所在なき罪

 あれよあれよという間に学園は夏休みに入り、すぐに夏合宿当日となった。

 集合場所のホテルのロビーで部の面々と顔を合わせても、それほど日が経っていないので特に久しぶりという感じでもない。


 なつ先輩はいつぞやの部室潜入の時とは違い、普段のイメージに合った私服だった。

 黒いスカート、黒いブーツ、黒のキャミソールに、なんか白くて透けてる感じのシャツ……シアーシャツっていうのか? を羽織っている。モノトーンで落ち着いた配色が、彼女のプラチナブロンドの髪と相まってとても良く似合っている。


 向日葵ひまわりは濃紺のハーフパンツにボーダーシャツ、頭には紺色のキャップという、いかにも彼女らしいボーイッシュな私服だ。奇しくもこちらもモノトーン寄りだが、ピンク色の髪がいいアクセントになっている。


 芽多は黒いスラックスに黒いローファー、淡いピンクのリボンブラウスで、長い髪をまとめているせいか、全体的に大人っぽい印象になっている。以前見たギャルゲヒロインみたいな格好を今しないんかいという突っ込みが出そうになったが、これはこれで似合っている。


 男たちは……どうでもいいか。Tシャツにハーフパンツとかジーンズとか、俺も含めてどれも似たような感じだ。


 チェックインを済ませて部屋に荷物を置いた後は、すぐに会議室に向かう。来て早々に部活というのも気が乗らないことこの上ないが、芽多がそういうスケジュールをがっちり組んでいるので仕方がない。当の本人はプロジェクターやマイクまで用意して、やる気満々といったところだ。マイクはいらないと思うが。


「今日は、罪についての思考実験よ」


 芽多がそう切り出すと部屋が薄暗くなり、部活が始まった。


「あるところに、一人の罪深い男がいた。彼は連続殺人犯で、これまでに老若男女を問わず、621人もの人間を殺してきたわ」

「その半端な数字はどこから来たんだよ」

「別に意味はないわ。最後まで黙って聞きなさい友田」

「へいへい」

「ある日彼は自分が犯した罪の重さに耐えかねて、自首をした。彼は捕まり、死刑を待つだけとなった。……ところがある日、某国の実験兵器が暴走し、彼以外の全人類が一斉に消えてしまった。文字通りの消滅。影も形も残らなかった。……ここで質問よ。償うべき人類が全て消えてしまった時、彼の犯した罪はどうなると思う?」


 急に超展開が来た。なんで一人だけ生き残ったんだよ、という突っ込みは野暮か。そういうフィクションは巷に溢れているからな。


「特に変わらないんじゃないっすか? 彼は自分が罪人だと自覚してるわけですし、人類が誰もいなくなってもその気持ちは消えないと思うっすけど」


 合宿でもいつもの部活と変わらず真っ先に意見を述べてくれる向日葵、お前のような部員がいてくれてよかった。切り込み隊長の称号を与えよう。


「なるほどね。つまり向日葵さんは、罪の本質はそれを犯した者の心の中にこそあると言いたいわけね?」

「そうっすね」

「では、条件を一つ付け加えましょうか」


 芽多がPCを操作すると、次のスライドへと変わる。

 向日葵の質問は織り込み済みだったってわけか。


「彼は人類の中で唯一生き残ったけれど、無事では済まなかった。記憶を失ってしまったの。自分の名前も、生い立ちも、今まで何をしていたのかもわからなくなってしまった。……さあ、この場合、罪の所在はどこかしら? 彼は自分の罪を思い出せない。罪を償うべき相手もいない。彼の罪はどこかへ消えてしまった?」

「うーん……それは違うような……」


 向日葵は難しい顔で考え込んでしまった。

 と、今度はその隣で天世あまよが手を挙げる。


「例え記憶がなくなっても、彼がやったことが無かったことになるわけではないので、やはり罪は彼の中にあるのでは?」

「ふんふん。覚えていないことも、自分の罪として残り続けるというわけね」

「そうですね。例えば事情聴取の記録とか、犯行の証拠とか……自分の姿が映っている映像なんかがあれば、彼は自分の罪を再び自覚できると思います」

「記録も全て消えていたとしたら?」

「それは……もうどうしようもないですね」

「ふふ、少し意地悪だったかしら」


 以前話し合ったことに通じるものがあるな。記録も記憶も残っていない、観測する者もいない過去は、存在しないことと同じなのか、みたいなやつ。


「でもでも、誰も覚えてなくても……神様が見てるかもしれないっすよ!」


 向日葵が何故かドヤ顔で言い放つ。冗談めかしてるけど、天世にちょっと感化されてるところもあるのかもしれんな。


「超越的な第三者の視点ね。当事者に記憶がなくても、上位存在がいたとすれば、その罪はどこかに記録されているかもしれないわね。でもそうなると……罪の本質は上位存在的な第三者の記録、あるいは記憶の中にある、ということになるわ。向日葵さんが最初に主張したことと違ってきてしまうわね」

「あれっ……本当だ! 不思議っすね~」


 薄暗い会議室が、和やかな笑い声に包まれる。


「次はちょっと視点を変えてみましょうか。数百人ぽっちの殺人なんて目でもないくらいの大罪、全人類を消滅させてしまった事故の罪について……」


 俺は頬杖をつきながら芽多の話を聞き流しつつ、ブラインドの隙間から漏れる光が強くなってきているのを、ぼんやりと見ていた。

 外は太陽が高くなり、少しずつ気温を上げているのだろう。

 じりじりと焼けつくような感覚を思い出す。思い出したくもない記憶が蘇る。

 いつか俺が死んでもあいつらの罪は永遠に消えないで欲しいとは思う。現実的には数十年程度は、社会がその罪の所在を保証するだろう。

 でも……その後はどうなる? 刑期が終わったら、罪は消えるのか? 人生という有限の時間を削り取る罰を与えて……だからなんだっていうんだ?


 ……いかんな、寝不足かもしれない。

 こんなささくれ立った気分じゃ、午後に先輩と顔も合わせられないぞ。


 どうにもならない過去のことで心を蝕まれるのは本当に不毛だ。

 せっかくいつもと違う場所で、いつもと違う格好の先輩と、いつもと同じように部活をしているというのに。

 と、先輩のことを考えたおかげか、少しだけ気分がマシになった気がした。








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