詩と海と
夏先輩は、海がいたく気に入ったらしい。
二人で海に行ったあの日から、俺たちは特に目的もないまま、放課後同じように海へと足を運ぶことが増えた。
基本無表情な先輩の心の中を読むのは難しいが、あの日、何か琴線に触れるものがあったのかもしれない。
部活終わりに「今日も行かない……?」と誘われれば、特に断る理由も見つからないので、ぼんやりアホみたいな顔をしながら潮風を浴びに行く。
まあ、海というものが内包する青春的な要素の総量はすごいからな。ただそこにいるだけで、青春ポイントがチャリンチャリンと貯まっていく音が聞こえるようなスポットだ。
その日の放課後も、俺と夏先輩は特に目的もなく砂浜に座って、波が寄せたり引いたりするのを見ていた。夏先輩が準備万端にレジャーシートを持ってきていたので、砂を気にする必要がない。気分はちょっとしたピクニックだ。
俺たちの間には、基本的に会話は少ない。7:3で沈黙のほうが多いくらいだ。いつの間にか確立されたその間合いが一番自然だったし、どこか心地よかった。
「先輩、なんか趣味とかあるんすか」
だから俺がそう口にしたのは、単なる気まぐれだった。特に意図はなく、明日の天気と同じくらいどうでもいいような話題のつもりだった。
「……あるよ」
あるんだ、と意外に思った。なんとなくこの人は無趣味な気がしていた。
というか、夏先輩が趣味に打ち込んでいるところを想像できなかった。
「見る……?」
そう言って夏先輩は、鞄から一冊のノートを取り出す。
「お、いいんすか」
俺はほとんど脳を使わずに答えて、夏先輩から手渡されたノートを眺めた。
絵でも描いてんのかな、とか思いながらページをめくると、そこにあったのは数行の文字列だった。
――
脆い煌めきが漂う。
微かな存在の輝きも消えてゆく。
風に揺れる花が虚ろに舞う。
果てしない闘い。
終わりはどこに?
時の砂は滴り落ちてゆく。
もう少し、もう少しだけ、と。
彼方に見える未来の風景が、
目の前で遠ざかっていく。
――
「これは……詩ですか」
「うん。あまり上手くないけど……詩を書くのが趣味なの」
びっくりした。
自作の詩をいきなり他人に見せるとか、無敵か?
……いや、それは俺にとって詩というものが、なんとなく恥ずかしいものという認識だからか。夏先輩にとっては、真摯に取り組んでいるものだから、恥ずかしいとかそういうものではないのかもしれない。
ページをめくる。
――
脆い火花、導く光。
しかし、すぐに闇に飲み込まれ、消え去った。
恐怖の噛みつくような痕を残して、私を置き去りにする。
語られない悲しみ、語られない痛み。
静かに開く花を愛でる。
今はただ、それらを通して微笑む。堅く大胆に。
もう少しで夜が消える。
私は静かに祈る。
――
「なんか……落ち着いた感じっすね」
静かというか、静謐というか。
オブラートに包まずに言えば、ちょっと暗い詩だなと思った。先輩のイメージに合ってるっちゃ合ってるのかもしれないけど。
「それは学園に入ってすぐの頃に書いたものだから……かな」
「へえ? これ一冊そうなんすか?」
「うん」
「じゃあ最近のは作風が違うんすかね」
「……だと思う。……あ、そうだ」
先輩はもう一冊、ノートを取り出すと、何やら書き始めた。
まさか今、詩を書いているのか?
その様子をじっと見ているのも悪いかと思い、俺は再び海に目を戻した。
沈みつつある太陽のおかげで寂しい雰囲気になってきた空と、少し温度を下げたように見える海が交わっている。波の音に混じって、先輩がペンを走らせる音が聞こえてくる。
しばらくそうしていると、どうやら書き終わったらしい先輩が、無言でノートを差し出してきた。
――
奇跡の糸が織り成す模様。
笑いの旋律、温かく崇高な触感。
この瞬間を味わい、深く心に刻む。
喜びと悲しみが交錯する、生命のうねり。
言葉にならないものが、目に映し出される。
儚い刹那の囁き、秘密を胸に秘めて。
闇がそっと降りてくる中で、星が輝き始める。
私は黄昏にとどまり、永遠を見つける。
語られない約束を、琥珀色の空の中に。
――
「え、すげー。即興でこれ書けるのすごくないですか?」
「そう……かな」
「あー、この『生命のうねり』って、海のことかな? 今、海にいるから?」
「うん……よくわかったね。今の情景というか、気持ちを……書いてみたの」
「おおー」
俺は素直に感心してしまった。
詩とか全然わからないし興味もなかったけど、今まさにこの場面を書いたと言われれば、なんとなく意味もわかってくる。
そうか、詩って文章というよりも、絵に近いんだな。
小説みたいに説明するんじゃなくて、比喩表現とかを使って脳の別ルートから、風景や感情をダイレクトに伝えるというか、想起させようと試みる感じ。
「友田くんも……書いてみる?」
「えっ、いやー、俺は遠慮しときます。センスないんで」
「そっか……」
残念そうにしている先輩には悪いが、そういうものに縁がなかった人間がいきなり詩を書くというのは、やはりハードルが高い。百歩譲って書くだけならまあ、素人なりにできるかもしれないが、それを他人に見せるのは無理だ。恥ずかしすぎる。
「ていうか先輩、詩が趣味ならどうして文芸部とかに入らなかったんですか?」
話の矛先を逸らすために、そんな質問をしてみた。
俺には詩の良し悪しはわからないが、ノートに何冊も書くほどしっかり取り組んでいるなら、似たような人が集まる部に入った方がいいだろう。アドバイスを貰えるかもしれないし、発表の場だってあるかもしれない。少なくともメタ部とかいう怪しい部に所属する必要性はないと思うのだが。
「私の詩は自己流で、ちゃんと勉強したいっていう気持ちもなかったから。それに、他人に見せるつもりもなかったし……」
「ふーん? でも俺には見せてくれたじゃないですか」
「友田くんは……ちょっと特別」
まーたこの人はそういうことを言う。
俺なんかを勘違いさせてどうするつもりだ。
「それに……最初に見せた詩、暗かったでしょ? きっと見せられた方も困ると思うし……」
俺が困るのはいいのかよ。というツッコミには先回りされてたか。俺は特別……特別ねえ。他の人間と俺とは何が違う? いや、違うんだけどさ。学園に通ってる理由とか、色々と。
「でもまあ、俺は好きですけどね、先輩の詩」
「え……」
「今書いてくれたこの詩、すげーいいですよ。技術的なことはわからないけど、後になってこの詩を見たら多分、今この時間のことを思い出すんだろうなって思う」
「……」
薄暗くなってきたせいか、海というシチュエーションのせいか、それとも先輩の詩に感化されてしまったのか。気づけば俺は結構恥ずかしいことを口走っていた。
しかし、しばらく待っても先輩のリアクションがない。
何か言ってくれ。恥ずかしさが倍増しちゃうだろ。
いたたまれない気持ちになった俺は、視線を海から隣へと移す。すると、こちらを見ていた先輩とバチッと視線が合った。
その顔は……普段の人形めいた表情とは似ても似つかない、普通の女の子のようだった。口元がモニョモニョしていて、心なしか頬が赤く染まって見える。
そんな風に先輩の表情を観察できたのは一瞬だった。先輩がすぐに目をそらして、下を向いてしまったからだ。
「あ……ありがと……」
「いえいえ……?」
ボソボソと小さな声で、下を向いたままでも、先輩の言葉はしっかりと耳に届く。
「そんなふうに褒められるとは思わなかったから……私……誰かに詩を見せるのも初めてで……これでいいのかどうかもわからなかったから……嬉しい……」
そう言ってチラリとこちらを見上げた先輩は、不器用そうに微笑んだ。
プラチナブロンドの長い髪が顔にかかって、幽霊かよって感じなのもまた、どうしようもなく人間くさい。
正直に言おう。
その時の先輩の顔は、とんでもなく、魅力的だった。
おい、誰だ先輩のことロボットみたいとか言ったやつは。俺だ。
なんだおい、なんだこれ、めちゃくちゃ可愛いじゃねーか。
くそ……こういう意外な一面みたいなのを見せられたらよー、恋愛経験の少ない男なんざ簡単に落ちちまうに決まってんだろーがよ。ふざけやがって。
ああ、完全にミスった。失敗した。
こんなつもりじゃなかったんだ。
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