幕間 ネタばらし
金色の光が差し込む電車内には、乗客はほとんどいなかった。
帰宅ラッシュにはまだ早い時間で、しかも混むのは主に逆方向の電車だ。ガラガラなのは当然だろう。
鈍行列車はゆっくりと進む。
俺の隣に一人分の空白を置いて、夏先輩が座っていた。
まっすぐ前を向いて、流れる景色を見ている。
ファミレスで解散した後、帰りの電車が同じだと分かった時点で、こうなるのは必然だった。
それじゃあ別々の車両に乗りましょうか、というわけにはいかないだろう。
あまり喋ったこともない無口な先輩と一緒に帰るというのは、なんとも気まずいものがある。電車を待っている間も、特に会話はなかったし。
異物感、違和感、居心地の悪さ。
そういったものを夏先輩は感じていないのだろうか。それともただ感情を見せていないだけなのか。
不意に、夏先輩の顔がこちらを向いた。
俺は慌てて目をそらした。
「……本当に文字化けしてた?」
鈴のような声は小さく、しかし不思議と電車の走行音に邪魔されることなく俺の耳に届く。
一瞬、何の話かと思ったが、今日の散策で遭遇した古びた店の看板の話だとすぐに思い当たった。
「あー、してましたね。見事に」
「どう思った……?」
「いや、ていうかあれ芽多の仕込みですよ、多分」
「仕込み?」
芽多はネタばらしをするつもりがないようだったが、俺がそれに乗っかってやる義理はない。せっかくなので容赦なく内情を暴露してやることにした。
「どう考えてもおかしいんですよ。あんな古い看板がエンコードミスみたいな化け方する時点で人の手が入ってるのバレバレ。おおかたホログラムディスプレイでも仕込んであったんじゃないすかね」
「……どうして芽多さんがそんなことを?」
「あいつ、この世界が恋愛ゲームだって信じ込んでるんですよ。何言ってんだって感じですけど。あいつがヒロインで、修が主人公だそうで。ヤバいっすよね。俺なんて初対面でモブ呼ばわりされたんですよ」
「恋愛ゲーム……って、本気で……?」
「どうやら本気っぽいのが恐ろしいところなんですよね。思考実験とかでその説を補強しようとしてるのはまあいいんですけど、今日みたいにドッキリまで仕込んでくるっていうのはやり過ぎっつーか。まあ、ちょっと引いたっすね」
「そう……芽多さんは、望月くんのことが好きなんだね」
いや、今の話の流れでそっちの感想になるのかよ。
まあ夏先輩は最初からどこかズレてる感じだから仕方ないけど。
「ん、まあ、そうですね。態度もあからさまだし」
「いいね……青春だね」
「そ、そうすか?」
「好きな人のためにこの世界を恋愛ゲームにしちゃうなんて……一途だなあ」
「あいつの場合は順番が逆な気がするんですけどね」
でも確かに、もしかしたら修に一目惚れした時点で設定を作り上げたという可能性もあるのか。
あるいは、一目惚れじゃなくて、実は以前から修のことを一方的に知っていたとか。主人公とヒロインが実は幼い頃に出会っていたなんて、恋愛ゲームではよくあるパターンだしな。
まあ俺にとっては、別にどっちでもいい話だ。
「今日も楽しかった……」
しみじみと、噛みしめるように夏先輩は呟く。
「皆でお散歩して、ちょっと変なことがあって、皆でご飯を食べて……ふふ、遠足みたいで楽しかったな……」
「遠足って。子供じゃないんですから」
突っ込みを入れつつ、俺は少し驚いていた。
いつも無表情で何考えてるのかよくわからないけど、夏先輩は部活を楽しんでいたらしい。
そういえば最初に言ってたっけ。青春したいって。あれ本気だったんだな。
「私ね……遠足に行ったことがなかったの」
「そうなんですか?」
「体が弱くてね……友達と遊んだこともなかったんだ」
「へえ……それは……そうすか……」
いきなりぶっこんでくるなこの人。返答に困るわ。
しかしなんだろう、何かの病気だったのか? 今は普通にしてるっぽいから、治ったってことなんだろうけど。
「この部活に入ってよかった。今すごく、取り戻してる気がする」
「それ、芽多のやつに言ってやってください。喜ぶと思うんで」
俺がそう言うと、夏先輩は少しだけ目を見開いて俺を見つめてきた。
「友田くん、芽多さんと仲が悪いのかと思ってたけど……」
「向日葵にも言われたなあ。別にそういうわけじゃないっすよ。俺はこの……」
おっと、変なことを言いそうになった。
「……この世で一二を争う博愛主義者なんで。人類皆平等に愛してるっつーかね」
「そうなんだ……偉いね」
「いやマジに返されると困るんすけど」
「冗談……だった? ごめんね。私、そういうのわからなくて」
「いやそんな、謝らなくていいんすよ。適当にノリでやってくれれば」
「そう……難しいなあ……」
うーん、会話の歯車が全然噛み合わないな。
友達と遊んだことないとか言ってたし、人付き合いの経験が少ないからか。
まあこういう天然っぽいところも含めて、キャラが立ってるって感じはするけど。
「でも……海は見に行きたかったかな……」
「海? 海なら、ほら」
俺は正面の窓を指差す。
流れ行く建物の隙間から小さく、しかし確かに海が見えた。
「あれ……本当だ」
「つーか先輩、この電車使ってたら毎日見てるでしょ」
「そうだね……忘れてた」
物忘れがひどいってレベルじゃねーぞ……と思ったが、まあ冗談だろう。
恐らく部員たちと一緒に見に行きたかったって意味なんだろうな。
「……友田くんはどこで降りるの?」
「次の駅ですけど。先輩は?」
「じゃあ、次の次」
「じゃあってなんすか」
苦笑しながら軽く突っ込むと、先輩もほんの少しだけ笑ってくれた。
多少は打ち解けられたってことかな。そう考えれば、気まずい空気を我慢した甲斐があったというものだろう。
ほどなく電車は駅に到着し、俺は席を立つ。
「じゃあ、着いたんで」
「うん。また部活でね」
「……うす」
電車から降りて振り返ると、先輩は席に座ったまま、小さく胸のあたりで手を振っていた。
気恥ずかしさを覚えながら俺も軽く手を振り返す。
なるほど、これが先輩が望む青春ってやつか。
俺は電車が動き出すのを待たずに歩き出し、改札を通り抜けた。
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