真のハッピーエンドを目指して

 桜峰さくらみねゆきの遺族の住所と連絡先を調べてほしいなどという、個人情報がどうのと叫ばれている時代ではモラル的にどうなんだって感じの依頼は、わずか三日後に結果が来た。普通なら最低でも一週間くらいはかかりそうなものだが、芽多のコネとやらが頑張ってくれたのだろう。

 ただ、調査の仕事としては早いとは思うが、俺にとってはその三日間はとても長いものに感じられた。

 なぜなら、向日葵が引きこもりになってしまったからだ。


 向日葵はあの日以来、学園に来なくなった。

 天世に連絡を取ってもらっているので、一人で死んでるってことはなさそうだが、それでも心配なものは心配だ。どうやらカウンセリングにも行っていないらしい。

 自分がしてしまったことの罪悪感と、部員たちに迷惑をかけたという負い目が、動くための気力を失わせているのだろうか。なんとなくその気持ちはわかる。

 今、俺たちが寮に押しかけても、どうしようもないだろう。向日葵を動かすための何かを見つけるまでは、そっとしておくしかない。


「よし、天世。さっそくその電話番号に突撃するんだ」

「えっ……桜峰さんのご家族の電話ですよね。何を話せばいいんですか?」

「そうだな、『自分は向日葵と同じ学園に通う友達で、彼女が昔のことで今も悩んでいるので少しでも力になりたいと思い連絡先を探した』みたいなことを言って、自宅にお邪魔させてもらえるように持っていく感じで」

「……自宅に訪問するんですか? 当時の状況を聞くだけなら、電話でも十分だと思いますけど」

「こういうのは直接行くことに意味があるんだよ」

「はあ」


 天世は理解できていないような顔をしていたが、強引に押し切った。正直ノープランだし、直接顔を合わせたところで有効なフラグが立つという確信がある訳じゃないが、こういうイベントは足を使うのがお約束だ。

 というか別に天世にやらせなくても俺が電話すりゃいい話なんだけど、これは天世の物語だからな。モブがあまり出しゃばってはいけない。もう手遅れかもしれんが。


 さっそく天世が電話をかけると、なんと翌日にはお宅に訪問することが決まってしまった。展開の早さにびっくりだ。

 電話先に出た桜峰雪の母親と思しき人物は、最初こそ警戒心をあらわにしていたらしいが、向日葵の名前を出した途端に驚くほど態度が変わったのだという。彼女もまた、未だに過去に囚われているのかもしれない。


「よし、それじゃあ明日は自主休校だな」

「俺も行っていいんですか?」


 天世はかしこまったような顔でそう聞いてきた。


「お前がアポ取ったのに、一緒に行かなくてどうするんだよ」

「でも……俺は何もしていません。昔の新聞記事を探すのも、連絡先を調べるのも、全部友田先輩が主導で進めてくれたことですし……今の電話だって」

「あのなあ」


 俺は呆れた声を出しながら、しょんぼりした子犬みたいな天世に言う。


「お前が当事者なの。俺はただのおせっかい焼き。向日葵の人生に関わったのも、そうしようって決めたのも、天世、お前だ。このシナリオの主人公はお前なんだよ」

「主人公……」

「ああ、それともう一つ、ハッキリ言っておくぞ。俺は向日葵に対して恋愛感情みたいなものは一切持ってないからな。あいつは……同じ部の仲間だ。だからお前は俺に遠慮する必要はない」

「……はい。そこまで言わせてしまって、すみません。ありがとうございます」


 天世はようやく吹っ切れたらしく、気合の入った面構えになった。でもまあ、確かにあれこれ手を出し過ぎたかも……いや、今回はスピード感が大事な案件だったから仕方がない。そう思おう。


 しかし……同じ部の仲間、か。

 本当は、向日葵のことは妹みたいな存在だと思っている。

 でも、それは俺の中では口に出してはいけないことだ。表現としてはそれが一番しっくり来るとしても、それを言ってしまったら……死んだ妹に申し訳が立たない。


         ◆


 翌日、快晴。

 俺と天世は聞いたことのない駅で電車を降り、そこからバスに乗って、これまた聞いたことのないスーパーや畑なんかの景色が流れていくのを眺めつつ、集合住宅の近くで降りた。

 いくつも立ち並ぶ住宅棟の間に、ちょっとした公園のようなものが見える、あまり馴染みのない場所だ。見知らぬ土地、見慣れない景色。本当に、足を伸ばせばどこまでも未知が広がっているのだなと、不思議に思う。


 調べた住所のインターホンを鳴らすと、まだ若く見える女性が招き入れてくれた。

 知らない家のにおいがする。

 面識もない、つながりも薄い他人の家にお邪魔するというのは不思議な気分だ。

 行動すればそれに対する結果が返ってくるという当たり前の事実を思う。知らない家に足を踏み入れるという行為は、久しく忘れていた異世界を感じさせる。


「狭い家ですけど……よかったら、お線香をあげていってください」

「はい。お邪魔します」


 通されたのは、畳敷きの和室だった。

 テーブルと仏壇があり、仏壇には女の子の写真が置いてある。この子が桜峰雪なのだろう。活発そうな子で、どことなく向日葵に似ているような気がした。


 とりあえず仏壇の前に正座してみたが……そういえば線香のあげ方なんて知らないぞ。どうしようかと思っていると、桜峰雪の母親が仏壇のロウソクに火をつけてくれた。そして目の前には専用の器に置かれた線香の束がある。なるほど、なんとなくわかった。

 線香を一本取り、ロウソクの火に近づけてから、軽く振って火を消す。このへんは理科の授業で扱ったアルコールランプと同じだろう。息で吹き消してはいけない。そして線香の灰が積もっている小さい壺みたいなやつにサクッと刺す。最後に手を合わせて……多分こんな感じで合ってるだろう。細かい作法は知らんけど、そんなことで怒られることはない、と思う。大事なのは気持ちだ。


 しかし日本は無宗教の国なんて言うけど、バリバリ宗教が根底にあるんだよなと、こういう時に気付かされる。生はともかく、死についてはまだなんもわかっていないから、決められた儀式によって心の整理をつけるしかないんだろう。


 天世も俺にならって隣に座り、線香をあげる。チラッと母親を見たけど、別に変な顔はしていなかったので、たぶん正解から大きく外れてはいないんだろう。

 それから俺たちは改めて、テーブルを挟んで向かい合った。


「今日は急にお邪魔してすみません」


 とりあえず、頭を下げる。

 電話でいつ会えるかという話になった時、天世が俺に日時はどうするか聞いてきたので、なるべく早くと言ったらこうなったのだ。

 部屋の掃除とか色々大変だったろうにと申し訳なく思うが、今の不安定な状態の向日葵を長く放置するわけにはいかなかったので仕方がない。


「いいんですよ。今でも桜ちゃんが娘のことを覚えてくれているって聞いたら、変な話なんですけど、嬉しくなっちゃって。きちんと挨拶もできなかったから……」


 お茶を勧めてくれた後、桜峰雪の母親は、笑顔でそう答えた。


「挨拶、というと?」

「娘が亡くなった後、すぐに桜ちゃんは転校してしまって……きちんとお礼もお別れもできなくてね……その辺りは聞いてない?」

「初めて聞きました」


 転校か。タイミング的に、ショックを受けた向日葵を違う環境に置こうという両親の計らいだろうか。


「雪さんと向日葵は仲が良かったんですよね」

「ええ、それはもう。娘は友達がたくさんいたみたいだけど、桜ちゃんが一番仲良しだったわ。この家にも何度も遊びに来たし、本当に親友っていう感じで」

「河原でよく遊んだと聞きましたが」

「そうね。ここから少し歩くと長い土手があって、サイクリングロードみたいになっててね。その向こうの河原でよく遊んでいたみたい。川は浅いし、車も通らないから二人だけで遊ばせていたけど、今思うとちょっと危険だったかもしれないわね」

「川に落ちて溺れたりとか……?」

「溺れるほど深くないけどね。散歩してる人とかも多いし……雨の後で増水してる時なんかは、さすがに止めたけど」


 この言い方だと、やはり桜峰雪は溺れて亡くなった訳ではなさそうだ。まあ、新聞記事の方が間違っているという可能性は限りなく低いとは思っていたが。


「あの日……娘が亡くなる前の日にね、あの子、いつもより遅い時間に帰ってきたの。雨でもないのにずぶ濡れで。川には入るなって言ってあったのに。濡れた猫のぬいぐるみを持っててね、桜ちゃんのぬいぐるみを川に落としちゃったって」


 話の核心が来た。

 桜峰雪は確かに川に入っていたが、溺れて亡くなってはおらず、ぬいぐるみも無事に引き上げていたのか。これで向日葵の証言が誤りだということが確定した。


「その話、向日葵からも少し聞きました。最後に喧嘩をしてしまったことが心残りだと言っていましたが……」

「ええ、あの子も喧嘩してしまったって言ってたわ。ぬいぐるみを取り戻せたから、これで仲直りできるって。きれいに乾かしてほしいって。それで……」


 母親の顔に影が差す。当時のことを、その二度と戻らない時間を思い出しているのだろう。


「次の日の朝、あの子は張り切って鞄にぬいぐるみを入れて、家を出たの。私はちゃんと仲直りするのよって言って、あの子は……うん、って言って……まさか、あれが最後になるなんて」

「……辛いことを思い出させてしまって、すみません」


 そうしていつものように家を出た桜峰雪は、交差点で事故に遭った。青信号の横断歩道を渡っている時に、トラックが突っ込んできたのだ。毎日世界中で起きているような事故の一つだが、当事者やその周囲の人間にとっては人生を変える出来事だ。


「こちらこそ、ごめんなさい。それでね……」


 母親は立ち上がり、戸棚を開けて何かを取り出した。

 それは、小さな猫のぬいぐるみだった。


「このぬいぐるみ……桜ちゃんに返せなかったのが、娘の最後の心残りだと思うの。私たちもあの時は、気が動転してしまってて……お葬式とか、忙しさで気が回らなくて。全部が終わった後は全身の力が抜けてしまって……しばらく何もする気力が湧かなかったわ。言い訳みたいになっちゃうけど。このぬいぐるみをお返しするために、桜ちゃんの家に連絡を取らなくちゃって思った時は、もう桜ちゃんのご家族は引っ越してしまった後で……それでずっと家に置いてあったの」


 なるほど。いきなり娘をうしなったりしたら、その友達に物を返すことなんて後回しになるのは当然だな。そうして連絡を取りそこなったまま、今に至ると。

 そして向日葵は喧嘩した翌日に親友が死んだというショックで、抱えなくていい罪悪感に押しつぶされ、記憶に混乱が生じたのか。あるいはショックで学校に行けなくなって、そのせいで交通事故という正確な事実を知る機会がないまま時間が過ぎていってしまったのか。ともかく認識に誤りが生じたと。


「こんなことを頼むのは失礼かもしれないけど……このぬいぐるみ、桜ちゃんにお返ししてもらえないかしら」

「それは……」


 それは両手に乗るくらいの、実際の猫が横になっているようなリアル寄りのぬいぐるみだった。毛並みはゴワゴワしていて、色も褪せている。

 どうしますか、と天世が目で俺に問う。

 これを受け取り、向日葵のところに持っていって、事実をそのまま伝えれば、全て丸く収まる気がする。実際、桜峰雪は向日葵のせいで亡くなった訳じゃない。あいつが罪悪感を覚える必要は全くないのだ。でも……


「……申し訳ありませんが、今日会ったばかりの……言ってしまえば見ず知らずの僕たちがこれをお預かりするというのは、ちょっと」

「え、ええ。そうよね、ごめんなさい……」


 そのぬいぐるみはきっと、見た目以上に重い。果たせなかった想いを、無念や後悔の日々を、たっぷりと吸い込んでいる。桜峰雪の母親は、早くこれを手放したいのだろう。そうしなければ、いつまでも娘のやり残した最後の願いは宙に浮いたままだ。

 だが、それだけの重みを含んだものを、部外者の俺たちがおいそれと預かっていいものではない。

 過去を断ち切るには、膨大な時間か、あるいはきちんとした手順が必要だ。

 ここで俺たちがぬいぐるみを受け取ったら、その手順を飛ばすことになる。


「ですが少しだけ、待っていて下さい」

「え……?」


 このイベントを終えるにはまだ、役者が足りていない。


「向日葵を連れて、また来ます。その時本人に渡して下さい」


 向日葵だけを救おうとしても駄目だったのだ。向日葵と桜峰雪の過去を、まるごと精算しなければ、真のハッピーエンドには至れない。

 ……そういうことなんだろ?








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