ガンボ、木登りの準備をする


「うぎゃぁぁーーーー!!!!!」


もう何度目になるだろうか、大森林にガンボの悲鳴がこだました。ガンボが『神の木』に登り、ミリアの修行につき合うようになってから半年が過ぎた。その光景を薬師のババアは年老いて半分閉じた目で眺めている。表情は相変わらず枯れ木のようだった。


「うむ、上手くいかんのう」

「ご、ごめんなさい。あの……ガンボさんも」

「いや、別にいいさ」


ガンボがここに出入りするようになってから半年が経った。その間に練習台として様々な施術を受けていたのだが、この耳の垢を取る施術だけいつまでたっても彼女は上手くならなかった。


「体に針を刺す方がよっぼど難しそうな気がするんだけど」


それがガンボには不思議だった。最初から穴の開いている部分に耳かき棒を突っ込む方が、中身がどうなっているのか想像もつかない背中やお腹に針を刺すよりもよっぽど簡単な気がする。しかしミリアにとってはそうではないらしい。それがババアも不思議なのかミリアの手から耳かき棒を受け取るとガンボの耳を一瞥いちべつした


「ふむ、もういちど見本を見せてやるとするか」

「オババが?」

「何じゃ、不服か?」


しわがれた声でババアは言う。静かな声のはずなのに、ガンボはまるで恫喝どうかつされたかのようにビクついた。

そう、ババアはこの里における影の実力者なのだ。逆らうことなど誰も出来ない。


「座れ」

「……はい」


立ち上がろうとしていたガンボは大人しく床に座した。とはいえ、ガンボも嫌なわけではない。ガンボがババアに耳を掃除してもらったのは最初の一回きりだ。だがそれはただの一回ではない。

あれはガンボにとって筆舌にし尽くしがたい経験だった。これだけミリアの耳の施術が下手くそにも関わらず、呆れずにつき合い続けているのはあれと同じ体験が出来るのではないかと期待してのこともある。


「うむ……それでよい」


ババアはガンボが大人しく座ったのを見ると、ミリアから奪い取った耳かき棒で耳たぶを軽く叩いた。その叩き方すら何かツボでも突いているのか、ガンボの逆の耳にまで浅い衝撃が走り貫ける。


「ミリアよ」

「はい」

「まずは耳の穴ではなく、その周囲から触っていくようにせい」


ババアは静かに言い放つと、先端に綿を巻きつけた耳掘り棒をぐいっと耳介の溝に突き入れた。そうしてグルリと先端が回る。ババアの指先にはほとんど力は入っていない。耳掘り棒は枯木のように細い指に引っかかるようにして軽くつままれているだけだ。だというのに棒の先端に付けられた綿は踊るように回転し、耳の溝に詰まった垢をゴッソリとこそぎ取っていく。


「くぅ…………っぁ」


右耳を中心に強烈な爽快感がガンボを襲う。ミリアに施術されるときに漏れるのは苦鳴だが、今の声はあきらかにそれではない。

もちろんこれだけで終わるババアの筈もなく、耳の溝に埋まったままの綿の塊は溝に沿いながらゆっくりと動き始める。

最初は遅く、徐々に早く、何度も何度も行ったり来たりとガンボの耳の上を巡行した。その度に白い綿は変色していき、ババアはそれを素早く付け替える。傍らには汚れた綿の山が出来ていた。


ババアの手首がひるがえる。

同時に力強く耳の垢が掻きだされた。


ババアの指に捻りが加わる。

耳掘り棒の先端に振動が生まれ、その振動が耳の奥までも刺激する。


ガンボの背筋がゾクゾクと震えていた。これこそまさに半年前の再現だ。

薬師のババアが操る耳掘り棒はガンボの要望を充分以上に満たしてくれていた。しかもこのババアは耳介の部分に触れるだけで、穴の中には何一つ入れていないのだ。だというのに耳の奥にまで心地の良い痺れが走り、脳天までその感覚が突き抜けていく。


「ふむ、こんなものかのう」


ガンボの耳介を蹂躙し尽くしたババアはひと言放つと耳たぶの部分を親指と人さし指で摘まむ。そしてそのまま軽い力で捻り上げた。


「うぉっ!?」

「我慢せい」

「はいっ」


老人の力で弱く引っ張られただけなのに、頭皮まで刺激が伝わっていく。

無論、その感覚は不快ではない。

むしろ快だ。

右耳を通じて顔の右半分の皮膚が引っ張り上げられるように動いていく。体温が上がり毛穴が開いていくのをガンボはしっかりと感じていた。


「ほれ、黙っていてはミリアが分からんじゃろうが、説明せい!」

「はい……顔の右半分がどんどん温かくなっていきます」

「それから?」

「ピリピリ痺れてるのに痛くないです」

「ふむ?」

「あと、気持ちいいです」

「うん、まぁ、その辺りで良いじゃろう」


ババアはガンボの言葉に満足したのか大きく頷いた。

そこでガンボはハッとする。すぐそばにいたミリアが自分の方をじっと見つめていたのだ。

その視線は怒っているような呆れているような、何とも言えない視線だった。

その目を見てガンボは大いに焦った。客観的に見て今の自分はかなり間抜けな姿だった。それをしっかりと見られてしまったのだ。


「ガンボさん」


ミリアは真っすぐにガンボを見る。その瞳は焦燥や嫉妬が入り混じったような複雑な色をしていた。


「えっと、ミリア……怒ってるのか?」

「別に怒っていません」

「そ、そうか」


ミリアの声が明らかに低い。何となく居心地が悪くなるものの、別に悪いことをしたわけではない。すると彼女は極めて真面目な顔をしたままガンボに言った。


「ガンボさん」

「は、はい」

「逆の耳でさせてください」

「あ、ああ……いいよ」


それは薬師のババアに匹敵するほどに有無を言わさぬ剣幕だった。どうやらミリアの心に火がついたらしい。


「ガンボさん……じゃあ、行きます」

「あ、ああ……」


ミリアはガンボの左側に座ると綿の巻き付いた棒を構える。そうして慎重に白い先端を耳介の溝の部分に軽く当てた。


「痛い……ですか?」

「いや、そこは流石に痛くないよ」

「そうですか」


耳の外の部分なので痛い訳がないのだが、よほど自身がなかったのだろう。ほっとした様子でミリアは言う。


「これならどうですか?」


耳の溝に埋まった綿の塊がクルリと回る。


「もうちょっと強くても大丈夫だ」

「もうちょっと……ですね」


先ほどよりも強く綿が押しつけられる。グリグリと溜まった垢がこそぎ取られていく。ババアのような心地よさはないが、とりあえず痛くはない。


「痛くないですか?」

「ああ……大丈夫だ」

「そうですか♪」


明らかに声音が明るくなる。どうやら少しづつ機嫌が治っているようだった。それに呼応するように耳掘り棒の先端も調子が良さそうに右へ左へと踊り続ける。


「ここも汚れてますね」

「ああ、そうか……うん、これなら大丈夫だな」


これならばガンボも痛くないので大丈夫だ。そのあとさらに時間をかけてミリアはガンボの耳介に溜まった垢をぬぎい取っていく。

耳がポカポカと温かい。

ババアのような技巧はないが、一生懸命さが伝わってきて悪い気分ではない。柔らかなものに包まれているような気分になり、徐々に心地よくなってきたガンボは目を浅く閉じた。


……と


そのとき彼の真横で不穏な気配がした。

何だろう?

この気配には覚えがある。この半年の間に幾度となく感じた危機感だ。そしてその危機感の正体をガンボはすぐさま知ることとなった。


「あの……ガンボさん。ちょっとだけ中に入れてみますね」

「え?」


柔らかな気配が角を持ち、周囲が鬼気で満たされる。



「うぎゃぁぁーーーー!!!!!」



本日二回目の絶叫が大森林に響き渡った。





「ご、ごめんなさい」

「いや、別にいいんだ」


もう何度目かになる謝辞をガンボは軽く受け流した。

身体の頑強さには自信がある。良くも悪くもすっかり慣れてしまったのだ。もっともそれが良いことなのか悪いことなのかガンボには判断がつかない。


ガンボはミリアとともに里の中を歩いていた。向かっているのは里の貯蔵庫だ。

明日からガンボは『神の木』に登る。もちろん里の大きな収入源である薬の原料を取って来るためだ。

彼が『神の木』に登るのは成人の儀を含めてこれで3度目。かと言って、準備に手を抜くわけにはいかない。ガンボは頑強ではあるがジャックのような桁外れの強者ではない。気を抜けば巨木の幹から滑り落ちてあっさりと死ぬだろう。だからこそ準備は大切なのだ。


「ガンボさんは凄いですね」

「凄い? 俺が?」

「ええ、だって里の役に立っているじゃないですか」

「そうか……な」


最近、そう言われることが多くなった気もするが、ガンボにはどうにも実感がない。薬の売値が上がった話は里長から聞いているが、だからと言って目に見える成果が表れているわけではないからだ。

オババの庵は里の外れにあるために少し距離がある。その道のりの中でガンボは何かを誤魔化すように呟いた。


「貯蔵庫までけっこう離れているんだ。少し不便だな」

「え? ええ、そうですね」

「オババも年だし、毎回足を運ぶのは面倒じゃないか?」

「慣れたらそうでもないですよ。そ、それに最近はガンボさんが手伝ってくれますし」


最近、オババの庵への出入りが増えたガンボは何かと手伝いが増えていた。頑強なガンボの仕事といえばもちろん力仕事全般だ。ガンボの背は高く、隣で歩くミリアの背丈はガンボの胸の辺りまでしかない。当然、歩幅も圧倒的にガンボの方が広いのでガンボはミリアに歩調を合わせているので、遠く感じるのはそのせいもあるのかもしれない。


「まぁ、そのぶんミリアとゆっくり喋れるから良しとしようか」

「え?! あ、あの? 急に何ですか?」

「ああ、いや? 遠いのは面倒だけど、その分ミリアとゆっくり喋れるって話だけど?」


当初は顔を見るのもつらかったガンボだが、時間が経ったこともありそういう感情はすっかりなくなっていた。ここ最近、彼女と出歩くことが多くなったこともあり何気なく言った一言なのだが、ミリアは予想外に顔を赤くした。


「ガンボさん……昔からそういうこと言いますね」

「え?」

「別に……いいですけど、そういうところ……」

「?」


小さな呟きにガンボの頭上に疑問符が浮かぶ。彼女の顔を覗き込むのだが、やっぱりミリアは視線を合わせてくれない。少し喋れるようになったが、やはりまだ距離があるなとガンボは思いながら貯蔵庫まで二人は歩く。

そうして見えてきたのは背の高い建物だ。太い幾本もの柱で地面から持ち上げられた高床式の建物。だが二人が向かったのは、その脇にある小さな小屋の方だ。

中に入ると髪に白いものが混じった初老の女性と数人の子どもが座りながら臼をいていた。


「ああ、ガンボとミリアちゃんかい」


初老の女性は顔をあげる。その女性にガンボが携帯食料を取りに来たと伝えると、彼女は立ち上がり奥の棚へと歩いていった。


「懐かしいなぁ」


ガンボは足元に置いてある石臼を見て言った。

臼で挽いているのは麦だった。芋か、もしくは荒く引いた麦を煮て食べるのが里の一般的な食事風景なのだが、芋と違い麦はそのまま食べるよりも引いてから食べる方が消化に良い。

麦で作る“パン”という食べ物があることはジャックから聞いて知ってはいるが、ガンボ達がパンを食べたことはない。パンを作るには麦を、挽き、練って、寝かせて、窯で焼く、という手間と技術と設備が必要なのだ。

それほどの手間をかける余裕は里にはない。

そもそも麦を挽くだけでもけっこうな負担になっているのだ。なので麦を粉にするときも、なるべく里の者が集まって行うのが常だった。


「わたしもここに入るのは久しぶりですね」

「そうなのか?」


麦を石臼で挽くのは子どもたちの主な仕事のひとつだ。ガンボも背が伸びる前まではこの地味な作業が好きだったのだが、大きくなるにつれて徐々に外での作業の手伝いが増えて行った。しかし女性は大人になってもこの臼挽きの作業を行うことが多い。だからこそミリアの言葉はガンボにとって意外に感じるものだった。


「はい、わたしはオババ様に弟子入りしてから、ここの手伝いをしていませんから」

「そうなんだ」

「はい。だから早くオババ様の技を習得しないといけないのですが……」


老齢のババアの技術の習得は急務なのでその辺りは里も認めてくれているのだが、実際には耳掘りひとつ満足に出来ていない。里長の孫だからといって贔屓ひいきされることもないこの里において、この扱いは彼女の中で少なからずプレッシャーとなっているのだろう。そうしてミリアが表情を曇らせたとき、それまで石臼で麦を挽いていた少年が足元までやってきた。


「ミリア姉ちゃん、ガンボ兄ちゃんにいじめられてるのか?」

「え~、ガンボお兄ちゃんは勇者なのにミリア姉ちゃんをいじめてるの~?」

「あ~あ、駄目なんだぁ」


ひとり言い出せば他の者も騒ぎ出すのが子どもというものだ。気がつけば全員が石臼を手放してガンボの周りを囲んでいる。


「おいおい」

「ガンボさんは人気者ですから」

「人気者……これがね」


どちらかと言うとミリアの方が人気者に見える、というのがガンボの感想だ。そういえば姉のリナリアもこんな風に年下の子どもから好かれていたから、その辺りはやはり姉妹なのかもしれない。


「確かに勇者になる前はこんな風に小さい子が寄ってきたことなんてなかったな」


そういうのはガジベの役回りだ。そう考えるとこれも勇者の役得なのかもしれない。

ちょっとした人気者。

もっとも彼が本当に欲しかった報酬リナリアと比べれば些細なものだ。


「待たせたね」


ガンボがため息を吐いたのと同じタイミングで初老の女性は棚から携帯食料の入った箱を持ってきた。


「これがさっき作ったばかりのヤツだよ。柔らかい方がいいんだよね?」

「ああ、それがいい」


携帯食料は粗く引いた麦の粉を水を加えて練り、木の実を加えて焼き、乾燥させたものだ。味はそれほどでもないのだが、持ち運びやすく日持ちするのだが、とにかく硬い。日持ちさせるためにカチカチに乾燥させるからだ。

なので『神の木』に登るときは、ガンボは乾燥させる前のものを好んで持って行った。

その方が食べやすいし、水の節約にもなるからだ。


「ほらよ。里のために立派に仕事を果たしてきな」

「ハハハ……勇者だからな」


乾いた笑いでガンボは答えた。

そう自分は勇者だ。

木登りをして、枝を取って来て、子どもにからかわれるのが仕事の勇者なのだ。

自虐的な笑みが無意識に出たとき、隣から声が聞こえてきた。


「そんなことないですよ」

「え?」


その姿と声にドキリとする。視線の先には破れた夢リナリアによく似た少女がいた。


「……俺、今何か言ったか?」

「いいえ。でも……ガ、ガンボさんは素敵だなって思っただけです」

「そ、そうか」

「そ、そうです」

「そうか」


半年前なら違ったかもしれないが、今のガンボはミリアにそう言われて悪い気はしない。少し気になるのは彼女が妙に顔を赤くして自分を見ていることなのだが、ガンボは窓から見える『神の木』に視線を向ける。すると鬱屈していた気分が少しだけ晴れた。

よし、木に登ろう。

ガンボは改めて心に決める。


「ありがとうミリア」

「え?」

「何だか元気になれた気がするよ。ミリアは凄いな。きっとオババみたいに皆を守っていけるよ」

「え? え? あの?」


ガンボの言葉にミリアは目を白黒させている。そんな彼女を見て、次は口に出して言った。


「さぁ、木に登ろうか」


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