それは雪解けへの祝福か、過去の改竄か

「オラッ、メタ部や!」


 ガンガンと扉を叩く。

 ……ふりをする。

 一緒についてきた天世あまよはポカンとした顔をしていた。そりゃそんな顔にもなるか。少しでもシリアスな空気を和ませようとしたんだが……どうやら俺にそういうのは向いていないらしい。

 気を取り直して、何事もなかったかのように扉のインターホンを鳴らした。

 

 桜峰さくらみねゆきの家から戻った俺たちは、時間も惜しいのでその足で向日葵が住んでいる寮に直行することにした。

 一応、帰りの電車の中で天世からメッセージを送っておいてもらったが、既読はついたものの返信はないらしい。

 まあ、アポ無しよりはマシってところか。

 詳しいことは会って話したいので、桜峰雪の母親と会ってきたことなんかは伏せてある。ただ簡潔に、これから行くということだけ送ってもらった。


 万橋ばんきょう学園の学園生寮は、寮という名前がついているだけで、実態はいわゆるアパートだ。ただし、各々の部屋の扉が屋内にあるタイプ。このあたりでは少し珍しい。

 玄関……と呼んでいいのかわからないが、鍵のかかっていない安っぽい引き戸を開けると廊下と階段があり、廊下の左右にそれぞれの部屋がある。部屋は一人部屋で、施錠できる。アパートだから当然だが。キッチンもトイレも風呂も部屋の中についているので、いわゆる寮での集団生活というものとは違うのかもしれない。


 ……ということを、俺は向日葵の部屋に上がってから知った。

 キョロキョロあちこちを見て回る俺に、向日葵から咎めるような視線がザクザクと刺さるが気にしない。


「来るのはいいんすけど……急すぎるんすよ。あたしにも色々準備とか……」


 ややボサボサなピンク頭の向日葵が、クッションを両手に抱えたまま何かぶちぶち言っている。

 天世からのメッセージに返信しなかったのは、大慌てで掃除やら何やらをしていたからかもしれない。ファンシーな、いかにも女子って感じの部屋は別に散らかっていないし、汚くもないが……それは元からなのか、急いで片付けた成果か。

 俺としては、片付けをするくらいの気力が残っていて良かったと内心ホッとしている。本当に心が終わっている時は、なにもかもが無気力になって、片付けどころか風呂に入ることさえ億劫になるからな。他人に見られることにすら無関心になったらいよいよ危ない兆候だ。幸い向日葵はそこまで行っていないようで良かった。


「すまんな。早めに話しておきたいことがあって」


 丸いローテーブルを囲んだ座布団に腰掛けて話し始めると、クッションを抱く向日葵の両手にギュッと力が入る。


「いえ……こちらこそ、ごめんなさい。部活に行けなくて……その、それにカウンセリングにもまだ……」

「ああ、それは気にすんな。今日はそういう話をしに来た訳じゃない」

「え? えと……じゃあ、どういったご要件で……」


 向日葵からすれば、俺たちの突然の訪問は、数日間サボってしまったことを咎めるためのものだとでも思ったのだろう。カウンセリングに行けと念押しされたにもかかわらず、まだ行けていないこともプレッシャーになっていたのかもしれない。

 余計な罪悪感を増やしてしまったことに、少し失敗したなと思う。


「実は今日、桜峰雪の母親と会ってきた」

「……え」


 俺の言葉をうまく飲み込めていないのか、向日葵は返事なのかうめき声なのか判別できないような声を発した後、ようやく一言だけ呟いた。


「……なんで?」

「当時のことを詳しく知りたいと思ってな。お前から聞いたことだけじゃなくて、客観的な事実とか、当事者の話を聞きたかった」

「そ、そうじゃなくて……」


 向日葵は、クッションに口元を埋めるような姿勢で、うつむいたまま小さな声を絞り出す。


「なんでそこまでするんすか……? そんなことしたって、何も……先輩たちに得なんてないし、何も変わるわけじゃないのに……」

「なんか今回はやたらと理由を求められてる気がするが……まあ、強いて言えばアレだ。借りを返すためだな」

「借り……って?」

「なんだ、忘れたのか。いつだかの昼休みに、お茶をおごってもらっただろ」


 芽多の手作り弁当を品評しなければならなかった時、飲み物を持ってきていなかった俺に、向日葵はお茶のペットボトルを買ってきてくれたのだ。

 無償の善意、見返りを求めない小さな行動は、特に深い意味はなかったとしても、あるいは自分のための偽善と呼ばれるものであったとしても、された方の心には意外と残るものだ。

 そういえば夜の部室棟近くで張り込みをしていた時、天世にも飲み物やら何やら貰ってたな。俺、後輩に恵んでもらいすぎじゃね?


「そんな……ことで」

「まあ、理由なんてそんなもんだよ」


 本当の理由は別だけどな。わざわざ言う必要はない。


「それに、何も変わらないわけじゃないぞ」


 行動は、時として変化をもたらす。良くも悪くも。

 俺はスマホで撮影させてもらった、小さな猫のぬいぐるみの写真を向日葵に見せた。それは長い間果たされなかった仲直りのための、キーアイテムだ。


「なんすかこれ……猫……?」

「よく見ろ。このぬいぐるみに見覚えはないか?」

「見覚えって……え……? まさか……」

「この間、話してくれたばっかだろ。お前が小学生の時、川に落としたぬいぐるみだよ。桜峰雪はこれをきちんと取り戻していたんだ。川で溺れることもなく、な」

「は……え……?」

「向日葵、お前の記憶は間違っていたんだよ。桜峰雪は、お前のせいで死んだわけじゃなかった」


 続いて俺は、図書館で見つけた記事の写真を見せる。荒療治になるかもしれないが、何年もの間自分の中で真実だと思っていたことが間違いだったと理解させるためには、口で言うだけでは足りないと思ったからだ。


「交通……事故」

「桜峰雪はお前と喧嘩した日の翌日、登校途中で交通事故に遭った。当時の新聞記事にも載っているし、桜峰雪の母親にも直接確認した。亡くなってしまったことは事実だが、そこにお前は一切関与していないんだ」


 きっぱりとそう言い切ってはみたものの。実際のところは分からない。

 桜峰雪は向日葵と早く仲直りしたくて、普段よりも急いで登校したために事故に遭った……という可能性もゼロではない。まあ、あくまで可能性の話だ。過去のことなんて確かめようがないし、わざわざ言及する必要もない。


「ちょっと……ごめんなさい。今、頭の中ぐちゃぐちゃで……どう考えていいか、わからない……」


 これまでずっと真実だと思っていたことが全部間違っていたなんて、すぐには受け入れられないだろう。罪悪感から解放されるよりも先に困惑が来るのは当然だ。


「急に混乱させるようなことを言って悪い。でも、俺は自分で調べた結果、これが真実だと思った。向日葵も納得できるまで考えてみてくれ。自分で図書館に行って、記事を確認するのもいいだろう。それで、自分の中で気持ちの整理がついたら……ぬいぐるみを受け取りにいってくれないか。桜峰雪は、最後にお前と仲直りすることだけを考えていた。このぬいぐるみは、事故に遭った彼女の鞄から出てきたそうだ。これを桜峰雪の母親から受け取って、それでようやくお前たちは過去を精算して、スタートラインに立てるんじゃないかと俺は思う」


 過去から逃げ続ける、というのも一つの選択だろうし、俺にはそれを否定する資格はない。なにせ俺自身がそうなんだから。

 でも、今回のことで俺の考えも少しは変わった気がする。

 自分で納得できないまま過去から逃げ続けても、決して逃げ切ることはできない。それは常に頭の片隅で、じっと自分を見つめているからだ。だからきっと、そういうケースでは過去と向き合い、決着をつけるしかない……のだろう。多分。

 結局俺は、向日葵と自分の境遇を重ねていたんだろう。そのせいでこんなに深く関わることになってしまった。本来なら天世が果たすべきだった役割を、奪ってしまったのかもしれない。


         ◆


「天世、後は任せた。向日葵と連絡を取り合って、あいつが望むなら桜峰雪の実家に連れて行ってやってくれ」


 寮から出た後、俺は隣を歩く天世にそう言った。


「……友田先輩は一緒に行ってくれないんですか?」

「おせっかい焼きはクールに去るんだよ」


 やるべきことはやった。後は向日葵が自分の心にどう折り合いをつけるかという話だ。その結果、やっぱり逃げることを選んだとしても、あるいは立ち向かうことを選んだとしても、どちらにせよこのお話はおしまいになる。

 そして、その後は向日葵が天世の好意に対してどうするのか、というフェーズに移るだろう。そこに第三者の俺が同席していたら、気まずいにも程があるからな。


「そうですか……先輩、ありがとうございました」

「うん、まあ、頑張って」


 こいつやっぱり漫画とか全然読まないのかな、とか思いつつ。


「……ところで天世、これはもしもの話なんだが」

「はい」

「この空の向こうに、俺たちを俯瞰してる誰かがいたとしてだな」

「神様的な存在のことですか?」

「うん。そんな感じ。そいつがちょいとおせっかいをして、桜峰雪の死亡に関する新聞記事を書き換えたとしよう。実際は川で溺れて死んだのに、交通事故ってことにした。ついでに母親の記憶も書き換えたとする」

「オレの知ってる神様とはずいぶん違う存在ですね……」

「そうするとだな、その偽の過去を向日葵に伝えた俺たちは、果たして向日葵の過去を改竄かいざんしたってことになるんだろうか?」

「……彼女がそれを信じるなら、そういうことになりそうですね」

「過去ってなんなんだろうなあ」

「部活みたいになってきましたね」


 荒唐無稽な疑問ではあるが。

 俺たちが会った桜峰雪の母親は、本当に桜峰雪の母親だったのだろうか? なんてことを、ふと思わないでもない。

 彼女と連絡を取れたのは、芽多が探偵に依頼して調べてくれたからだ。

 もしも芽多が何らかの手を回して、母親役のエキストラと、うまい具合に作ったぬいぐるみという小道具を用意していたとしたら、俺たちがそれに気付くことはできただろうか?

 ついでに当時の同級生や学校関係者の全てに同じシナリオを話せと根回しされていたら、俺たちは真実に辿り着くことはできただろうか?

 図書館のサーバーがハッキングされていて、記事のデータのごく一部だけを書き換えられていたとしたら、それがフェイクだと見破ることができるだろうか?


 過ぎたこと、終わってしまったことは全て霧の中に消える。

 過去は人間の認識の中にしか存在しない。それがコロコロと変化するのは、もしかしたら当たり前のことなのかもしれない。


         ◆


 後日談。

 というほど後日でもないが。


 何日か経った後、向日葵と天世は一緒に桜峰雪の実家に行き、無事ぬいぐるみを受け取ったらしい。

 桜峰雪の母親と話すことで、向日葵も自分の過去に区切りがついたようだと天世は言っていた。これは恐らく母親の方も同じだろう。

 きっと苦しみと後悔に満ちていた長い物語が一つ終わったのだ。


 それから向日葵は、改めて部員たち全員に事件のことを謝罪して、当然のように満場一致でゆるされた。忘れかけていたけど、俺もちゃんと部室の鍵を返したぞ。

 芽多と修は事件の全貌を知っていたし、俺と天世はほとんど当事者だ。唯一蚊帳の外だった夏先輩も、部室が荒らされたことより向日葵の問題が解決したことを喜んでいたみたいだし。

 つまるところ、今回は誰一人として不利益を被っていない。

 向日葵の行為が咎められなかったのは当然の結果と言える。


 その後向日葵は週一回くらいでカウンセリングに行っている。もちろん天世も付き添いだ。

 向日葵をさいなんでいた偽りの記憶という棘がいきなり消滅したおかげか、最初は戸惑いが勝っていたものの、今では精神的には非常に良好らしい。

 二人が男女の交際を始めたかどうかはあえて聞いていない。ただ、もう二人の間を阻むものは何もないのだ。自然な流れでそうなるだろうという確信がある。


 若人に青春あれ。

 俺には縁のないものだけどな。








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