①ガンボ、初体験をする!?


「動いた!?」


ガンボはまるで熱いものっでも触ったように手を引っ込め、身体を大きく身じろぎさせた。それを見て幼馴染のガジベが声を上げて笑う。


「ハハハ、スゴイだろ」

「ああ……すごいな」


ガンボは何とか言葉を搾り出す。確かにはガンボにとって色々な意味で凄い体験だった。

彼が先ほどまで触れていたのはもうひとりの幼馴染であるリナリアのお腹だ。今、彼女のお腹は大きく膨れ、まるで服の下に西瓜すいかでも隠しているように大きくなっていた。

そこには今、ひとつの命が宿っている。それが誰の子であるかは、もちろん考える間でもない。


「もう一度触ってみる?」


ガンボの驚く様子が面白かったのか、リナリアは悪戯っ子のように笑う。その笑顔にガンボはクラリと来た。

成人の儀の一件から一年以上が過ぎ、ガンボとしてもとうに折り合いをつけたつもりなのだが、だからといってリナリアのことが嫌いになったわけではない。それどころか女として、母としての魅力が加わったリナリアの姿はガンボの目にはより魅力的なものと映っていた。そんな彼女が少女の頃の面影を見せて悪戯っ子のように自分に微笑みかけるのだ。それでクラリとこない筈がない。


「勘弁してくれ」


何とかそれだけ言葉にする。その慌てた様子を見てガジベとリナリアは示し合わせたように笑い声をあげた。

それにつられてガンボも笑う。ただその中で一人だけ憮然とした表情をしているものがいた。

ミリアだ。


「……お姉ちゃん。はい、これ、薬」

「ありがとう」


渡したのは薬師のババア直伝の強壮剤だ。どんどん大きくなるお腹は母親の体力をゴッソリと奪う。そのための薬だ。


「……麦粥に小さじ一杯分入れるんだよ。入れ過ぎたら駄目だからね」

「分かってるわよ。あと、別にガンボ盗ったりなんかしないから、そんな顔しない」

「え!?」


リナリアに言われてミリアの頬が紅潮する。だがすぐに顔を背けて小さく呟いた。


「別に……そんなんじゃない」

「あら? そう? じゃあ、盗っちゃうわね?」

「駄目! 絶対駄目!!」

「はいはい、盗らないわよ。大好きなガンボお兄ちゃんだもんね?」

「うぅ……」


リナリアにやり込められたのか、ミリアはあっさりと押し黙る。四つ年上のリナリアに彼女は敵った試しはほとんどないのだ。

そんな様子に気がついたのか、ガジベは不思議そうに訊いてくる。


「何の話をしてるんだ?」

「ん? 内緒よ。乙女の秘密。ね♪ ミリア」

「う、うん……」

「乙女ねぇ~、もうすぐ母親になる人間がなに言ってるんだか?」

「むぅ~、何よ~、ガジベ。自分の奥さんが可愛くないわけ~」

「それとこれとは話が別だろ?」

「ぶぅ~!」


リナリアは子どものように頬を膨らます。そんな仕草もガンボにとっては愛らしい。


「そうだぞ、ガジベ。こんな綺麗な奥さんをもらったんだから文句を言ったら失礼だろ」


だからガンボは何となしに口にした。リナリアを援護したくて言った言葉だ。

ところがこれが失敗だった。

ガンボの見えない角度にいたミリアは、この言葉を聞いた途端に露骨に表情を暗くしたのだ。


「こら! ガンボ、今のは減点だからね」

「え!?」

「もう! 本当に分かってないんだから」


先ほどと同様に頬を膨らます。ただし今度はガジベではなく、自分に対してだ。ガンボとしてはリナリアの味方のつもりだったのに、気づけば何故だか怒られている。その理不尽さにガンボは混乱してガジベを見るのだが、助けを求めた幼馴染は苦笑いしながら肩をすくめた。

どうやら普段の生活でもこういう場面が多いらしい。男二人が困惑する中、リナリアは名案を思い付いたように目を輝かせた。


「そうだ。じゃあ、ガンボ。これから買い物にいきましょう」

「買い物!?」

「そうよ。ちゃんと罪滅ぼししないとね、いい?」

「あ、ああ……」


ガンボとしては何の罪滅ぼしなのか分かっていないのだが、皆で外出するという案は悪くない。控えめに頷くとリナリアはガンボとガジベとミリアの3人を見て言った。


「じゃあ、広場に買い物に行きましょう!」





森の民に通貨という概念が本格的に入って来たのは、ガンボの祖父の世代の話だ。大森林に接している王国はその勃興期に森の民の力を借りて建国されたという背景がある。そのために古くから通貨に触れる機会はあったのだが、それが流行ることはなかった。

大森林は独立した世界であり、ときおり来る行商人たちが珍しいものを持ってくるとき以外は使われることがなかったからだ。

変化があったのは半世紀ほど前だ。金属製の農機具を行商人が持ち込んだことに端を発する。そこから取引を行うために徐々に森の民に浸透していった銅製の硬貨。それらが今、ガンボの手の中に握られていた。


「えっとね~、あ! これ可愛い。ほら、ミリア」

「うん……これ、いいな」


広場には商隊が市場を開いていた。大きなほろを張った馬車が並び、その前に敷いたむしろの上にいくつもの商品が並べられている。

リナリアとミリアが眺めているのは装飾品が置いてある店だった。


「ほら、ガンボ、綺麗だよ」

「あ、ああ……」


彼女が持っているものは髪飾りだった。銀色の円環の上に緑色の石がついている。

だがリナリアに促されるもののガンボには今一つその良さが分からない。せっかくお金を使うのだからもっと実用的な物を買えばいいのにと思い、それをガジベに言ったのだが、それを聞いたガジベは「その言葉はけっして口にするな」と強く念を押してきた。その顔があまりに鬼気迫っていたのでガンボがそれを言葉にすることはない。

そしてそれは正解だったのだろう。


「それにしても前回よりも嫌に馬車の数が多いな」

「ああ、そうだな」


ガンボの言葉にガジベも同意する。目の前にある馬車も店も、明らかに以前来た時よりも数が多かった。


「俺たちが生まれる前はたくさん商隊が来ていたって聞いたことがあるけど、それくらいあるのかな?」

「ああ、それは俺も聞いたことがあるな……どうなんだろう?」


ガンボとガジベは顔を見合わせて首を傾げる。しかし商人が多く集まるにこしたことはない。ガジベは装飾品を見てはしゃぐ自分の妻とその妹を見て、以前から気になっていた疑問を口にした。


「ところで、ガンボ」

「何だ?」

「ミリアとは仲良くやっているのか?」

「仲良くって……もともと悪くはないと思うけど?」

「そりゃ、そうだが。仲がいい方がもっといいだろ。結婚するんだから」

「け、結婚!? 何の話だ??」

「何って……お前こそ何を言っているんだ?」

「え?」

「お前が成人の儀で勇者になった次の日に里長の孫娘があてがわれた。それって、つまりだろう?」

「…………あ!」

「今頃気がついたのか?」

「あ、ああ……」


ガジベに言われてガンボは愕然とした。

ミリアはリナリアの妹であり、古くからの知り合いだ。だからこそすっかり失念していのだが、彼女は里長の孫なのだ。あまりに唐突な情報にガンボは口を半開きにしながら呆けてしまう。


ミリアと結婚する?

俺が?

そんなこと考えたこともなかったぞ?


明滅する思考の中でガンボはゆっくりとミリアに視線を向ける。そこには姉のリナリアに着せ替え人形にされているミリアの姿があった。


「なぁ……ガジベ」

「何だ?」

「その話は里の皆が知っているのか?」

「知っているというか、そういうものなんだろうな……って、全員が認識してると思うが」

「そ、そうなのか……」


もう一度ミリアを見る。

一年と少し前に再会したミリアは昔のリナリアに瓜二つだった。

あれから時間が経ち、同じ時間の中でリナリアが女として母として魅力を増したのと同様にミリアも成長した。女として花開くにはまだまだ時間が足りないが、少しだけ背が伸びてガンボの記憶にある結婚前のリナリアにさらに近づいた気がする。


「ミリアと俺が……」


口にしてみてもまるで実感がない。降って湧いた事実にガンボは口を半開きにしたまま並んで笑いあう姉妹を見つめるのだ。





「ガンボさん、耳の掃除をさせてください」


開口一番ミリアが言う。それはリナリア姉妹と買い物に出かけた1週間後のことだった。そしてガンボはそれに即答出来なかった。


「駄目ですか?」

「あ、いや……」


普段ならば即答しているのだが、この日のガンボは言いあぐねた。

ミリアに会うのはあの日ぶりなのだが、その間に何度もガジベの言った『結婚』という言葉がガンボの脳内を巡り続けていたのだ。そのせいで必要もないのに妙に彼女を意識してしまう。自分よりも4歳も年下の子どもにだ。

ところがミリアからすれば、そんなことは知る由もない。おまけに彼女はこれまで何度も耳掘り棒でガンボに悲鳴を上げさせている前科がある。そのせいで断られたと思ったミリアはすぐに表情を暗くした。


「そ……そうですね、今までいっぱい失敗してますから、やっぱり怖いですよね」

「あ、ああ、違う! そうじゃないんだ!」

「え?」

「ちょっと考え事をしていてね」

「そうだったんですか」


ガンボの言葉に不安が消えたのかミリアの顔に花が咲くような笑みが灯る。愛らしくはあるが、それはあくまで子どもの笑顔だ。その事実にガンボは何故か安堵して、いつもの場所にどっかりと腰を下ろした。

これならばいつも通りに接することが出来そうだ。しかしガンボのそんな浅薄な嗜好は次の言葉ですぐに中断された。


「ガンボさん」

「何だ」

「実は今日はとっておきの秘策を用意してきたんです」

「秘策?」

「はい、お姉ちゃんに教えてもらいました」

「リ、リナリアに?」

「はい」


自信満々にミリアは答えると座っているガンボの横に正座で座る。そして顔を真っ赤にしながら言い放った。


「わ、わたしの太ももの上に頭を乗せて下さい」


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