彼方からのメッセージ

 ポカポカと暖かい午後だった。

 穏やかな日射しの中を、俺たちは連れ立って歩いている。

 第三回目の部活動は、芽多の一存によって課外活動という名の散歩になっていた。

 まあ、部活内容が芽多の一存なのは最初からなのだが。


 俺たちは今、延々と川沿いを歩いている。

 最初はあてもなく学園の外に出たのだが、小さな用水路を見つけた修が突然、こんなことを言い出したのだ。


「川ってさあ……海に繋がってるんだよな」


 今思えば、この時点で俺の頭の片隅には、何か嫌な予感があった気がする。


「ええ、そうね。ここは海に近いから、この川が直接海に繋がっている可能性も否定できないわ」


 芽多がテンポよく相槌を打つ。

 それはあまりに自然な流れで、俺は口を挟む暇もなかった。


「えっ、そうなんすか?」


 そして向日葵が小動物みたいに反応する。


「せっかくだから確かめに行ってみましょうか」

「わー、面白そうっす!」


 俺はそのやり取りを、ボケーっと見ていることしかできなかった。

 ポカポカ陽気にあてられていた俺の頭は全く仕事をせず、気がつけば皆の最後尾を歩いていた。


 海が近いと言っても、ここから海までは電車で数駅の距離がある。

 仮にこの川がストレートに海まで繋がっていたとしても、徒歩でどれくらいの時間がかかるかなんて、少し考えれば分かりそうなものなんだが……

 誰も、何も考えていなかったのかもしれない。俺も含めて。


 歩き始めて30分ほどが経過した。

 さすがに見たことのない景色が広がっている。

 寂れた田舎町といった感じで、すれ違う人はほとんどいない。

 ふと道の先に、小さな店のようなものが見えてきた。

 それがかろうじて店だと判断できたのは、錆びついた看板があったからだ。

 日に焼けて色あせているが、近づくにつれて『巣月商店』と書かれているのがわかった。


「お店があるわね。ちょっと寄ってみましょうか」


 芽多がこちらを振り返りながら、そんなことを言う。

 その時、向日葵が「あっ」と声を上げた。


「どうしたの?」

「今、看板が……あれ? 見間違いっすかね……?」


 向日葵はゴシゴシと目をこする。


「看板の文字がなんか一瞬、変わってたんすよ。なんか見たことない漢字みたいなやつに……」

「看板が?」

「別になんともないぞ」


 芽多と修が看板をまじまじと見つめながら言う。

 確かに、看板に変なところはない。


 実は俺も見ていた。

 一瞬、看板の文字が文字化けしていたのだ。

 しっかり見えた訳ではないが、『讌ス縺励s縺ァ繧具シ』みたいな感じだった。

 そして少し目を離した隙に、元に戻っていた。


「き、気のせいっすかね……」

「いや、オレも見えた」

「えっ本当っすか!?」


 天世も見えていたらしい。

 それなら俺も黙ってるのは変か。


「あー、なんか一瞬文字化けしたみたいなやつ?」

「友田先輩も見えましたか!? やっぱり! なっちゃん先輩は?」

「私は気づかなかった……」


 まあ夏先輩は普段からぼんやりしてるからな……ともあれ、これで見えた人と見えなかった人で3対3になった訳だが……


「……もしかすると、世界の綻びが生じたのかもしれないわね」


 芽多は真剣な表情でそんなことを言い出した。

 何言ってんだこいつ、と思ったのはどうやら俺だけだったらしく、他の部員は怪奇現象に遭遇したかのような表情になっている。


「ほ、綻びってどういうことっすか!?」

「前に話した世界五分前仮説や唯我論でも少し触れていたけど……この世界が誰かに作られた箱庭だという可能性よ。仮にこの世界がコンピュータの中で実行されているシミュレーションの世界だとすると、そこにバグが発生する可能性もあるんじゃないかしら。もしも向日葵さんが見たという看板の文字化けが本当なら、その説を後押しするかもしれないわね」

「そんなこと……現実にあり得るんすか」

「まあ、もしかしたら集団幻覚みたいなものかもしれないけど。とりあえず、あのお店を調べてみましょうか」


 というわけで、芽多と修が先導してその店を調べることになった。

 向日葵は完全にビビって遠くから見ていたが。その隣にちょこんと夏先輩が寄り添っていたのは彼女なりの優しさか、それとも単に面倒くさかっただけか。

 俺もサボりたかったが、芽多がうるさそうだったので渋々調べてるフリをした。


 その店は見た目通り、もう営業していなかった。入り口のすりガラスには砂埃が堆積し、締め切られてから何十年も経っているように見える。

 見たこともないような古い自動販売機が二つ並んでいたが、完全に錆びついている上に、いたずらっ子にでもやられたのかボロボロに壊されていて、なんとも言いようのない哀愁を感じた。

 裏口のインターホンを押しても何の反応もなかった。人が住んでいるかどうかも定かではない。


「……特におかしな様子はなさそうね」


 最後にもう一度正面から看板を見上げた芽多がそう締めくくった。

 そりゃまあそうだろうよと思ったが、黙っておく。


 思わぬ出来事に遭遇したせいで、全員の間になんとなく、醒めたような雰囲気が漂っていた。

 それは、今からまた散歩を再開して海まで歩くのか? という気持ちだろう。

 要するに、正気に戻ったのだ。


 そんな空気を読んだのか、修がまた思いついたように言った。


「ところで川の始まりってさあ、どうなってんのかな?」

「そうね、一般的には山の中の湧き水なんかがいくつも合流して、一つの流れを作ると言われているわ。この川も元を辿れば似たようなものでしょう」

「ふーん、湧き水か。よく尽きないもんだ」

「……気になるなら確かめてみましょうか?」


 ……というわけで、俺たちは来た道を戻ることになった。

 何やってんだろうと思いつつ、誰もそこには突っ込まない。

 そうしてまた30分ほど歩いた頃。


「あ、学園……」

「戻ってきたな」

「お腹空いたっすよ~」

「それじゃあ、何か食べに行きましょうか。部費で」

「んなことに部費使ったら怒られるだろ」


 そうして俺たちは駅前のファミレスに行き、各々好きなものを注文するのだった。

 ……マジでなんなんだこれ?


         ◆


「おい修、今日のアレはなんだったんだよ」


 俺は注文した料理が運ばれてくるまでの時間に、隣に座った修に小声で囁いた。


「不思議体験だったな」

「いや……お前らの仕込みだろ、あれ」

「なんのことだ?」


 どうやらしらばっくれるつもりらしいが……思えば最初から不自然だったのだ。

 修がいきなり川がどうとか言い出し、芽多がそれに乗っかって行き先を決める。

 そして極めつけは、あの文字化け看板だ。

 なんで怪奇現象がShift_JISの文字化けなんだよ。おかしいだろ。

 恐らく修と芽多が事前に準備して、ホログラムか何かを仕込んでおいたんだろう。なかなか大掛かりなことをしやがる。

 ドッキリとしては面白いかもしれないが、ネタばらしをするつもりはないらしい。それはつまり芽多の言う世界=恋愛ゲーム説をプッシュするためにやった、ということなんだろう。手の込んだことしやがって。

 修が全面的に協力してるっぽいのは意外だったが……知らないうちに二人の仲がそれくらい親密になっていたということか。


 俺は肉体的にも精神的にも疲労感を覚えながら、運ばれてきたチキンステーキに手を伸ばした。

 向日葵なんかはテンション高めに今日のことを喋っているし、意外なことに天世も楽しそうに笑っている。夏先輩だけは神妙な面持ちに見えなくもないが……あの人はだいたいいつも無表情だからよくわからん。普段と同じなのかもしれない。

 まあ全体的には楽しくなくもなかった……と言えなくもないから、まあいいか、と思うことにした。徒労感はごまかしきれなかったが。


 帰りの電車は夏先輩と同じ方向だった。向日葵は徒歩で帰れる寮暮らしで、芽多と修、それに天世は逆方向の電車だ。

 そんなことを知れたのが、今日唯一プラスになったことかもしれない。








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