2
ケイ子は翌朝きちんと帰って来た。
「おかえり。」
と鏡太郎は彼女を迎えた。いつもと同じ態度だ。
ケイ子はなにも答えなかった。そして、テレビの前に座って興味もないニュース番組を垂れ流していた鏡太郎の背中を叩いた。拳で、何度も何度も。
鏡太郎は振り向いて、彼女の拳を手の中に握り込んだ。
一拍の沈黙の後、ケイ子は両腕で鏡太郎にしがみついた。
「なんで、あんたなんか連れてきちゃったんだろう。」
低い声は、濡れていた。なんで、なんで、と呟く唇も、涙の雫で濡れていた。
鏡太郎は黙ってその雫を舐めた。唇から、顎を伝って頬へ、目の下へ。
「感謝してるよ。ケイ子さんには。」
嘘を重ねた唇で、ケイ子の下唇を吸う。
「愛してるって、一回くらい言ってみなさいよ。」
「愛してるよ。」
言うのは簡単だった。キスより簡単。だからケイ子だって、その言葉が本気でほしいわけじゃないだろう。その証拠に、彼女は鏡太郎の『愛してる』を聞いて、また拳を振り上げた。
「ねえ、感謝ならしてるよ。」
ケイ子の耳元で、鏡太郎は今度は本当の言葉を紡ぐ。ケイ子がそれを求めていないことくらい知っているくせに。
「俺を連れ出してくれたこと、感謝してるんだよ。」
「連れだしたって、どこからよ。」
「あの家。」
「嘘ばかりつかないで。」
「ついてないよ。」
「ついてるわ。」
「どんな嘘を?」
「茜じゃない。私があんたを連れ出したのは、茜からじゃない。」
一瞬、鏡太郎はたじろいで、ケイ子の身体を抱く腕を弱めた。
ケイ子はそれに気が付くと、笑った。ほら、言った通りじゃない、と、子どもが自説の正しさを証明したときみたいな笑みは、いっそ無邪気と呼べたかもしれない。
「茜さん?」
たじろいだ仕草のまま問い返す鏡太郎は、ケイ子の前に初めて完全に無防備な顔をさらしていた。こんなところで、あの人の名前が出てくると思わなかったのだ。
「そうでしょう。」
真実を知っているという完全な強さを持つケイ子は、それを堂々と振りかざした。
真実を握られているという完全な弱さを持つ鏡太郎は、振りかざされた真実から逃げようと、ケイ子の身体を押し倒した。
「やめてよ。今はしたくない。」
ケイ子がもがき、鏡太郎の下から抜け出そうとするが、彼はそれを許さなかった。
話しをうやむやにしたかったのだ。もう、茜の名前など聞きたくはなかった。誰の口からでも。
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