並んで座った。

 昼食を食べたばかりなのに、先輩はトマトを食べるのに夢中だ。一口齧るたびに、今まで見たことがないような、幸福そうな笑みを浮かべる。俺にはその笑顔が眩しすぎて直視できない。それでも見たくなってしまって、先輩の横顔を盗み見ては、謎のダメージを受けている。

 ああ、駄目だ。完全に俺の負けだ。


「めちゃくちゃ美味そうに食べますね」

「……そう?」


 俺が声をかけると、先輩は少し照れたように口元を手で隠す。


「食べ物の味をきちんと感じられるのは……とても幸せなことだよ」

「それはそう、ですね」

「私……前にも少し話したけど、ずっと病院にいたから」

「あー、病院食って味気ないですもんね」


 そういえば体が弱かったって話は聞いた覚えがあるな。ずっと病院にいたっていうのは初耳だが……まあ、今はどう見ても健康そのものなので、病気的なものは克服できたということなんだろう。

 こんなに幸せそうに食べるのは、味気ない食事ばかりだった時のことを今でも忘れていないからなんだろうけど……


「……俺、先輩のその幸せそうにトマト食ってる顔、すげー好きです」

「えっ……」


 もういいや、という気持ちになった俺の口から、溜め込んでいた気持ちがどんどん溢れてくる。最初からこうしていればよかった。限られた時間の中で何かを我慢するのも、誤魔化すのも、くだらない。


「先輩。最近ずっと先輩の青春探しに付き合えなくて、すみませんでした。俺、自分で手伝うって言ったくせに……先輩が詩を見せてくれたあの日、俺はたぶん、自分の気持ちに気付いたんだと思います。でも俺は馬鹿だから、好き避けみたいになっちまって……」

「スキヤキ……?」

「そんなうまそうなもんじゃないです。好きだからこそ、気まずくなって避けがちになるっていうか……あーとにかく、俺は先輩のことが好きになっちゃったんですよ」


 勢いに任せたら、なんか告白みたいになってしまった。

 いや、みたいっていうか告白そのものなんだが……

 芽多よ、見ているか。お前に教えてもらった恋愛テクニックは全く役に立たなかったぞ。恋愛初心者なめんなよ。


 言いたいことを言って、先輩の反応を待っていると。

 人形みたいに動きを止めたままこちらを凝視していた先輩の目から、不意に涙がポロポロと溢れ始めた。

 なっなんだそれ、やめてくれ、俺は女の涙の前にあまりにも無力な生物だぞ。


「せ、先輩……!? えっと、ど、どう……」

「ごめんね……違うの。自分でも……びっくりしちゃって……」


 ゴシゴシと目を擦る先輩に、俺は慌ててハンドタオルを差し出す。


「ありがと……私ね……友田くんに……嫌われちゃったのかと思ってた……あの日、私が詩なんて見せたせいで……でも、そうじゃなかったってわかって……うー……どうしよう……今すごく、嬉しいの……」


 俺が渡したタオルに顔を押し付けた後、先輩は、泣き笑いみたいな表情を見せた。

 それは小さな子供のような、素朴な笑顔だった。


「友田くんに嫌われたかもって思ってから……ずっと苦しかった……学園がお休みの日でも、友田くんのことばかり考えちゃって……だから今は、すごく安心してるはずなのに、なんだか別の苦しさがあるの。……ねえ、私、今まで誰かを好きになったことがないから……わからないんだけど……この気持ちって、恋なのかな……?」


 正直に言うと。

 この時、俺の頭の中は真っ白になっていた。

 人生で初めて告白とかいうものをしてしまったことや、先輩も俺のことを好きかもしれないという衝撃の事実、それらがごちゃごちゃになって、簡単に言えばパニクっていた。


「お……俺には、先輩の気持ちはわかりません。でも、それが俺と同じ種類のものだったら……嬉しいです」

「そう……だね。きっと、私もそう思ってる……」


 だからこの時、俺は忘れていた。

 俺が自分に課さなければならない、ルールのことを。


「あー……先輩」


 いや、ギリギリで思い出した。

 すんでのところで踏みとどまった……と、言えるのかこれ?


「……なに? 友田くん」

「今から変なことを言うけど、いいですか」

「うん」

「俺は先輩のことが、好きです。で、仮に、ですね。先輩も俺のことを……好きだったとしても。その……恋人同士になるとかは、ナシの方向でいけませんか。今まで通り、俺は先輩の青春をお手伝いします。今まで通り、一緒に帰ったり、色々なところに行ったりしましょう。そういう関係のまま……っていうのは……どうすかね」

「友田くん……」

「あのっ、すんません何かすげー自分勝手なことを」

「ううん……言いたいこと、わかるよ……」

「えっ……と?」

「私たちは、今までと同じ関係……それがいいと思う」

「はい……じゃあ、そういう感じで……」


 そういうことになった。

 いや、自分でもめちゃくちゃなことを言っているのは自覚している。常識からちょっと外れたところを歩いている先輩だからこそ、許容してもらえた感じはあるが……

 でも、こうするしかなかったんだ。


「あれ、先輩、いつの間にトマト全部食べたんすか。つーかヘタはどこに……?」

「鮮烈な味わいだった……」

「まさか食べたんですか? トマトのヘタを?」

「なんだかいっぺんにすごいことが起きたせいで……気がついたら食べちゃってた」

「そ、そうですか……」


 やっぱり先輩は、変な人だ。

 思えば最初に出会った時から、おかしな人だった。

 でも今はそのおかしさが、愛おしくて仕方がない。


 きっと俺の選択は間違っているのだろう。

 でも、それでも、と今なら思える。


 きっと後悔する。

 きっと苦しむ。

 それでも。


 それでも。








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